よしのみくまりじんじゃ
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楽しみ方吉野水分神社(吉野町)のお参りの記録一覧
ちょっと社殿の配置がかわっている神社さん。カタカナのコの字を描くように参拝します。
世界遺産に参詣できたことに感無量です。



楼門



手水舎

延喜式内大社 吉野水分神社

楼門をくぐります。


木造 西行法師坐像 益田慶運作
江戸·天明5年(1785)
袈裟を着けた温和な老相の西行像で、西行庵に伝来したが、現在は吉野水分神社にて祀られる。
ヒノキ材の一木造りで、背面の陰刻銘から天明5年、江戸の大井八右衛門定恒が願主となり、益田慶運に彫らせて奉納したことがわかる。

拝殿

拝殿




慶長9年(1604)豊臣秀頼公 寄進の神輿(八角八棟造り)

弊殿



本殿

本殿(左殿)

本殿(正殿)

本殿(右殿)

本殿(三殿一棟)

紫神社


楼門裏

吉野水分神社 世界遺産

吉野水分神社 世界遺産

吉野水分神社 世界遺産

吉野水分神社 世界遺産

吉野水分神社 世界遺産

吉野水分神社 世界遺産

ロープウェイ吉野山駅下車 徒歩約一時間半に有る神社です。
無料の駐車場あり(2~3台) 吉野ロープウェイ 吉野山駅から吉野大峯ケーブルバス吉野山奥千本口ラインで23分、バス停高城山展望台下車、徒歩15分。バスは1~2時間に1本程度。
御祭神 天之水分大神
桃山様式のたいへん美しい本殿や楼門・拝殿などからなる神社で、豊臣秀頼によって再建されたようです。
本殿は一間社春日造り、左右の2殿は三間社流造りで、3殿を1棟続きにしてあり、庭を挟んで左に拝殿があります。

鳥居

楼門
桃山時代(慶長9年 1604年 再建)

境内
庭を挟んで左が拝殿右が本殿

本殿


1604年(慶長9年)豊臣秀頼公 寄進の神興(八角八棟造り)


御朱印をいただきました

創建不詳。
本来は水の分配をつかさどる神だが、「みくまり」が訛なまって「みこもり(御子守)」となり、子守・子授けの神とされるようになり子守宮とも称する。
1594年豊臣秀吉が子授け祈願をし秀頼を授かったことから、1605年豊臣秀頼が現在の社殿を再建している。
神仏分離していたが、明治の神仏分離で金峯山寺から独立した。本殿・幣殿・拝殿・楼門・回廊は重文指定されている。



楼門

楼門



回廊

回廊

本殿

本殿

本殿右殿

本殿正殿

本殿左殿

柴神社

幣殿

幣殿

幣殿

豊臣秀頼寄進の神輿(1604年)

豊臣秀頼寄進の神輿(1604年)

神輿

神輿

大神社

拝殿

拝殿

拝殿

西行法師座像(1785年)

参拝記録

金峯神社から吉野水分神社に行く途中

紅葉が始まってて綺麗。








吉野水分神社


境内から本殿

幣殿 拝殿





本殿

本殿から楼門

境内から幣殿


参拝させて頂きました。個人的にはこの日最もインパクトあった神社です。建物は本殿など重要文化財に指定されてます。あの本居宣長も訪れていたとの事なのでとても楽しみでした。門を潜ったら、最初は寂れているといっても良いくらいの古びた建物の印象でしたが同時に自分がタイムスリップしたような、建物が経た何百年歴史が一気に目の前に現れたような不思議な感じになりました。ほ社務所はなかったですがノートがあって御朱印を希望する方は送付頂けるとの記載あり。世界遺産の金峯神社も訪問される場合は徒歩でも車でも金峯神社を先に行くべきでした。今回吉野水分神社に先に行ったら金峯神社へは一方通行箇所がありぐるっと迂回せざるを得ませんでした。










【吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)】
吉野水分神社は、創建年代については不詳。「みくまり」がなまって「みこもり」となり、子授けの神社として信仰を集めている。豊臣秀吉が吉野の花見で𠮷水院(現・𠮷水神社)を本陣とし5日間滞在したおりに当神社を訪れ子授けを祈願し、秀頼を授かったと伝わる。別名、子守宮と称す。
吉野水分神社は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産の一つ。
-祭神ー
① 天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)…水の分配を司る神。
他6神
~吉野を巡る(4/7)~
上千本にある神社。境内の枝垂れ桜がきれいです。どんどん人が増えます。

