御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年6月
安倍文殊院 ではいただけません
広告

あべもんじゅいん

安倍文殊院 のお参りの記録(1回目)
奈良県桜井駅

投稿日:2022年09月29日(木)
参拝:2021年12月吉日
(過去参拝)
安倍文殊院に参拝しました。

三人寄れば文殊の知恵でお馴染み、文殊菩薩を御本尊とされているので、奈良県民には合格祈願のお寺として昔から親しまれています。

大化の改新で活躍した、左大臣・安倍倉梯麻呂が大化元年(645)に安倍一族の氏寺として建立した日本最古に属する寺院。華厳宗東大寺の別格本山としてその格式も高く、御本尊の文殊菩薩は日本最大(約7m)・快慶作の国宝である。

また、日本三文殊の第一霊場「奈良県・大和安倍の文殊」(京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊)としても知られています。

コメント、随時更新します。

安倍文殊院 (奈良県)
国宝 渡海文殊群像(本堂内撮影不可の為仏像は全て資料引用)
文殊菩薩が脇侍と共に、知恵を授ける説法の旅に出かける様子を表しているそうです。
5つの像は全て国宝にされています。
安倍文殊院 の仏像
御本尊 国宝 騎獅文殊菩薩像(鎌倉時代・快慶作)
御本尊の文殊菩薩は獅子に乗られ、右手は「降魔の利剣(ごうまのりけん)」という剣を持ち、左手には慈悲・慈愛を象徴する蓮華(ハスの花)を持たれています。文殊菩薩の胎内墨書銘より、建仁三年(1203)の大仏師・快慶の作と判明しています。
木彫極彩色の騎獅像は、高さが約7mあり日本最大です。(HPより)

獅子は人間にとっては怪物であるが、文殊菩薩が乗ることによっておとなしく、いい子になる。文殊菩薩の知恵力で怪物を抑え込んでいる。
安倍文殊院 (奈良県)
文殊菩薩を中央に、向かって左に維摩居士(最勝老人)と須菩提像(仏陀波利三蔵)全て国宝
須菩提はお釈迦さまのお弟子、十大弟子の一人。バラモンの僧であった仏陀波利三蔵は文殊菩薩に言われインドから中国へ『仏頂尊勝陀羅尼経』を翻訳し広め、現在も文殊菩薩の聖地である五台山に留まっていると伝えられています。
文殊菩薩に向かって左後ろに立つ老人像は維摩居士(ゆいまこじ)と呼ばれる像です。「維摩経」によると維摩居士が病気であった際、お釈迦さまが文殊菩薩を見舞いに送り、すばらしい法論が生まれたという話があります。
維摩居士はお釈迦さまの時代の在家信者。
一緒に集団生活をして修行するのではなく、今でいう、自宅で通信教育を受けるような感じで学び修行された。通信教育の生徒であるが、ものすごく賢く、優れた人であったそうです。
安倍文殊院 の仏像
向かって右に獅子の手綱を持つ優填王像と先導役の善財童子像(鎌倉時代・快慶作)
文殊菩薩が乗る獅子の手綱を持つ優填王像(うでんのう)は西域・優填国の王であったと伝えられています。華厳経の新訳本が優填国の僧によって成されるなど、華厳経と優填国には密接な関係にあることから執り入れられたものと思われています。
善財童子は裕福な家の子供として生まれた。ある時仏教に目覚め、文殊菩薩に仏の悟りを得るための教えを問うと、文殊菩薩に53人の指導者に出会い德を積みなさい、そうすれば最後に普賢菩薩に会えるから、と教え導かれ、53人を訪ね歩いたとか。
お顔が正面を向いていますが、本来は文殊菩薩に呼び止められ文殊菩薩を振り返りながら見ているお姿をされています。
安倍文殊院 (奈良県)
本堂
たくさんの絵馬が。皆さんの願いが叶いますように。
安倍文殊院 (奈良県)
安倍文殊院 の建物その他
金閣浮御堂(HPより)
金閣浮御堂・霊宝館は開運弁財天(大和七福神)、安倍仲麻呂、安倍晴明の御尊像、安倍晴明の御尊軸をはじめ陰陽道に関する宝物をお祀りしている御堂です。
堂内の六面の壁面には秘仏の十二天御尊軸(室町時代)がお祀りされています。
十二天とは四方(東・西・南・北)と、四隅(東北・東南・西北・西南)の八方、天と地、日と月、すべての方角を司る守護神です。
古来より七難即滅七福即生、私達は一生の内に七つの思いがけない災難があると言われています。
この御堂は「七まいり」という魔除け・方位災難除けを祈願する願掛けの修行場となっています。
「七まいり」では、そうした七難に遭わないために、旅行や転勤、引越しなど、どの方角に向かっても災難が起きぬ様、魔除け・方位災難除けの神仏が安置されている御堂の回廊を「おさめ札」を納めながら七回まわります。七難を取り除き、堂内で福を得る参拝の方法です。
安倍文殊院 の本殿
(堂内写真は全て資料引用)
中央に弁財天像/大和七福神本尊
(室町時代) 右側に阿倍仲麻呂公像(室町時代)
左側に安倍晴明公像(室町時代)が安置されています。
安倍文殊院 (奈良県)
大和七福八宝霊場の弁財天です。この弁財天のお姿を八臂弁天(はっぴべんてん)と言い、八本の腕を持ち、十五人の童子を儒者として従える、真言密教に伝わるお姿をしています。
安倍文殊院 (奈良県)
安倍仲麻呂
安倍仲麻呂は当山で生まれたと伝わる奈良時代の日本人の官僚です。遣唐使として中国に渡り、科挙に合格し玄宗に仕えました。現在の安倍寺跡の横に仲麻呂屋敷があったと伝えられており、室町時代から祀られてきた安倍仲麻呂の坐像は、現在は金閣浮御堂内に安置されています。
安倍文殊院 (奈良県)
陰陽師 安倍晴明
安倍晴明は当山で生まれ天文観測をしたと伝わる陰陽師です。陰陽道の祖としても知られており、当山は安倍一族の寺として安倍晴明信仰の聖地の一つに数えられております。安倍晴明像は晴明社の主神として古来より祀られており、現在は金閣浮御堂内に安置されています。
安倍文殊院 (奈良県)
写真左側に安倍仲麻呂の石碑望郷之詩

