こじまでら|真言宗御室派|子嶋山 報恩山
奈良県 壺阪山駅
アクセス:高市郡高取町観覚寺544
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2023/6/22参拝
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大和七福神巡りを古い情報を持って巡ってました。お寺は無人でした。 看板があって、七福神ご朱印は長谷寺に移られたとか。出直します。
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近鉄壷阪駅近くにある寺院。 国宝・両界曼荼羅図(奈良国立博物館寄託)と重文・十一面観音(東京国立博物館寄託)の文化財を所有する。 山門は高取城の二の門を移築したもの。
紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図(子島曼荼羅)(国宝) 木造十一面観音立像(重要文化財)
壺阪寺に次ぐ古刹。創建については諸説あるが、寺伝では孝謙・桓武天皇の病を癒した報恩大徳により、天平勝宝4(752)年に開かれたとする。一時は21坊もの伽藍を誇り、大和国の観音霊場として信仰を集めた。山門は高取城二ノ門を移築したもの。子島曼荼羅の通称で知られる国宝「紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図」は、日本三大曼荼羅の一つ。
子嶋寺(こじまでら)は、奈良県高市郡高取町観覚寺にある高野山真言宗の寺院。山号は子嶋山(報恩山とも)。本尊は大日如来。開山は寺伝では僧・報恩と伝える。 平安時代中期作の国宝・両界曼荼羅図(子島曼荼羅)を伝えることで知られる。「清水の舞台」で知られる京都東山の清水寺は子嶋寺の僧・延鎮によって開かれたとされ、平安時代中期以降は真言宗子嶋流の道場として栄えるなど、歴史的に重要な寺院である。 なお、以前は大和七福神(三輪明神、大黒天(子嶋寺)、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)のひとつであったが、現在は経営上の理由から大黒天の朱印は子嶋寺から長谷寺に移管されている。
歴史[編集] 創建[編集] 奈良時代以前の創建を伝えるが、草創の時期や経緯については複数の説がある。現在の子嶋寺は近鉄壺阪山駅近くにあるが、各種史料に「子嶋山寺」と見えるところからも、創建当時は山間部に位置していたと思われる。平安時代中期には一時衰退し、興福寺の僧・真興(しんごう)によって中興された。寺号は古くは子嶋寺または子嶋山寺、真興による中興以降は「観覚寺」、近世には「千寿院」と称されたが、近代に入って「子嶋寺」に復称した。子嶋寺付近の地名を「高取町大字観覚寺」というのは旧寺号に由来する。 創建の事情についてもっとも流布している説は『元亨釈書』の吉野山報恩伝、『本朝高僧伝』の報恩伝...Wikipediaで続きを読む
アクセス[編集] 近鉄吉野線壺阪山駅下車、徒歩
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