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ゆっくん
2024年02月19日(月)
2354投稿
生々しい碑文より 山岳重畳として耕すべき田畑の少ないこの村が国策に則り 昭和十五年五月 紀元二千六百年記念業として満州十津川村 建設要綱を策定した満州分村計画は 古より一朝事あるとき進んで国難に殉ずる気風を尊しとした村民の意気を表すものであった 斯くして村は十九年までに百十戸 三百三十三名の開拓団員とその家族を送り出したが 戦況は悪化し日本の敗戦と二十年八月十七日ソ連軍の侵攻により 戦場に赴いた五十八名の団員の消息も知れぬまま 第二の故郷と定め軌道に乗りつつあった思い出多い開拓農場を放棄せざるを得なくなり 団員家族と同年五月に渡満した報国農場隊員は望郷の思いを込めて呼び親しんだ玉置山に名残をおしみつつ農場を退避した 省みればこの日が三百三十五名の悲劇の始まりであった 酷寒零下三十度の北満でソ連将兵の軍靴の音に脅える収容所生活 飢えと寒さに痩せ衰えた体に重労働を強いられ終に病に倒れた人々 既に物言わぬ母の乳房に縋ったまま息絶えた幼子 恋しい父母の名を呼びつつ冷たい床の上で息を引き取った少年や 男装のまま事切れた少女達など その最期の悲惨なる様はてずれも聞く者に断腸の思いをせしむるものがある終戦後既に五十年 改めて満州開拓団の悲劇に思いを致し 犠牲者の霊を悼み ここにその名を刻して永遠に語り継がんとするものである 願くは二百四十一名の霊よ 此処に帰り安らかに眠られんことを祈る
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