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東大寺をお参り後、春日大社へ
長い坂をゆっくりと登りきると、ひんやりとした空気が印象的でした。しばらく歩くと、小さなお参りどころ、ただ一言をお参りすると必ず叶えてくれるとのこと。びっくり驚きそんなことあるのかと思いましたが、帰りにお参りすることにしました。
いざ、春日大社へ
中に入ると本殿が奥の方に隠れておりましたが、チケットをもらい本殿の前へ。しっかりと顔を合わせてお参りしました。すみには大きな神木があり、ひっそりとでも神々しく佇んでいました。その後入り口近くの御朱印をいただきました。シンプルで、でも凛としている姿が、春日大社そのものを感じました。
帰りには、しっかりと一言お祈りしました。1文字1文字噛み締めながらお祈りしたので届けばいいなと思います。ただ、お祈りを一言でというのは難しいなと感じました…。
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春日大社 参拝⛩️ 奈良県9 二十二社上七社
御祭神 武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比売神
さすがです。春日大社すごいですね✨
御祭神が武甕槌命と経津主命だからか?鹿島神宮と香取神宮両方の雰囲気がありました。
朝イチだからかな?広大な敷地、山、森からは神聖な空気感が伝わってきました。
巫女さんも沢山いますね、皆さん頭に素敵な飾りを付けていてました。
今回上がった神社みんなそうですが、当たり前ですがイントネーションが関西という感じで良かったです✨
こちらが話すと逆に発音違うという感じで見返されてる感じがしましたね(笑)
春日大社本殿(世界遺産)
ご本殿に祀られる四柱の神様、第一神(武甕槌命)と第二神(経津主命)は藤原氏の氏神様で、第三神(天児屋根命)と第四神(比売神)は藤原家のご先祖とされます。
檜皮葺き、切妻、妻入り、母屋の前に向拝を付ける朱塗りの四所神殿は「一間社春日造り」といわれる。
現本殿は1863年(文久3年)に造営、古来の建築様式を今に伝える国宝です。

【世界遺産】
所在地:奈良県奈良市春日野町160
主祭神: 春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の総称)
社 格:式内社(名神大)、二十二社(上七社)、旧官幣大社、勅祭社、別表神社
創 建:768年(神護景雲2年)
由 緒
神山である御蓋山ミカサヤマ(春日山)の麓に、奈良時代の神護景雲2年(768)、称徳天皇の勅命により武甕槌命タケミカヅチノミコト様、経津主命フツヌシノミコト様、天児屋根命アメノコヤネノミコト様、比売神ヒメガミ様の御本殿が造営され御本社(大宮)として整備されました。現在、国家・国民の平和と繁栄を祈る祭が年間2200回以上斎行されています。
その中でも1200年以上続く3月13日の「春日祭」は、現在も宮中より天皇の御代理である勅使が参向され、国家・国民の安泰を祈る御祭文を奏上されます。さらに、上旬・中旬・下旬の語源に関わる宮中の「旬祭」、上巳・端午・七夕などの「節供祭」も平安時代に移され、今に至るまで斎行されています。
(HPより)
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全国に約3,000社ある春日神社の総本社で、ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されています。
768年に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀り、主祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とします。
藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、813年に藤原冬嗣が興福寺に南円堂を建立した際、その本尊の不空羂索観音は、春日社の第一殿の祭神・武甕槌命の本地仏であるとされました。
神仏習合が進むにつれて春日社と興福寺は一体のものとなっていくと、春日大明神は法相擁護の神とされ、947年からは神前読経が始められました。
神前読経は当初は興福寺の僧だけではなく東大寺の子院・東南院の僧も行っていて、1100年に白河法皇は神前での一切経読経のために一切経蔵を春日社に寄進すると同時に、読経をするのに必要な経費を得るための所領として興福寺子院大乗院に越前国坂井郡河口荘を寄進しています。
ただし、僧は本殿がある内院には入れませんでした。
興福寺や東大寺が平清盛と対立すると1181年12月28日に平重衡によって南都焼討が行われました。
これにより、春日社に隣接している興福寺と東大寺はほぼ全焼し、壊滅的な被害を被りました。
その一方で春日社は春日西塔と東塔が焼失した他、当寺は春日社の摂社で現在は大神神社の境外摂社となっている率川神社が全焼する被害が出ましたが、主要部はからくも被害を免れました。
戦国時代になると全国の荘園は各地の武将に横領されて収入は激減し、興福寺衆徒であった筒井順慶などが織田信長の家臣となるなどし、興福寺と春日社の威勢はすこぶる衰えていきました。
1580年には興福寺は2万1,000石、春日社は1,400石の石高しかなくなっていました。
豊臣秀吉の天下統一後の1595年には、春日社は秀吉により大和国添上郡大柳生、東九条、中城、大江に3,206石の所領を認められました。
参拝者が沢山いて、混んでました💦
御朱印は書き置きのみでした。



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