百人一首
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも」
秀才揃いの安倍一族の中でも、最も優秀だったとされます。
唐、中国大陸に渡っていた時、唐の玄宗皇帝に大変気に入られ、日本に帰りたいと思う安倍仲麻呂は、玄宗皇帝に安倍仲麻呂の知恵が必要とされ、唐に留まるよう引き留められた。その際に、故郷を思い切ない気持ちを読んだ詩と言われている。

ちなみに、玄宗皇帝の妻は楊貴妃だとか😳
安倍文殊院 (奈良県)
文殊院西古墳 特別史跡
日本には全国で約16万基ある古墳のうち、特別史跡となると9基しかないそうです。
とても貴重な古墳ですね。
安倍文殊院 (奈良県)
願掛け不動
古墳の中には、空海が彫ったのでは無いかと言われている、願掛け不動像があります。
石室の石の配置、精巧な造りが素晴らしい。
安倍文殊院を建立した安倍倉梯麻呂のお墓かも知れないと言われています。
そう考えると、安倍倉梯麻呂という人は、頭脳明晰で、計算に長けた人であったのかも。
安倍文殊院 (奈良県)
手水舎
安倍文殊院 の建物その他
安倍文殊院 (奈良県)
安倍文殊院 の鳥居
⛩⛩
安倍文殊院 の鳥居
⛩⛩⛩
安倍文殊院 (奈良県)
(HPより)白山堂は、室町時代に建立されました。流造屋根柿葺(こけらぶき)で美しい曲線の唐破風をもった社殿で、国の重要文化財にも指定されています。御祭神は全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神である菊理媛神(くくりひめのかみ)で、当山の鎮守です。白山信仰と陰陽道は古くより深く結びついた為、安倍晴明ゆかりの当山に白山神社の末社が勧請されました。菊理媛神は『日本書紀』によると伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の縁を取り持たれた神様で、菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながり、古来より縁結びの神様としても信仰されています。「縁」は巡り合わせでもあることから、人と人を結ぶ良縁成就も御祈願下さい。とのこと。
安倍文殊院 (奈良県)
(HPより)
晴明堂は、平安時代の陰陽師・安倍晴明をお祀りしています。当山は安倍一族の寺として古来より安倍晴明信仰の聖地の一つとして数えられています。平成十六年(2004)、安倍晴明千回忌を迎えるにあたり二百年振りに晴明堂が再建されました。正面にある「如意宝珠」は、いかなる願望も意のままに成就し、また悪を払い、災難を防ぐ功徳があると信じられている玉です。参拝の方は御自身の手で如意宝珠を撫で、魔除け方位災難除けを御祈願下さい。
安倍文殊院 (奈良県)
安倍文殊院 の建物その他
東古墳
安倍文殊院 の建物その他
安倍文殊院 (奈良県)
安倍一族の氏寺、ということで献燈されたのでしょうか?
安倍文殊院 (奈良県)
11月中旬~4月末頃までは、パンジー8000株を使った干支を描くジャンボ花絵
2022年の干支寅🐯の花絵でした。
安倍文殊院 (奈良県)
安倍文殊院 (奈良県)

すてき

御朱印

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

コメント
お問い合わせ