くりからじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
最新のお知らせ
お知らせをもっと見る(31件)倶梨迦羅神社について
昭和40年代までは蚕の神様として下伊那中の養蚕家がお詣りに来たとのこと。鉄製の剣の形をしたお札を蚕室に入れておくと繭が腐らないということで 最盛期にはお札待ちの人が何百mも並んだそうです。
今では地元の人しか知らないかも…
宮司さん宅は隣接していますが普段はほとんど不在、祈祷やお祓いは事前予約が必要です。
長野県のおすすめ2選🍁
おすすめの投稿
🌼倶梨迦羅神社(くりはらじんじゃ)⛩️に参拝させて頂きました🙏🌸当社は、長野県飯田市にある神社です。ご祭神は建速須佐之男命をお祀りしており、 御神体は、剣に巻ついた倶梨迦羅不動明王の姿をしています。🌺当社は飯田市毛賀に鎮座します諏訪神社秋季大祭の宵祭で.境内で仕掛け花火(三国花火)をだすので、目の前の迫力ある花火を見ることができます。氏子さん以外の方は少ないので一見の価値はあると思います。☘️かつての宿場町、竹橋宿として栄えた津幡町倶利伽羅地区の竹橋(たけのはし)区にある倶利伽羅神社には、池田九華(いけだ・きゅうか)作「源平倶利伽羅合戦図屏風」が保存されています。🌷四曲一双(よんきょくいっそう)の屏風の右隻(うせき)には、埴生八幡宮(はにゅうはちまんぐう)に戦勝祈願した木曽義仲(きそ・よしなか)や願文(がんもん)を書いた覚明(かくみょう=義仲の書記)などが右に、中央に描かれた巴御前(ともえ・ごぜん)と思われます。🌷騎上の女武者に対して慌てる平家陣地が左に描かれています。一方、左隻(させき)の右から中央にかけては、「火牛の計(かぎゅうのけい)」作戦で平家軍を倶利伽羅山の地獄谷に追い落とす源氏軍の様子、左には源氏軍に加勢した井家庄(いのうえのしょう)の武士、井家二郎範方(いのいえ・じろう・のりかた)が根上の松で討ち死にした戦いの様子が鮮やかに描かれています。☘️この屏風は津幡町英田(あがた)地区の能瀬出身の絵師、池田九華(1809〜1881年)が、長楽寺(ちょうらくじ)焼失の10年後に描いた作とされています。
🍁所在地 : 長野県飯田市立石901
名称 | 倶梨迦羅神社 |
---|---|
読み方 | くりからじんじゃ |
通称 | お不動様 |
御朱印 | あり 留守の時が多いので御朱印を書き置きしてありますのでご利用ください。
|
限定御朱印 | あり |
電話番号 | 0265- 27-3409 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 須佐之男命
御神体は倶利迦羅剣の倶利迦羅竜になります。 もともと倶利迦羅不動明王(仏)なのでお不動様とよばれています。 御神体を形とった彫り物が神社の鈴の真上にありますので確認してみてください。 |
---|---|
ご神体 | 倶利迦羅竜 |
創建時代 | 明治43年 |
体験 | 祈祷お祓いお宮参り御朱印 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
6
0