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さなだじんじゃ

眞田神社

公式長野県 上田駅

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0268-22-7302

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

現在の御朱印・御朱印帳

御朱印(1種類)

眞田神社では、眞田神社の御朱印のほか、季節や行事に合わせたカラフルな御朱印が頒布されています。

眞田神社の御朱印

300円

真ん中に眞田神社と書かれ、右上に丸に勇と書かれた六連銭の印、真ん中に信州眞田神社上田の印、右下に3つの家紋(左から、五三の桐紋、六連銭紋、永楽銭紋)と「真田 仙石 松平 歴代城主の御霊 謹んで合祀奉る」の印、左上に菊のイラスト印、左下に霜月の印が入っています。
眞田神社は、元来、松平家の御先祖をお祀りする松平神社(しょうへいじんじゃ)でしたが、昭和25年に真田氏と仙石氏を合祀した後、昭和38年に現在の「眞田神社」に変更されました。
歴代城主の真田氏、仙石氏、松平氏を御祭神に祀っているため、真田家、仙石家、松平家の家紋が入っています。
この御朱印は月ごとにデザインが変わります。

限定御朱印(1種類)

登竜門の御朱印

300円

花柄の地に、真ん中に眞田神社と書かれ、左上に勇智仁の印、真ん中に信州上田城眞田神社本丸鎮座の印、右下に登竜門のイラスト印が押されています。
登竜門は、中国の故事が由来で立身出世のための関門とされ、上田城は徳川の大軍を2度にわたり勝利した「不落城」として知られることから、受験や心願成就で参拝される方のために境内に設置されました。
この御朱印は月ごとにデザインが変わります。

コロナウイルスの感染防止のため、現在は書き置きのみの頒布のようです。

このほか、季節や行事にあわせて特別御朱印が頒布されます。

御朱印帳(3種類)

眞田神社では、幸村、赤兜、眞田神社の3種類の御朱印帳が頒布されています。
眞田神社の御朱印帳が2色あります。

幸村の御朱印帳

1,500円

青色の地に、表面は馬上にて十文字槍を持った赤備えの真田幸村と六連銭のぼり旗が描かれ、右上に御朱印帳の文字、裏面は上部に上田城本丸東虎口櫓門が描かれ、真ん中に3つの家紋(六連銭紋、五三の桐紋、永楽銭紋)、下部に「歴代城主合祀 不落城 上田城本丸鎮座 眞田神社」の文字が入っています。
東虎口櫓門横の石垣には、通称「真田石」と呼ばれる直径3mの巨石があります。
真田石は、真田信之が松代に移封を命じられた際に、父の形見として持っていこうとしたが、微動だにしなかったという伝承があります。

赤兜の御朱印帳

1,500円

赤色の地に鹿角脇立朱塗兜と割天衝之兜がデザインされ、表面は上部に六連銭柄、真ん中に御朱印帳の文字が入り、裏面は真ん中に六連銭紋、永楽銭紋、五三の桐紋、その下に眞田神社の文字が入っています。
真田信繁(幸村)公が身に着けたといわれる巨大な鹿角脇立朱塗兜(かづのわきたてしゅぬりかぶと) が境内にあります。
真田昌幸の兜は割天衝之兜(わりてんつきのかぶと)と呼ばれ、その前立ては天を衝きぬける意気を示し、独特な四段梯子模様は真田家の弥栄と武人としての命運が長く続く(死(四)線を越えて戦に臨む)ことを表していると言われています。

眞田神社の御朱印帳(赤色)

1,500円
約18×12cm
赤、紺

赤色の地に、表面は真ん中に眞田神社の文字、右上に上田城本丸鎮座の文字、左下に六連銭紋、永楽銭紋、五三の桐紋が入っています。
上田城の本丸跡に建つ眞田神社は、歴代城主の真田氏、仙石氏、松平氏を御祭神に祀っているため、真田家、仙石家、松平家の家紋が入っています。

眞田神社の御朱印帳(紺色)

1,500円
約18×12cm
赤、紺

紺色の地に、表面は真ん中に眞田神社の文字、右上に上田城本丸鎮座の文字、左下に六連銭紋、永楽銭紋、五三の桐紋が入っています。
上田城の本丸跡に建つ眞田神社は、歴代城主の真田氏、仙石氏、松平氏を御祭神に祀っているため、真田家、仙石家、松平家の家紋が入っています。

