たけみずわけじんじゃ
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【信濃國 式内社巡り】
武水別神社(たけみずわけ~)は、長野県千曲市八幡にある神社。式内論社(名神大)で、信濃国四之宮。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は武水別大神、相殿神は誉田別命、息長足比売命、比咩大神。別名は「八幡宮」。
社殿によると、第8代孝元天皇の御代の創建。国史の初見は平安時代の866年で、無位から一躍して従二位の神階奉授を受けている。927年に編纂さ入れた『延喜式神名帳』に記載のある「信濃國 更級郡 武水別神社 名神大」の論社となっており、他の論社としては桶知大神社(長野市大岡丙)がある。当社の周辺一帯は平安時代末期より京都・石清水八幡宮の荘園となっており、安和年間(968年~970年)に八幡神が勧請されたと伝わる。以後、広く武門の崇敬を受け、木曾義仲が祈願したと伝わるほか、川中島の戦いの時の上杉謙信の勧請文も残されている。江戸時代に入ると、江戸幕府から朱印地200石を与えられた。明治に入り、社号を「八幡宮」から「武水別神社」に復称し、近代社格制度の下、はじめ郷社に列し、のちに県社に昇格した。
当社は、JR篠ノ井線・姥捨駅の北北東3km弱の千曲川西岸の平地にある。当社西側は古くからの門前町のようで、市街地になっている。南北に長い境内は広く、旧県社にも納得。そこに社殿などの立派な建物を加えると、別表神社であることも納得。長野県の天然記念物となっている社叢を中心に、緑豊かで神聖な空気感は、往古からの大社であることを感じさせてくれる。
今回は、信濃國の式内(名神大)論社、長野県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、天気の良い週末ということもあるが、自分たち以外にも普通の参拝者が訪れていたほか、何組もの家族連れがおめかしをして祈祷を受けに訪れていた。
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諏訪大社・戸隠神社に続く三大神社だと言われている?「武水別神社(たけみずわけじんじゃ)」。現地の説明によると、社殿の多くは1842年の火災ののちに建てられたそうです。摂社高良社だけはその時の延焼を免れ、今に残され長野県宝(有形文化財)に指定されています。この付近は、第一次川中島の戦いで、村上義清が北信濃の国人衆と長尾景虎からの支援の兵5000を率いて武田晴信と戦って勝利し葛尾城奪回に成功するきっかけとなった戦いの古戦場と伝えられています。それに因んで、境内には「川中島の戦い初戦の地八幡」と刻まれた石碑が建っています。また、境内にはストーブの近くで名物のうずらもちが食べられる茶屋があります。とても美味しかったです。※宮司さん御朱印帳ありがとうございました

#武水別神社 #やわたの八幡宮
主祭神はタケミズワケの大神。相殿神にホンダワケの命、オキナガタラシヒメの命、ヒメ大神。
#武水別大神
パンフによれば、農業をはじめ水に関すること全般の守護神。善光寺平の五穀豊穣と、千曲川が氾濫しないことを祈って祀られたと考えられる、と。
ここ武水別神社は千曲川のすぐそばに鎮座する。善光寺平とは長野県の北部に広がる長野盆地の通称。
名前が諏訪大社(長野県諏訪市など)のタケミナカタの神と似ている点が、非常に気になる。彼もまた水神という性格を持ち、神名のうちミナカタは水潟と通じるそうだ。今回長野を旅した時どこかで、彼は龍や蛇に対する信仰とも関連する、という記述を見た。
ところで、ここ武水別神社の境内にはタケミカヅチの神を祀る鹿島社がある。看板には、氏子地域の安定を図る神様として祀っている、とある。
国交省によると、千曲川という名称は文字通りくねくね曲がっているのが由来だが、”たかまのはら”で勃発した神々の戦争で流された血に基づくという伝承もあるそうだ。
千曲川のほとりに位置する武水別神社。その氏子たちを守るのが、蛇の姿をした水神タケミナカタの神を、戦いの末に制したタケミカヅチの神。何から何まで、想像力を刺激する。
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