ちゅうぐうじ|聖徳宗
中宮寺奈良県 法隆寺駅
10/1~3/20: 9時~16時(受付~15時45分) 3/21~9/30: 9時~16時30分(受付~16時15分)
ちゅうぐうじ|聖徳宗
10/1~3/20: 9時~16時(受付~15時45分) 3/21~9/30: 9時~16時30分(受付~16時15分)
ご本堂真正面からの撮影はご本仏が写るため禁止されています。
奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺東院伽藍の東に隣接する中宮寺(ちゅうぐうじ)にご参拝させていただきました✨
国宝の木造菩薩半跏思惟像(もくぞうぼさつはんかしゆいぞう)は、「スフィンクス」「モナリザ」と並び、世界三大微笑のひとつと言われる美しい仏さまです。(どうしても行きたかったお寺です。)
落ち着いた色合いとその華麗な艶つや、やさしい微笑み、ほんとうに素晴らしいです(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
真正面に座して五分間のガイダンスを聴きながら合掌🙏させていただき、ほーっと見上げさせていただきました😊
精進して また ぜひ ご参拝させていただけますように☺️
法隆寺東院伽藍(夢殿)の東に隣接して入れます☺️
中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は400メートルほど東にあった。現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。
平安時代の『聖徳太子伝暦』は、中宮寺は聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(間人皇后)の宮殿を寺としたと伝え、後には間人皇后自身が発願者であるという伝承も生まれる。鎌倉時代の顕真が著した『聖徳太子伝私記』の裏書には、「葦垣宮、岡本宮、鵤宮(いかるがのみや)の3つの宮の中にあった宮なので中宮といい、それを寺にした時に中宮寺と号した」との説が記載されている。
中宮寺は平安時代以降衰微し、鎌倉時代には中興の祖とされる信如によって復興が図られた。信如は文永11年(1274年)、法隆寺の蔵から聖徳太子ゆかりの「天寿国繍帳」を再発見したことで知られる。
江戸時代初期の慶長7年(1602年)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以後門跡尼寺として今日に至っている(門跡寺院とは、代々皇族、貴族などが住持する格式の高い寺のこと)。
住所 | 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 |
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行き方 | JR法隆寺駅から法隆寺門前行きバス終点下車徒歩8分
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名称 | 中宮寺 |
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読み方 | ちゅうぐうじ |
参拝時間 | 10/1~3/20: 9時~16時(受付~15時45分) 3/21~9/30: 9時~16時30分(受付~16時15分) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0745-75-2106 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.chuguji.jp/index.html |
聖徳太子霊跡 第15番 | 御本尊:如意輪観音 |
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神仏霊場巡拝の道 | |
大和北部八十八ヶ所 別格 | 御本尊:如意輪観音 |
ご本尊 | 如意輪観世音菩薩 |
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宗旨・宗派 | 聖徳宗 |
ご由緒 | 中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は400メートルほど東にあった。現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。
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