授与場所・時間

御朱印・御朱印帳ともに、拝殿に向かって右側にある授与所でお受けできます。

御朱印の受付時間は9時~16時。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

過去の限定御朱印

眞田神社では、季節や行事に合わせてカラフルな限定御朱印をいただけます。
2020年に頒布された過去の限定御朱印のなかからホトカミに投稿された3種類を紹介します。

眞田神社の限定御朱印

500円

紅葉のイラストと雲の和柄が入った二面見開きの御朱印で、右面は真ん中に眞田神社の文字と眞田神社埜印、左面は上部に「定めなき 浮世にて候へば 一日先は 知らざる事に候」の文字、右に騎馬武者姿の真田幸村のシルエット、真ん中に丸に六連銭の印が入っています。
御朱印にある一文は、大阪夏の陣の直前、真田幸村が義兄である小山田茂誠に宛てた書状にある一節で、「このような不安定な世情ですから、明日のこともどうなるかはわかりません」という意味です。

眞田神社の限定御朱印

500円

二面見開きの御朱印で、右面は真ん中に眞田神社の文字と眞田神社埜印、右下に不落の城の印が押され、左面は上部に「夢を掴んだ奴より 夢を追っている奴の方が 時に力を発揮する」の文字、真ん中に丸に六連銭の印、左に騎馬武者姿の真田幸村の印、右下に疾病終息祈願の印が入っています。
御朱印にある一文は真田幸村が語ったとされていて、「人は夢を達成してしまうと、ほっとして気がゆるんでしまうことが往々にしてあり、夢に向かってひたむきに努力をしている人間のほうが、いざというときに日々鍛錬している力を発揮できる」という意味です。

眞田神社の限定御朱印

500円

二面見開きの御朱印で、右面は真ん中に眞田神社と書かれ、右下に歴代城主合祀の印、真ん中に桜の花が装飾された「不落城 眞田神社 信州上田城」の印、左面はカラフルな雲の和柄に金色の桜の花びらが散りばめられ、騎馬武者姿の真田幸村のシルエットが入っています。

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393
御朱印について
御朱印
あり

真ん中に眞田神社と書かれ、六文銭紋の印、信州眞田神社上田の印が押された御朱印です。
六文銭紋は真田家の家紋です。
季節の限定御朱印には二面見開きもあり、真田家をモチーフにした印やイラストが入っているものもあります。
上田城本丸跡に鎮座している眞田神社は、歴代の上田城主である真田氏、仙石氏、松平氏を合祀しています。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

上田城北観光駐車場・上田城跡駐車場

巡礼

ご利益

眞田神社について

「おみくじ通り」、「絵馬通り」、「自祓所」、「願い玉」他をご体験いただけます。

真田井戸、青年真田幸村公之像、眞田幸村公の大兜
伊勢神宮内宮遥拝所

おすすめの投稿

てまぽん
2022年10月19日(水)
167投稿

謹んで、ご遙拝させて頂きました。
眞田神社さまも、直接お伺いさせて頂きたかったのです。
残念ながら、今の「上田城」は、「真田時代」のものでは無いそうですけれど。
上田市のどこかの「神社さん」の、「クラウドファンディング」で痛い目を見たワタシ。
お願いしていた、「ご遙拝・境内社」の「御朱印」も送って来ず、「御朱印帳頒布」も一切無視。
気を取り直し、「上田・二ノ丸」の方の「眞田神社さま」にて、「御朱印帳」をお頒け頂けないだろうかと、公式ページを見てみました。
そうしますと、「ご遙拝」がお許しなさっておられるではありませんか!
「授与品」や、各種「御朱印帳」・「御朱印帳袋」など、色々揃っておりますよ。
「御朱印帳」をお願い致しますと、「御朱印付き」、「御朱印・特別御朱印付き」など、選べるようになさっております。
「初穂料・送料」などは、自動的に「システム」にて「計算・積算」されます。
「初穂料」の「決済手段」も、各種取りそろえられております。
ワタシはこの「操作方法」を間違ってしまい、「初穂料・送料」お納めを、「現金書留郵便」にしてしまいました。
いやー、「現ナマ」の持ち合わせは無くて、「Payp○y」なら、「残高」はあるのですけれどね・・・。
「現ナマ」が、銀行口座に入る日までお待ち頂きまして、「注文番号・住所氏名」と「よろしくお願い致します」程度のメモと。
「初穂料・送料」はもちろんですが、「眞田」にちなみ「5円玉6枚」を、「現金書留封筒」に入れ、ご送付させて頂きました。

