にょいりんじ
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楽しみ方如意輪寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年11月22日(土) 19時30分24秒
参拝:2025年11月吉日
今回の吉野山ホトカミ巡りは、こちらの如意輪寺さんでとりあえず打ち止め。
思えば、帰りの電車の時間が気になって全体的じっくり見ることができませんでした。ちょっと、いや、だいぶ残念。次来る機会があるのならば、穴のあくほど見てまわりたいものです。ハイ。
如意輪寺さんは吉野山のメイン道路から外れているので、たいへんでした。
思えば、帰りの電車の時間が気になって全体的じっくり見ることができませんでした。ちょっと、いや、だいぶ残念。次来る機会があるのならば、穴のあくほど見てまわりたいものです。ハイ。
如意輪寺さんは吉野山のメイン道路から外れているので、たいへんでした。


山門
神仏分離令の際に、如意輪寺は廃仏毀釈による影響を天皇陵があることから免れたが、山門は焼かれそうになった為、火が掛けられた焦げ跡がある。廃仏毀釈を物語る当寺唯一の名残である。
神仏分離令の際に、如意輪寺は廃仏毀釈による影響を天皇陵があることから免れたが、山門は焼かれそうになった為、火が掛けられた焦げ跡がある。廃仏毀釈を物語る当寺唯一の名残である。


山門の花玉が綺麗。

本堂

本堂


不動堂
難切不動尊をお祀りする御堂。
難切不動尊をお祀りする御堂。

難切不動尊


弁内侍(べんのないし)
弁内侍は日野俊基の娘で、才色ひときわ勝れた美貌の持ち主で、いつどこで見初めたのか高師直が恋慕し、策を講じ誘い出し、都への拉致を図ります。折しも、正行が吉野に参内するため石川辺りに差し掛かった際、中から泣き声の聞こえる怪しげな駕籠に遭遇し、拉致された弁内侍を助け、吉野に送り届けました。
正行が四條畷の合戦で討死したことを知った弁内侍は、深い悲しみに沈みます。しかし正行への追慕の情を絶ち難く、ここ如意輪寺で黒髪を切り、
大君に仕えまつるも今日よりは
心にそむる墨染めの袖
と詠い、尼となって吉野山を下り、山口村龍門の西蓮華台院(現西蓮寺)に入り、寂滅するまで正行の菩堤を弔い、正行への貞節を護ったと云われています。
弁内侍は日野俊基の娘で、才色ひときわ勝れた美貌の持ち主で、いつどこで見初めたのか高師直が恋慕し、策を講じ誘い出し、都への拉致を図ります。折しも、正行が吉野に参内するため石川辺りに差し掛かった際、中から泣き声の聞こえる怪しげな駕籠に遭遇し、拉致された弁内侍を助け、吉野に送り届けました。
正行が四條畷の合戦で討死したことを知った弁内侍は、深い悲しみに沈みます。しかし正行への追慕の情を絶ち難く、ここ如意輪寺で黒髪を切り、
大君に仕えまつるも今日よりは
心にそむる墨染めの袖
と詠い、尼となって吉野山を下り、山口村龍門の西蓮華台院(現西蓮寺)に入り、寂滅するまで正行の菩堤を弔い、正行への貞節を護ったと云われています。

御門
御霊殿の前の門で、この門は菊の紋があしらわれており、皇族の方が参拝されるときと後醍醐天皇のご命日に行われる後醍醐天皇御忌法要のときにのみ開かれる。
御霊殿の前の門で、この門は菊の紋があしらわれており、皇族の方が参拝されるときと後醍醐天皇のご命日に行われる後醍醐天皇御忌法要のときにのみ開かれる。

御霊殿
後醍醐天皇が自身で自分を彫った木像とともに、後醍醐天皇から後亀山天皇までの南朝御歴代天皇の御尊牌(御位牌)が奉祀されている。
後醍醐天皇が自身で自分を彫った木像とともに、後醍醐天皇から後亀山天皇までの南朝御歴代天皇の御尊牌(御位牌)が奉祀されている。


猫手水

猫不動
すてき
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