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楽しみ方鳩ヶ嶺八幡宮のお参りの記録一覧

南信地方④ 鳩ヶ嶺八幡宮
飯田市八幡町に鎮座するこちらの縣社にお参りにあがりました。
地元の氏子衆はもとより広く伊那谷の人々から崇拝されている神社です。
境内は広く綺麗に整備されていて、山から湧き出る水💦で一ノ滝から三ノ滝まであります。
随身門の随身も歴史と威厳を感じます。
本日は拝殿前のしめ縄を新しくされて、氏子衆が集まって奉納儀式が行われ、参道で氏子衆とすれ違いました。
参道は石段が長く、神社が山と一体化しており、とても厳かで素敵な神社でした。
御朱印は、受付所で書き置きのみ拝受できます。
御祭神
息長足姫命(神功皇后)
主神 誉田別尊(応神天皇)
竹内宿禰命
鳩ヶ嶺八幡宮は古く伊那郡伊賀良庄島田郷、現在の飯田市松尾に鎮座し、島田八幡宮と称されてきました。
伊那谷の名社として近郷に広く崇敬 されて「八幡の八幡様」と呼ばれて 親しまれています。
当宮は古来穴八幡宮と申してきましたが、正嘉元年(一二五七)十二月、 現在の位置に遷宮、以来島田八幡宮と称していましたが、明治に至り村社八幡神社とし、明治三十三年四月に伊那谷で最初の県社に昇格。昭和二十四年七月七日社名を鳩ケ嶺八幡宮と改称しました。

書き置き御朱印

社号標

大鳥居
宝永5年着工し同6年2月に竣工されたもので、石材は切石松川畔、金三千二百両を費やしたとされます。

大鳥居の扁額

境内図

参道

狛犬さん

狛犬さん

神池

由緒

参道

手水舎

神橋

随身門
享保6年、堀氏の造営によるもので、豊磐間戸命の木造は天明6年、飯田町彫刻家井出祐正の作によるものです。

随身門の龍

随身 歴史と威厳があります。

随身 歴史と威厳があります。

参道

一ノ滝

参道

大黒天石像

右側 大黒様
左側 天神様

二ノ滝

滝の上の石碑
祓四柱大神?

弓道場

弓道場の奉納絵

弓道場の的🎯

左側 金毘羅社
右側 稲荷社

参道

狛犬さん😍

狛犬さん😍

拝殿
拝殿前のしめ縄は本日奉納

拝殿斜めから

拝殿と祓所受付所との廊下

本殿

豊川稲荷


三ノ滝

天神社の参道

拝殿からの振り返り
奉納しめ縄の儀式を終えて帰る氏子衆
たまたま宿泊した所が飯田だったので近くの神社を検索して、初詣に行きました。
大きな御神木が聳えていて迫力があり、滝のしぶきが凍った氷柱がキラキラして、霜柱が立ち、冬の境内の美しい所をたくさん見る事が出来ました。
御朱印を頂いたあと、今年初めてのおみくじを引きました。
大吉だったので気になる事があった私にはとても励みになりました。
南参道から入ると、招魂社があります。
そこに「あぁモンテンルパの夜は更けて」の歌碑がありました。
調べてみて初めて知る歌とその背景でした。

<鳥居>


<狛犬>ちょっと目が青いです

<狛犬>

<手水舎>

<由緒書>

<随神門>享保6年造営

<豊磐間戸命>天明6年、飯田町彫刻家井出祐正の作だそうです

<櫛磐間戸命>

氷柱がキラキラでした

<神馬像>弓道場の隣にいます

<弓道場>

<拝殿前の狛犬>ずんぐりしていて可愛らしい

<拝殿前の狛犬>寛保3年8月15日建立

<拝殿>


<手水舎>拝殿前にありますが水は出ていませんでした


<鳥居>上に小石がいっぱい乗っています。奥は天神様と大黒様です。

<天神様・大黒様>

<大黒様>



<おみくじ>

<御朱印>


現在地と書かれているところは駐車場です。

こちらがその駐車場

<絵馬>

<鳥居>道路沿いの公園にある招魂社の鳥居です。公園内に歌碑が建っています。

<歌碑>「あぁモンテンルパの夜は更けて」の作詞者、代田銀太郎さんは飯田市の出身です。
第二次世界大戦が終わった後でもフィリピンのモンテンルパにある刑務所で死刑囚として収監されていました。
これは一緒に収監されている日本兵と日本を想い描いたもので、同じく収監されていた伊藤正康さんが曲をつけました。
獄中から送られてきた楽譜と詩を受けとった歌手の渡辺はま子さんがレコードで歌いヒットしました。
長野県のおすすめ2選❄️
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