それから、3、4日して、仕事から帰ってきて郵便受けを見ると、「レターパックライト」が?
「発送元」は「眞田神社さま」! うひゃー、すごく早い! 「レターパック」は、全て「速達扱い」なのですね!
開封してみると、「授与品・参拝記念品」が出てくるわ、出てくるわ。
真田幸村(信繁)の陰影が付いた「オリジナルクリアファイル」、「ステッカー」、「参拝記念・しおり」など。
もちろん、「御朱印帳」や、「御朱印帳袋」の「内容」も、手抜きなさっていないですよ。
想像していたのは「毛筆で神社名を書いて、印を押したもの」ですが、実際は「直書き仕様」の「神無月御朱印」です。
「直書き」の「見開き・特別御朱印」も「秋仕様」。
左面に書かれている、真田幸村(信繁)の「大坂の陣仕様」の「金色兜」と、「定めなき 浮世にて候へば 一日先は 知らざることに候」に、「キュン❤」ときましたよー。
いやー、お手間をかけてらっしゃいますねー。
「お礼状・このご時世が終わったら直接参拝のお誘い」も付けて頂いて。信州へ行った際、直接お伺いしたくなるでは無いですか!
ワタシは「地方ごと」に「御朱印帳」を分けていますけれど、今回「眞田神社さま」より拝受したものを見ると、これに、大坂の「安居神社さま」をお詣りして「御朱印」を拝受したくなります。
本当に、すがすがしい「ご遙拝」でした。

話は変わりますが、どこかの「神社さん」みたく、「過疎集落」で「真田の誇り」とか言って、「クラウドファンディング」で「お金」を集めて。
「花火打ち上げ」やら、「諏訪大社さま」のマネをし「御柱祭」をし、SNSで「活動報告」ばかりして、結局したのは「何も残らない」ただの「自主的お祭り」。
「返礼品」は、ただの「神力の無い、量産の紙切れ」。
その「神社さんの神職」に振り回されて、「余計」で「面倒」な事に付き合わされる「氏子さん」たちは、本当に「迷惑」でしょうねぇー。
みんなに迷惑だから、そんな「クラウドファンディング」など、いっそ、やめてしまえばいかが?

眞田神社の御朱印

神無月 御朱印

眞田神社の御朱印

特別御朱印

眞田神社(長野県)

御朱印帳 その1(切れている「兜」の関係です)

眞田神社(長野県)

御朱印帳 その2(切れている「兜」の関係です)

眞田神社(長野県)

御朱印帳袋(表)

眞田神社(長野県)

御朱印帳袋(裏)

眞田神社の御朱印帳

参拝記念品「オリジナルクリアフォルダ」・「ステッカー」・「しおり」

眞田神社(長野県)

参拝記念品「お礼状」・「ご由緒」

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佐久屋さく
2019年10月01日(火)
123投稿

上田駅からひたすら上り坂をのぼる、上田城跡に奉られている神社。
明治の廃城のあと上田城跡を買い上げた有志の方が奉ったそうで、分かりやすい(というか、櫓門くぐったそこ)所に有りました。

徳川家が二度の上田城を攻めたのに落ちなかった城のためか、勝負や合格祈願の神社になってました。

拝殿の裏手は物見櫓と抜け道がある伝説のある真田の井戸があり、上田市の風景を眺めたり歴史を感じたりすることができます。

絵馬を見るかぎり、勝負事というよりは部活で負けられない試合に勝てるように、の中高生の各部活の祈願で埋め尽くされてました。
城の周辺には中学校や高校はありますが、ここへわざわざお参りに来ているような印象を受けました。

ちなみにここのお守りには各部活に関係する小物のチャームがあり、お守りに付けることができるようになってます。しかもバリエーションは豊富です(吹奏楽部の楽器も木管金管パーカツとあるのがすごいというか素敵だぞ。。。)。

