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楽しみ方興福寺 中金堂のお参りの記録一覧
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奈良国立博物館で素敵な時間を過ごしたあと 「そういえば『興福寺中金堂』の内陣を観てないなぁ」と思い出しましたので すぐ近くの興福寺に行きました。
中金堂は平成30年10月に落慶を迎え 2023年6月17日から一般公開されているのですが拝観していなかったのです。
国立博物館から興福寺の券売所まで直行しました。
混雑していませんでした。
さっそく中金堂の敷地に入りました。
写真では人がいるように見えませんが どこか修学旅行の生徒さんたちがいました。
内陣は撮影禁止です。
堂内には仮金堂に安置されていた釈迦如来像を本尊として還座。
薬王・薬上菩薩像(いずれも重文)が脇侍として安置され 須弥壇の四方は 旧南円堂所在の四天王像がかためます。(ネット情報)
御本尊が 興福寺国宝館にあるような仏像ではなく 金ぴかすぎてびっくりしました。
ネット情報です。
中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で 寺伝では創建者を当時の日本の律令制度をまとめ 藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等(ふひと)とします。
創建当初の中金堂の規模は当時の奈良朝寺院の中でも第1級でした。
当時は丈六釈迦如来像を中心に 薬王(やくおう)・薬上菩薩(やくじょうぼさつ)像と十一面観音菩薩像を脇侍(わきじ)に従え 四天王像 さらに養老5年(721)に橘三千代が夫不比等の1周忌に造立した弥勒浄土変の群像も安置されていたといわれています。
以後 創建より6回の焼失・再建を繰り返し 享保2年(1717)に焼失した後は財政的な問題により再建が進まず およそ100年経過した後に町屋の寄進により規模を縮小した「仮堂」を文政2年(1819)に再建します。
しかし あくまで仮設としての建立であったため 長期使用を想定しておらず 材木には不向きなマツが使われるなどしたため 急速に老朽化が進みます。
そして 創建当時の様式で復元すべく この仮堂は平成12年(2000)に解体しました。
その後 発掘調査を経て 平成22年(2010)の立柱式 平成26年(2014)の上棟式を経て 平成30年(2018)に再建落慶を迎え復元されました。

いま、ふたたびの奈良へ🦌 ⑥
奈良旅もついに最後の目的地の興福寺へ。あまり人が多くない橿原からレンタカーで北上しましたが、さすがに奈良公園近くは大勢の観光客で賑わっています。そして、至る所に鹿、鹿、鹿…🦌✨まさに奈良〜という光景に、やはりテンションが上がります。
興福寺は、国宝館の迦楼羅像に会いたくて訪れましたが、とても広い敷地で、建造物ごとにホトカミ登録もあるので、別々に投稿しようと思います。
興福寺は、1300年以上の歴史をもつお寺。その始まりは669年、藤原鎌足の病気回復を願い、夫人の鏡女王が建てた「山階寺」でした。壬申の乱の後、都が飛鳥に戻ると寺も移され、「厩坂寺(うまやさかでら)」と呼ばれるようになりました。さらに710年の平城遷都の際、藤原不比等によって現在の地へ移され、ここで「興福寺」という名前に。
その後、興福寺は天皇や皇后、そして藤原氏の支援を受けながら堂や塔が整えられていきました。だからこんなに規模が大きいのか…。
特に藤原北家との深い結びつきによって手厚く守られます。
まずは、一番目立つ中金堂で記念撮影。
興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物です。寺伝では創建者を藤原不比等としています。
今までに6回焼失、再建を繰り返し、現在の建物は平成30年(2018年)に再建落慶を迎え復元されました。




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