たちばなでら|天台宗|仏頭山
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楽しみ方橘寺のお参りの記録一覧

聖徳太子生誕の地。なので境内は見どころもいっぱい。本堂には御本尊・聖徳太子像に、珍しい伝教大師の像と法然上人の像が隣同士に。そして個人的には一番気になった田道間守。菓祖神として崇められ、京都の吉田神社内の菓祖神社でも祀られていますが像は初めて拝見しました🤗観音堂横には親鸞聖人像もありなかなかの顔ぶれ。各御堂お参りして御朱印を拝受いただきました🤗

聖徳皇太子御誕生所石碑(東側参道)

同石碑(北側参道)

歌碑?

上の訳

歌碑

由緒

山門(西側)

手水舎

同扁額

歌碑

石塔三体

親鸞聖人

護摩堂


大棟鬼瓦

観音堂

同正面。如意輪観音。

同扁額

金堂跡

経堂・阿弥陀如来

賓頭盧さん

本堂・太子堂

新西国霊場表札

三光石

阿字池

土蔵

五重塔跡

境内図と年表

本坊

鐘楼


廻廊跡


歌碑

同説明

聖倉殿

往生院

同扁額

天井画



お犬様

歌碑

同

辨天堂

放生池

二面積案内

悪面

善面


神馬。ちょっとやつれ気味?



中門跡

東門横。

東門。正門・

阿

吽

参道

実は早咲きの河津桜を目当てに明日香村にきたのですが、今年は寒波襲来でまたまだ蕾…
諦めて帰ろうと、思いましたが通りがかりに見かけた橘寺さまにお邪魔しました^ ^
こちらも創建時は広大なお寺であったとのことでかの聖徳太子さまが建立され、さらにはお生まれになった橘の宮があったところとのこと^ ^
以下、橘寺の創建と変遷より
当寺は、聖徳太子様のお生まれになった所で、当時ここには、橘の宮という欽明天皇の別宮があった。太子は、その第四皇子の橘豊日命(後の三一代用明天皇)と穴穂部間人皇女を父母とされて、西暦五七二年この地にお生れになり、幼名を厩戸皇子、豊聡耳皇子などと申し上げた。太子は大変深く仏法をご信仰になり、自ら仏典の講義をされ注釈を加えられたのが三経義疏で、現在も保存されている。三三代推古天皇一四年秋七月(西暦六〇六)に、天皇の仰せにより、勝鬘経を三日間にわたりご講讃になった。その時、大きな蓮の花が庭に一mも降り積もり(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるよう太子に命ぜられた。そこで御殿を改造して造られたのが橘樹寺で、聖徳太子建立七カ大寺の一つに数えられた。当初は東西八丁(八七〇m)南北六丁(六五〇m)の寺地に、金堂、講堂、五重塔を始め六六棟の堂舎が建ち並んでいた。天武天皇九年(西暦六八一)尼房失火の為十房焼いた記録があり(日本書紀)、当時尼寺であったのか。光明皇后より丈六の釈迦三尊、淳和天皇が薬師三尊をご寄贈になり、不断法華転読及び法華八講が修法せしめられた。法隆寺の金堂日記の中に「橘寺より小仏四九体、承暦二年(西暦一〇七八)十月八日迎え奉った」と記されており、玉虫厨子を移したのもこのころか。近衛天皇久安四年(西暦一一四八)五月十五日雷火のため五重塔焼失。六十年後鎌倉時代文治年間三重塔再建、「元興寺より四方仏を迎え奉った」などの記録あり。後柏原天皇永正三年(西暦一五〇六)、多武峯の兵により焼かれ全く昔日の面影を無くしてしまい、江戸時代には正堂、念仏堂共に大破し僧舎一棟のみと記されている。現在の堂は、元治元年(西暦一八六四)多くの人々の力により再建実現したものである。昔は法相宗であったが、江戸中期より天台宗になり比叡山延暦寺の直末で仏頭山上宮皇院橘寺、別名菩提寺とも言われている。

























【仏頭山(ぶっとうざん)上宮皇院(じょうぐうおういん)菩提寺(ぼだいじ)】
本尊:聖徳太子
宗派:天台宗
開基:聖徳太子
橘寺は、聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、橘寺という名は、第11代 垂仁天皇の命により不老不死の果実を取りに行った田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘の実を植えたことに由来するという。
境内の桜は、見頃を過ぎていますが、八重の桜が美しく咲いていました。参拝は、駐車場に近い西門から入りましたが、本堂は東向きの配置になっており、正式には、東門からのようです。

【東門】

【鐘楼】

【本堂(太子殿)】

【扁額】

【黒駒像】
太子の愛馬。

【観音堂】
本尊の如意輪観音は大きくて迫力があります。いいです。

【護摩堂】

【親鸞聖人】
親鸞聖人は聖徳太子を大変慕っていたゆかりで像が建てられたようです。

【二面石】

【二面石(善面)】

【二面石(悪面)】

【境内の路】

【御衣黄桜】

【白妙】

【普賢象桜】

【往生院】

【往生院の天井画】

【往生院の天井画】

【西門】

【手水舎】

【手水舎の龍】

【西門】

【西門】

【御朱印】

"倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣
山隠れる 倭し うるわし"
(「古事記」にでてくる歌)
明日香にひとたび足を踏み入れると、一気に時が巻き戻されます。自然とのんびりとした時間が流れていることに気が付き、心が開放されていくのが実感できます。何度来ても同じです。😌
ただ、ここは昔まさに豪族達が権力闘争を繰り広げた土地。天皇を中心に国がまとまっていく以前の話なので、相当昔のことですが。目を閉じ、想像力を大いに働かせても、人と人とが"争っている姿"は浮かびません。🤔
橘寺は、厩戸皇子(聖徳太子)出生の地とされています。寺伝によると、欽明天皇(太子の祖父)の「橘の宮」という別宮だったとのことです。
新西国霊場 第10番札所
山号:仏頭山
宗派:天台宗
御本尊:聖徳太子
創建:不詳

このなだらかな坂を上っていきます。


本堂
こちらで御朱印をいただきます。

二面石(飛鳥時代の石像物)

親鸞聖人像



いただいた御朱印です。

参拝の記録です。

新西国三十三所観音巡礼御朱印

聖徳太子御遺跡霊場御朱印









往生院

往生院の花天井

往生院の花天井

往生院の花天井

明日香村橘の天台宗橘寺、正式名称は仏頭山上宮皇院菩提寺らしい卍
聖徳太子誕生の地とされ、太子建立7カ寺の一つ。
創建時期は不明ですが、欽明天皇の別宮を改造して造られた当初は、東西870m南北650mの寺地に66棟の堂舎があったそうです。
聖徳太子勝鬘経講讃像、如意輪観音菩薩像、日羅上人像、だ太鼓の縁など重要文化財多数。
この日は秋の特別公開で聖倉殿(収蔵庫)も見学、奈良国立博物館から一時帰宅(?)の、聖徳太子絵伝(重文)の一部も見られました😄
御朱印は本堂にて二ついただきました🖌️

西門近くに駐車場ありました🅿

コスモス撮影の方も多数📷

カエルさんがお出迎え🐸

本堂と太子のお馬「黒駒ちゃま」🐴

二面石


経堂の賓頭盧さん✋

放生池

往生院天井画



五重塔跡

観音堂




聖徳太子ご誕生の地

往生院の天井画

本堂と黒の駒
太子の愛馬で空を駆け、達磨大師の化身といわれる

本堂



往生院



大棟鬼瓦


二面石
人の心の善悪二相を表わしたもの

善面

悪面



三光石


五重塔跡








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