おみくじが海外向けや恋みくじ、戦国みくじとバリエーション豊富で何を引けばわからなくなるスポットでした。

できたら、戦国みくじの大大吉引いた人を見てみたかった。。。(笑)

眞田神社の周辺

この櫓門を潜るとそこにあります。

眞田神社の周辺眞田神社の本殿眞田神社の建物その他

真田の井戸。
覗いても底が見えない(-_-;)

眞田神社の周辺

登ると上田市の風景を眺めることができます。

眞田神社のおみくじ

大大吉が当たった人が見てみたい(≧▽≦)

眞田神社の鳥居

神社から櫓門を見てみる。

眞田神社(長野県)

カラフルなご朱印。左は登城記念のお城のもの。

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歴史

【智恵の神 智仁勇 眞田神社御由緒】
上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。
しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していました。

【創建】
松平家は、真田氏、仙石氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで七代百六十余年の長きにわたる上田城主でした。
松平家は先祖を徳川将軍家と同じくする松平氏の一つで、藤井松平氏と呼ばれます。上田城主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号しました。寛文九年(1669年)に亡くなられた忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあります。その京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいました。この御社が当社の起源になります。

【松平神社の建立】
明治維新の変革の中、廃藩置県により上田藩も廃されます。国に接収された上田城も間もなく民間へ払い下げとなりました。そして城跡は、急速に桑園・麦畑などに姿を変えていったのです。そのような情勢の中で、旧上田藩士や旧領内有志により、旧藩主松平氏への報恩のため、初代忠山公、二代忠昭公、三代忠周公(上田入封初代)の御霊璽をあわせてお祀りする神社を、上田城跡に建立したいとの声が起こりました。 この動きは、上田城に拠って二度にわたる徳川の大軍の攻撃を退けたという、真田氏の活躍などで名高い上田城跡を、史跡として後世にまで伝えたい、という願いがあってのことでもありました。そして、上田城本丸跡の所有者となっていた丸山平八郎氏の篤志により、その南半分の地が境内用地として寄附され、松平神社創立願が長野県より許可されたのは、明治十二年(1879年)のことでした。その後、本丸の残りの地も、やはり丸山平八郎氏から松平神社付属の公園用地として寄附され、上田の人々の憩いの場として本丸全域が整備されることになったのです。

【歴代上田城主を合祀】
真田氏は上田市の象徴でもある上田城を築き、その武略によって上田城の名を高からしめました。仙石氏はその後をうけて上田藩政を発展されるとともに、関ケ原合戦後破却されていた上田城の復興にもあたりました。 これら先代の城主も合わせてお祀りすることが、上田城跡守護の神社として、また、新時代の神社として望ましいのではないか、という声が先の大戦後に起こりました。そして、昭和二十八年(1953年)に真田氏と仙石氏、そして松平氏の歴代全城主を合祀して、松平神社から上田神社と改称致しました。しかし、かつて市内にあった同名他社と紛らわしいこともあり、初代城主である真田氏の名を冠して、昭和三十八年に眞田神社と再度改称し今日に至っているものです。

【仙谷氏による上田藩】
元和8年(1622年)に小諸藩から入封した仙谷忠政は、廃城同然となっていた上田城の復興を計画し工事に着手し未完成にはおわりますが、わずか2年足らずの間に埋められていた堀を元通りにし、7棟の隅櫓や2棟の東西虎口の櫓門など本丸の体裁を整え、二の丸も掘と土塁や各石垣などができ上りました。仙石氏は忠政以降、政俊、政明と3代84年間にわたり上田藩を治め、農業振興や産業育成に力を注ぎました。

【松平氏による上田藩】
宝永3年(1706)、出石藩(兵庫県豊岡市)に移封となった仙石氏に代わって、出石から松平忠周が入封しました。徳川家康が三河在住時代以来の徳川一族で、藤井松平氏とも呼ばれ、明治維新に至るまで7代、160年余にわたって上田藩を治め、譜代大名として老中など幕府の要職をたびたび務めています。松平氏時代は上田の経済発達や産業振興にともない上田独自の文化が育まれ、幾多の人材を輩出しました。

