やくしじ|法相宗
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薬師寺のお参りの記録一覧

今日は薬師寺に写経に行ってきました。心を落ち着けたい時には伺います。
立派な写経道場があり、必要な道具一式が用意されているので思い立った時に手ぶらで行っても大丈夫。予約も要りません。多分席数は100席を優に超えると思います。
初めての人も係の人が作法等教えてくださいます。
そして写経をした人だけがもらえる御朱印帳があります。私は今日で5回目。
写経をすると拝観券がいただけるので、お参りの前に写経をして、その後その券で拝観したら良いです。
薬師寺は何度もお参りしていますが、お土産処と御朱印所がリニューアルされていました。
写経道場
薬師寺伽藍の外、北側にあります
写経道場
伽藍を南側から撮る
金堂
こちらに薬師三尊がいらっしゃいます
東塔
伽藍を北側から撮る
リニューアルされたショップ
写経したらいただける納経朱印帳と参拝券

奈良お寺巡り🏯18薬師寺へお参り🙏金堂に中央に薬師如来右に日光菩薩左に月光菩薩の薬師三尊像(国宝)が祀られてます室内は時間ギリギリだったので落ち着いた雰囲気でした☺️室内は撮影禁止🈲でした😅
薬師寺
興楽門
鐘楼
東塔
東塔
西塔
西塔
金堂
金堂
大講堂
大講堂
御朱印直書500円

奈良ひとり旅、最後の参拝は薬師寺へ。
プロジェクトXで東塔の全解体修理の回を見たのが、奈良旅行を決めたきっかけでした。
時刻は16時を回っており、17時の拝観終了ギリギリの到着。人もまばらです。
修復された東塔を近くで見ると、千年以上の時を経た木材と、新しい木材が組み合わされており、それでも千三百年の歴史を感じさせる重厚な佇まい。
東塔と西塔の中には、お釈迦さまの一生を刻んだ「釈迦八相像」のブロンズ彫刻が安置されています。現在97歳、文化勲章を授与された彫刻家、中村晋也さんの作。塔の四方から一相ずつ、覗き込むように彫刻を拝むことができます。
悠久の歴史を刻むパーツと、新しく組み込まれたパーツが一体となり、凛として立つ美しい東塔。胸打たれて、しばらく見入っていました。
参拝時間が終了する間際、滑り込みで御朱印をいただいて外に出ると、きれいな夕焼け。茜色に染まった塔やお堂の美しさもまた格別でした。
素晴らしい初詣の旅となりました。
東塔が茜に染まりその美しさに再び感動して一句。
モノクロの塔を朱に染む初茜

第148回 奈良まほろば塾に参加しました。
法話 「天武天皇と持統天皇」
講演 「ミツバチが消えたら、人類も危機に?」
薬師寺は、天武天皇の発願により飛鳥の藤原京に造営が開始され、平城京遷都後現在の地西ノ京に移転されたお寺さんです。ただ、飛鳥の薬師寺の伽藍も10世紀頃までは存続していたとされています。
天武天皇は、鵜野讃良(うののさらさ)皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し、お寺を建てようとしましたが、寺の完成を見ずに亡くなられました。伽藍整備は持統天皇、文武天皇に引き継がれます。
【東塔】(国宝)
青空をバックに塔の凛とした姿にため息が出ました。😯
【西塔】
こちらも負けじと美しい!
【金堂】
本尊·薬師三尊像が祀られています。
【大講堂】
弥勒三尊像が祀られています。
【玄奘三蔵院】

天武天皇が建立させたお寺です。
薬師三尊が御本尊です。
特徴的なのは金堂の東西にある東塔と西塔の形ですが、一見六重の塔に見えるのですが、実は三重の塔です。
薬師寺の鎮守、休ヶ岡八幡宮です
先ずはこちらでお清めをして薬師寺に参拝します
中門
入ると正面に金堂が有ります
御本尊は国宝の薬師三尊(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)
金堂の右側には東塔
左側には西塔
金堂の奥側には大講堂が有ります
弥勒三尊がお祀りされていますが、本来「弥勒菩薩」なのですが、こちらでは「弥勒如来」とされています
国宝の東院堂
観世音菩薩がお祀りされています
少し離れたところに「玄奘三蔵伽藍」が有ります
三蔵法師のご丁骨が安置されています
御朱印は薬師如来を書き入れして頂きました

