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とうしょうだいじ|律宗

唐招提寺の御由緒・歴史
奈良県 西ノ京駅

ご本尊廬舎那仏(国宝)、薬師如来立像(国宝)、千手観音立像(国宝)鑑真和上像(国宝)その他国宝の持仏多数。
ご由緒

『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものである。寺名の「招提」は、サンスクリット由来の中国語で、元来は「四方」「広い」などの意味を表す語であったが、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていた。つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味合いである。南都六宗の1つである律宗の総本山である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

歴史
歴史[編集] 『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものである。寺名は当初は「唐律招提」と称した。「招提」は、サンスクリットのチャートゥルディシャ・サンガ(「四方」を意味するcāturdiśaに僧団組織を意味するサンガをあわせた語。現前する僧だけでなく、全ての僧のための組織を意味する)に由来する中国語[1]で、四方から僧たちの集まり住する所を意味した。鑑真研究者の安藤更生によれば、唐では官寺でない寺を「招提」と称したという。「唐律招提」とは「唐の律を学ぶ道場」の意であり、後に官額を賜って...Wikipediaで続きを読む
引用元情報唐招提寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%94%90%E6%8B%9B%E6%8F%90%E5%AF%BA&oldid=101945061

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