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眞田神社の基本情報

住所長野県上田市二の丸1-12
行き方

JR北陸新幹線「上田駅」より徒歩約17分

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名称眞田神社
読み方さなだじんじゃ
参拝時間

参拝自由

トイレ上田城址公園内利用
御朱印あり

真ん中に眞田神社と書かれ、六文銭紋の印、信州眞田神社上田の印が押された御朱印です。
六文銭紋は真田家の家紋です。
季節の限定御朱印には二面見開きもあり、真田家をモチーフにした印やイラストが入っているものもあります。
上田城本丸跡に鎮座している眞田神社は、歴代の上田城主である真田氏、仙石氏、松平氏を合祀しています。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0268-22-7302
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://sanada-jinja.com
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神眞田家、仙谷家、松平家歴代上田城主合祀
創建時代1879年(明治12年)
ご由緒

【智恵の神 智仁勇 眞田神社御由緒】
上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。
しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していました。

【創建】
松平家は、真田氏、仙石氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで七代百六十余年の長きにわたる上田城主でした。
松平家は先祖を徳川将軍家と同じくする松平氏の一つで、藤井松平氏と呼ばれます。上田城主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号しました。寛文九年(1669年)に亡くなられた忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあります。その京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいました。この御社が当社の起源になります。

【松平神社の建立】
明治維新の変革の中、廃藩置県により上田藩も廃されます。国に接収された上田城も間もなく民間へ払い下げとなりました。そして城跡は、急速に桑園・麦畑などに姿を変えていったのです。そのような情勢の中で、旧上田藩士や旧領内有志により、旧藩主松平氏への報恩のため、初代忠山公、二代忠昭公、三代忠周公(上田入封初代)の御霊璽をあわせてお祀りする神社を、上田城跡に建立したいとの声が起こりました。 この動きは、上田城に拠って二度にわたる徳川の大軍の攻撃を退けたという、真田氏の活躍などで名高い上田城跡を、史跡として後世にまで伝えたい、という願いがあってのことでもありました。そして、上田城本丸跡の所有者となっていた丸山平八郎氏の篤志により、その南半分の地が境内用地として寄附され、松平神社創立願が長野県より許可されたのは、明治十二年(1879年)のことでした。その後、本丸の残りの地も、やはり丸山平八郎氏から松平神社付属の公園用地として寄附され、上田の人々の憩いの場として本丸全域が整備されることになったのです。

【歴代上田城主を合祀】
真田氏は上田市の象徴でもある上田城を築き、その武略によって上田城の名を高からしめました。仙石氏はその後をうけて上田藩政を発展されるとともに、関ケ原合戦後破却されていた上田城の復興にもあたりました。 これら先代の城主も合わせてお祀りすることが、上田城跡守護の神社として、また、新時代の神社として望ましいのではないか、という声が先の大戦後に起こりました。そして、昭和二十八年(1953年)に真田氏と仙石氏、そして松平氏の歴代全城主を合祀して、松平神社から上田神社と改称致しました。しかし、かつて市内にあった同名他社と紛らわしいこともあり、初代城主である真田氏の名を冠して、昭和三十八年に眞田神社と再度改称し今日に至っているものです。

【仙谷氏による上田藩】
元和8年(1622年)に小諸藩から入封した仙谷忠政は、廃城同然となっていた上田城の復興を計画し工事に着手し未完成にはおわりますが、わずか2年足らずの間に埋められていた堀を元通りにし、7棟の隅櫓や2棟の東西虎口の櫓門など本丸の体裁を整え、二の丸も掘と土塁や各石垣などができ上りました。仙石氏は忠政以降、政俊、政明と3代84年間にわたり上田藩を治め、農業振興や産業育成に力を注ぎました。

【松平氏による上田藩】
宝永3年(1706)、出石藩(兵庫県豊岡市)に移封となった仙石氏に代わって、出石から松平忠周が入封しました。徳川家康が三河在住時代以来の徳川一族で、藤井松平氏とも呼ばれ、明治維新に至るまで7代、160年余にわたって上田藩を治め、譜代大名として老中など幕府の要職をたびたび務めています。松平氏時代は上田の経済発達や産業振興にともない上田独自の文化が育まれ、幾多の人材を輩出しました。

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