私が、「そうだ!奈良に行こう!」と思ったきっかけは、もちろん、真言豊山派総本山で朝の勤行を体験したいこともあったが、たまたまNHKで観た薬師寺の解体修理の番組に感動したからであった。
NHKの番組の内容であるが。
矢沢永吉の大ファンであった大工見習が奈良で棟梁に出逢い、「薬師寺を建立した時の大工の気持ちになれ」と言われ、そこから自分の物語が始まるのである。
私は、工作だの手仕事だのは苦手だ。何せ、中学生時代にミシンで手を怪我するくらい不器用、今でも針で裾上げなど血が出る。
だから、大工さんの気持ちはわからない。
けれども、本来、薬師寺を建立しようとした天武天皇の気持ちは理解できる。当時は医療が発達していなかったので、薬師如来に切に懇願したいという思いがあったのだと思うのだ。
『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木偏に「察」)にも同趣旨の記述がある。しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。
「東塔檫銘」には、「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の即位八年、庚辰の歳、中宮(後の持統天皇)の病気のため、この伽藍を創り始めたが、完成しないうちに崩御したので、その意志を継いで、太上天皇(持統)が完成したものである」旨が記されている。ここでいう「天皇即位八年、庚辰之歳」は、『書紀』の「天武天皇9年」と同じ年を指している。すなわち、『書紀』は天智天皇の没した翌年(壬申年、西暦672年にあたる)を天武天皇元年とするが、天武が正式に即位したのはその翌年(西暦673年にあたる)であり、「天皇即位八年」とは即位の年から数えて8年目という意味である。
NHKの放送を観た当時の私は、鼠径部の痛みに悩まされていた。病院に行き、10月25日に大腸内視鏡検査の予約をしたばかりであった。
だから、その検査の前には是非、薬師寺に行きたい!そう願っていたのだ。
奈良公園、奈良駅から少し離れていたのが良いかもしれない。思ったほど観光客もおらず、特に外国人観光客に悩まされることなく、静かに参拝出来た。近鉄の駅が目の前で、特急に乗ってしまえば京都駅まで楽に行けるのであるが、この場所は静かすぎる。
聖地であり、静地だ。
もちろん、薬師如来に出逢うことが目的であった。なんと穏やかなのだろう。
女性スタッフが書いてくださった御朱印であるが、ここ数年間、色々な神社仏閣巡りをした中で、一番感動する文字であった。
受付スタッフに伺うと、ここの御朱印担当は皆、字が上手なのだという。
それだけ慣れているのであろう。
秩父札所巡りでも感じたが、手馴れている人は速いし、上手なのだ。
何しろ、秩父の場合は、あと5分後にバスがー、次は2時間半後ーー!みたいなこともあるので、都内や横浜辺りは遅いなーー、と思ってしまう。
紫式部の紫の実が、こちらへどうぞ!と招いてくれるようであった。
式部の実 時越え招く 薬師寺よ

