おしさかにますいくねじんじゃ
忍坂坐生根神社奈良県 大和朝倉駅
参拝自由
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大和国城上郡の式内社です。生根神社というと住吉大社の隣にある"奥の天神"や西成区の"上の天神"と呼ばれる生根神社は有名ですが、こちらも御祭神が共通しています。やはりこの「生根」というのが薬に関係しているようですね。
《表参道》
この神社には境内入り口に鳥居がなく、その途中に細い参道がありました。そして何やら杉の枝のついた縄がぶら下がっている・・・お参り途中に由緒書きの看板の測定に来た現地の人に伺うと、この縄が縄が鳥居の代わりをしており、毎年大晦日に宮山の注連縄を取り替えた時に設置されるんだそうです。なので細いですがここを表参道と言っても過言ではないですね。
《社務所》
普段は無人のようです。
《手水舎》
柄杓は置いてありました。
《末社・神女神社》
《由緒書き》
この神社には昔から「以久禰薬」というものが伝わっており、この薬の作り方も昭和までは伝わっていたんだそうです。具体的に神社に関連して薬が伝わっているというパターンは初めてかもしれません。
《拝殿》🙏
《拝殿裏》
👁チェックポイント‼️
実はこの神社も本殿がなく、拝殿裏にある宮山とそこにある磐座を御神体としているそうです。残念ながら裏手は禁足地なので磐座がどのようなものなのかは分かりません。
ですが、こうした磐座信仰という古い信仰を維持しているというのは篤い崇敬を受けていないと維持できないものです。素晴らしい。
《蝋燭台》
ちょうど私がお参りした時に、近所の人らしき女性陣がこの蝋燭台と灯籠に火を灯していました。日が暮れた頃に見たら綺麗だったでしょうね。
《末社・天満宮》
同じく末社の神女神社、愛宕神社より大きめに作られています。
《掲示板》
生根神社までの道中にありました。この神社のことだけでなく、近くのお寺や歴史的建造物なんかについても詳しく書かれています。
というかよく見たら参道前にある3本の注連縄についても書かれていますね・・・
当社は天平二年(730年)の『大倭国正税帳』に、また延長五年(927年)の『延喜式』神名帳にも名前が見える古社で、本殿を持たず宮山を御神体とし拝殿の北側に神が鎮座す「石神」と称する自然石十数個を並べた磐座があります。
この忍阪の地は隅田八幡宮所蔵の国宝人物画像鏡に刻まれた「意栄沙加宮」の地ともされ、第二十六代継体天皇が磐余玉穂宮に即位される以前におられた処とされています。また忍阪大中姫命や衣通姫が居られたとも伝わり、『大和志料』では額田部氏の祖天津彦根命を祀るとも記され、平安時代の医書『大同類聚方』に当社相伝の「以久禰薬」(額田部連の上奏)のあることを伝えています。その薬の製法は昭和の初期まで伝わり、また額田部氏が居住したとするこの地で額田王と鏡女王姉妹との繋がりや息長足日広額天皇(第34代舒明天皇)の陵墓があることから息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。












| 名称 | 忍坂坐生根神社 |
|---|---|
| 読み方 | おしさかにますいくねじんじゃ |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約10分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| ご祭神 | 少彦名命
天津彦根命 |
|---|---|
| ご神体 | 宮山(磐座) |
| 創建時代 | 不詳 |
| 本殿 | なし |
| ご由緒 | 当社は天平二年(730年)の『大倭国正税帳』に、また延長五年(927年)の『延喜式』神名帳にも名前が見える古社で、本殿を持たず宮山を御神体とし拝殿の北側に神が鎮座す「石神」と称する自然石十数個を並べた磐座があります。
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| 体験 | 有名人のお墓伝説 |
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