【枝垂れ桜】

【吉野水分神社まで徒歩20分】

【上千本】




【鳥居】

【手水舎の龍】

【本殿】
国の重要文化財。

【拝殿】
国の重要文化財。

【拝殿】

【神輿】

【幣殿】





【御朱印】

金峰神社のある奥千本を後に花矢倉展望台経由の道を徒歩で下って吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)を参拝いたしました。 こちらもユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する資産の一部として登録されています。 「水分」とは「みくまり=水配り」と言う意味をもち、大和国は盆地という地形の関係上、雨が少なければ干ばつに悩まされ、さりとて雨が多ければ水害にも悩まされてきた地勢であった為、平安遷都以前から朝廷によって奈良の主要な水系に位置する吉野、宇陀、葛木、都祁の四つの地域に於いて水分社が建立され水分神が信仰されてきました。 吉野水分神社は葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社と共に大和国四所水分社の一つとして流水を分かち配ることを司る神・天之水分神(あめのみくまりのかみ)を主祭神に祀り、古来より祈雨・雨乞いの神事が行われてた歴史ある神社です。 創建年代については不詳なるも、最も古い記録では「続日本紀」に、文武天皇2年(698年)雨乞いの為に馬を献じたとも記されているそうです。 「みくまり」はまた「みこもり=御子守り」と訛り、平安時代中期頃になると吉野水分神社は「子守明神」「子守宮」とも呼ばれるようになって、子授け・安産・子どもの守り神として篤い崇敬を集めるようになっていきます。 現在の社殿は慶長9年(1604年)年に豊臣秀頼(とよとみひでより)によってが再建が成されたものだそうですが、父である豊臣秀吉(とよとみひでよし)がここで子授け祈願をし願いが叶って授かったのが秀頼だったという由縁もあるようです。 楼門を入ると右側に三殿一棟造りの本殿、中庭を挟んで左側に拝殿があり、中庭の枝垂桜はまだ僅かに散り際の花姿を見せてくれました。

吉野水分神社・鳥居

吉野水分神社・桜門

吉野水分神社・手水鉢

吉野水分神社・境内
中庭の枝垂桜

吉野水分神社・幣殿
「子守大明神」の扁額、奥には八角形の神輿

吉野水分神社・本殿
中央が春日造、左右は流造の三殿を一棟に連ねた珍しい造り

吉野水分神社・拝殿

吉野水分神社・本殿
別の角度から

御朱印

吉野山上千本にある神社です。
この神社の名前は「水分」と書いて「みくまり」と読みます。「みくまり」とは「水分 = 水配り」と言う意味をもち、水分神社とは流水を分かち配ることを司る神「天之水分神(あめのみくまりのかみ)」を祀っている神社のことだそうです。
後に「みくまり」=「みこもり」と読み、「身ごもり」=子授けや子どもを守り育てる神としても信仰されるようになりました。
豊臣秀吉も子授け祈願に訪れ、秀頼を授かった、「古事記伝」を著した本居宣長も自身が水分神社により授かった子であると伝えられています。
本殿・拝殿・弊殿・楼門・回廊は1605年に豊臣秀頼によって再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。








遠くに金峯山寺が見えます。




長い間の念願だった吉野の桜を見に出かけました。同時に吉野山の神社仏閣も参拝。
まず始めは山頂近くにある吉野水分神社。霊山吉野山の水の分配を司る天水分大神が祀られます。コの字型の特徴的な社殿で、正面に拝殿、左に幣殿、右が境内社の配置です。
趣深い質素な建物で、一人だと近寄りがたいと思いますが、当日は桜見物の人で一杯でした。
相当の山登りなので、歩きやすい服装と靴は必須。桜の季節でなければ車でも登れそうです。

御朱印頂きました。

境内社の大神社。

鳥居を潜って石段を登ります。

楼門。

左が拝殿、奥が本殿です。拝殿内に社務所もあります。

桜の木の向こう側、人が並んでいる所が本殿。ここで参拝です。

本殿前から楼門を望む。

上千本の桜です。満開!
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