おのじんじゃ
小野神社のお参りの記録一覧
信濃国ニ之宮である塩尻市の小野神社に参拝してきました。国道153合線の通り沿いで辰野町との境に位置します。国道の車は頻繁に通り喧騒ですが、いっぽ境内に入ると静かで厳かな雰囲気に変わります。平日は人も少ないないので、ゆっくり参拝と境内回りができます。
御祭神は建御名方命であり、諏訪社と同じで7年に一度御柱祭が行われて神社四方に山から運んだ御神木を建てます。
御朱印は拝殿の賽銭箱左に書き置きが置いてあるので頂いて、料金は賽銭箱に入れました。
武士に崇敬されてきた神社
ここは武士に崇敬されてきた神社と言われています。
木曽義仲がここで戦勝を祈った後、倶利伽羅(くりから)峠で数百頭の牛の角にたいまつをつけて突入させる奇策で平家の大群を破滅させました。
矢彦神社の神の加護に感謝した義仲が木曽から木の切り出し、同社を造営したそうです。
小野神社でも、今も遷宮祭で薪を牛のような形に組んだ「牛炬火(うしたいまつ)」を燃やす伝統が続いています。
安曇野神社巡り、寄り道②信濃国二ノ宮で、丁度祭礼が行われていました。先程、三嶽神社で書き置きの御朱印を戴いているので、参拝としばし祭りを楽しんできました。神社南には矢彦神社が鎮座しており、両社は古くは1つの神社を成していたといわれています。小野盆地において飯田城主毛利秀頼と松本城主石川数正の領地争いがあり、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の裁定によって、盆地を流れる唐沢川を境に筑摩郡の北小野村と伊那郡の南小野村に分けられたことに伴い、神社境内も分割されたとのこと。御祭神は諏訪大社と同様に建御名方命。命が入ろうとした折り、洩矢神(もりやかみ)が居たため暫く統治に留まったとされます。
鳥居
社号標
灯籠
手水舎
手水鉢
天保十一年(1840)奉納の灯籠
永禄七年(1564)武田勝頼寄進の梵鐘
土俵
拝殿
扁額
松本藩主・水野忠直寄進の勅使殿(寛文十二年(1672)造営)
松本藩主・水野忠直寄進左から副本殿・本殿・八幡宮(すべて寛文十二年(1672)造営)
三の柱
神庫
境内社 左から子安社・稲荷社
境内社 左から天神社・宗像社
灯籠
灯籠
灯籠
夫婦杉
境内社 御厨社
神池中央の祠
境内社 神鉾社(おぼこしゃ)
境内社 水神社
二の柱
下馬の橋
矢彦神社の隣にある神社。
矢彦神社に伺って隣だったのでお参りしました。
こちらも歴史を感じる本殿で池までとは行きませんが、綺麗な水が流れる澤が敷地内にありました。
田んぼの中にある長閑な神社に心も体も癒されました。
味のある石造りの鳥居。
小さいながらも趣を感じる本殿。
しめ縄が立派でした。
境内にある小さな池。
本殿の横には綺麗な水が流れる澤がありました。
一泊で岐阜に行った際に、長野・岐阜周辺で参拝させて頂きました。
矢彦神社と隣接していて、昔は一つだったそうです。
拝殿の所に書置きの御朱印が置いてあったので頂いて来ましたが、日付は入ってなかったので入れようとしたらボールペンしかありませんでした。
筆書きにボールペンはバランスが悪いので、筆ペンか中字くらいのサインペンが欲しいところでしょうか。
小野神社の鳥居を左手に見ると、神社が終わった処を左に入ると十数台停められる場所があります。
駐車場の看板等はありませんでしたが、造り的にこちらで良いと思います。
社号標
鳥居
手水舎
境内全景
左側が梵鐘かな?
と思ったのですが鐘はありませんでした
社務所
庭園
頌徳碑
神楽殿?
と思ったら
土俵でした
奉納相撲が行われるのでしょうか?
狛犬 阿形
狛犬 吽形
神楽殿
御柱
ちゃんと四本あります
拝殿
扁額
拝殿の所に書置きの御朱印がありました
勅使殿
奥右側 八幡宮本殿
奥左側 本殿
副本殿がないなと思ったら
工事中の様です
神庫
神輿でしょうか
末社
稲荷社
子安社
宗像社
天神社
夫婦杉
夫婦だけあって根っこがくっついている様です
御厩社
資料館
開館は例大祭の日だけの様です
宝蔵
薬師堂となっていますが
物置的な使われ方をしていました
額殿・絵馬殿
例大祭なら中を見られるのでしょうか?
御鉾社
こちらが駐車場で良いかと
御朱印
日付は帰ってから入れました
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