「月例奈良まほろば塾第146回」に参加しました内容は
法話①目連尊者の親孝行
薬師寺 管主 加藤朝胤
演目②暮らしを彩る筆づくり 水谷豊
(敬称略)
でした。
目連尊者は、お釈迦様のお弟子さんで、神通力をお持ちでした。夏の暑い日のこと、尊者は仲のいい母と子を見て、何年も前に亡くなった母親を思い出し、神通力を使って会いに行くことにしました。
生前自分に優しかった母親、今はどこにいるのだろう···。探しているうちに、なんと地獄の入口に来ていました。そして、集熱地獄で横たわる母を見つけます。
嘆き悲しんだ目連尊者は、このことをお釈迦様に
話します。がそこで仲間から聞かされたのは、母親の悪業でした。家の前を通りかかった人に、水を乞われた時、「この水は目連のための水」と断ったそうです。インドでは、"お布施"は、執着心から離れるための大切な考え。目連尊者を大切にするが故他者に対してひどい仕打ちをしたわけです。
優しかった母親の今の姿に打ちひしがれた目連尊者は、お釈迦様に母親を救う方法はないものか尋ねます。が、過去は変えられないと言われます。でも母親ができなかったことを母親にかわり尊者がすることはできるとお釈迦様はお答えになります。
目連尊者は、雨期が終わり安居があけ、人々や僧侶が町に出ていく頃、美味しい食べ物や果物を用意します。(みんなに食べてもらうためです。)
再び母親を訪ねると、なんと白い雲に包まれて嬉しそうに空へ登っていくところでした。尊者は、大変喜びました。
"お盆"の話、初めて聞きました。仏壇に美味しい食べ物果物をお供えするのは、先祖をお迎えする日だから···今まではその程度の理解でしたが、意味がわかりました。
宗派:法相宗
御本尊:薬師三尊像
創建:680年(天武天皇9年)
【東塔】(国宝)
創建当時から残る唯一の建物。平成21年から12年かけて全面解体大修理が行われました。1300年前の人々もこの東塔を見ていたんだ〜。それにしても、どんな方々がどんな方法で建てたのだろう。何回見ても、驚きの一言です。
近鉄西ノ京下車。こちらの門から入ります。
【大講堂】
本尊:弥勒三尊像
【西塔】
【金堂】(国宝)
薬師三尊像
国宝薬師寺東塔全面解体大修理の様子がTVで放映されるそうです。2024.8.31(土)夜7:30〜。

第144回 "まほろば塾"に参加しました。
この日は、"慈恩殿"という建物の中で開催。白鳳伽藍の北の境内にあります。普段は入ることはできません。部屋の中には、元内閣総理大臣細川護熙氏作の障壁画があります。数年前のお披露目の際、中に入れていただき、見せていただきました。今回二度目の入室です。
法話は、"好胤和上の教え"。 加藤朝胤管主が
高田好胤和上について、楽しくお話してくださいました。
高田好胤(1924-1998)(大正13年-平成10年)
元薬師寺管主。小学校5年生で薬師寺入門。橋本凝胤により得度。管主に就任後、"百萬巻お写経勧進"
宣言。つまり、"お写経を勧め、納経料をいただくことで浄財を貯め金堂を復興させる。"というわけです。周りは"そんなこと実現できるわけない。"と思っていたそうです。
ところが、昭和五十年"写経勧進百万巻達成"。
翌年、金堂落慶法要が執り行われました。その後も
"お写経勧進"は続けられ、西塔、中門が復興されていったとのことです。
お話を聞きながら、雨漏りのする金堂で、お薬師さんに手を合わせながら、生涯の勤めを見い出していった少年の姿が浮かんできました。
私は美しい薬師寺さんの姿しか知りません。でも
お参りする度に、たくさんの方々の思いがつまったお寺さんなのだということを忘れてはいけないと思っています。
6月21日(金)〜23日(日)27回忌追悼法要が営まれます。
蓮の花が咲き始めていました。😌
東塔バックに···
右 【金堂】が見えます。
【東院堂】(国宝·鎌倉時代)
聖観世音菩薩立像(国宝·白凰時代)が安置されています。
いつもは中に入らせていただき、靴を脱いで上にあがりゆっくりお参りさせていただくのですが、この日は時間が···。😵💫外から手を合わせます。🙏
【中門】から金堂を眺めると···。
【中門】
【中門】
【金堂】
薬師三尊像が安置されています。中央に薬師如来 向かって右が日光菩薩 左が月光菩薩
【東塔】(国宝·白鳳時代)
【玄奘三蔵院伽藍】
【慈恩殿】
元は長久寺(大阪市)の本堂。谷町筋の拡張工事のためにこちらに移築されたそうです。
奈良県のおすすめ2選🎎
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