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ざこうにょらいじ(もとぜんこうじ)|天台宗

座光如来寺(元善光寺)のお参りの記録一覧
長野県 元善光寺駅

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てけてけ
てけてけ
2025年09月15日(月)567投稿

飯田市座光寺に鎮座する元善光寺さんにお参りしてきました。元善光寺と長野の善光寺を両方お詣りしないと片参りになると言われています。
本堂真下の暗闇を巡るお戒壇巡りをして御本尊様の真下に位置する開運の錠前(仏具の独鈷の形)に触れて御本尊様とより深い御縁を結ばせて頂きました。

昼食は、市田柿で有名な高森町市田で、市田柿農家の方が経営している『肉そばこまつ家』さんで冷たい肉そば大(500g)を美味しく頂いてきました。😋テレビに出て有名になり50分ほど待ちました。
ツユにラー油が入っていて、食感強い太いそばをワシワシと頂きます。

帰り道に「あんしん市場」さんに寄って希少種のユーホー(雄宝)というぶどう🍇と南信で有名な南水と聞き慣れないサンセーキという梨を安く購入しました。

御縁起
元善光寺は、今から約千四百年前 推古天皇十年に、本多善光公によって開かれました。
御本尊の一光(いっこう)三尊(さんぞん)阿弥陀如来様は、お釈迦様のご在世当時、天竺国(現在のインド)の月蓋(がっかい)長者の願いによって此の世に出現せられ、欽明天皇の御代に百済国からわが国へ渡ってこられましたが、蘇我氏と物部氏の争いの後、物部氏によって難波の堀に沈められてしまいました。
本多善光公は信州麻績(おみ)の里(現在の飯田市座光寺)の住人で、国司に従って都に上り、ある時 難波の堀江で宿命により一光三尊の如来にめぐりあい、これを背に負って古里にお連れし 清めた臼の上に御尊像を安置し奉ったのが当山の起源です。
臼からは光明がさして光り輝き「御座光の臼」と呼ばれて今も当山の霊宝となっております。当地を座光寺と称するのもこの縁に因るものといわれております。
その後四十一年間を過ぎ、皇極天皇二年に仏勅によって一光三尊阿弥陀如来様の御尊像が芋井の里(現在の長野市)に遷られる際に「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の古里に帰り来りて衆生を化益(けやく)せん」との御誓願を御本尊様が残され、この時に授かった霊木をもとにして善光公自ら一刀三礼にて 御本尊様と同じ大きさの一光三尊仏の御尊像を彫られた上で この地に留められ、寺は元善光寺とよばれるようになりました。
そもそも元善光寺の名は本多善光公の名に基づき、元善光寺の元は本元の意を表し、御詠歌の「月半ば毎に来まさん弥陀如来、誓いぞ残る麻績の古里」とある様に、古来より元善光寺と長野市善光寺の両方お詣りしなければ片詣りと云われております。

お戒壇巡り
御本堂の外陣より、履物を履いたままでお戒壇巡りをお詣りいただけます。お戒壇巡りとは、仏様の胎内巡りともいい、暗闇の中を手すりをたどって進み、御本尊様の真下に位置する開運の錠前(仏具の独鈷の形)に触れていただくことで御本尊様とより深い御縁を結んでいただくものであり、またお戒壇を巡ることで、生まれ変わるという意味合いがあります。御本堂の地下を巡る御戒壇巡りとは、本来外陣にあり、草鞋や草履など履物を履いたままで巡るという現在の元善光寺の形が発祥初期の形であったといわれます。

座光如来寺(元善光寺)(長野県)

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座光如来寺(元善光寺)(長野県)

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