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とがくしじんじゃほうこうしゃ

戸隠神社宝光社のお参りの記録一覧
長野県 善光寺下駅

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惣一郎
惣一郎
2022年07月21日(木)1269投稿

【信濃國 古社巡り】

戸隠神社・宝光社(ほうこうしゃ)は、長野県長野市戸隠にある、戸隠神社(※詳細は下記)を構成する5社のうちの1社。また戸隠三社というときの1社。祭神は天表春命(あめのうわはる)で、戸隠神社・中社の祭神である天八意思兼命(あめのやごころおもいかね)の御子神。

平安時代の949年、阿智祝部一族の徳武氏が奥社の相殿として創建。1058年に現在地に遷座した。神仏混淆の時代には宝光院と呼ばれ、明治時代の神仏分離により宝光社となった。

当社は、戸隠山の麓から戸隠道と呼ばれる参道を登って行くと最初に到達する。つまり、5社のうち最も低い場所にある。戸隠道沿いにある境内入口、手水舎などがある場所、社殿周辺と、大きく3段に分かれていて、手水舎から社殿までは長い石段が続いている。戸隠三社権現の1つと言われるだけあって、社殿は大きく荘厳。階段脇には境内社が散在している。

今回は、旧国幣小社である戸隠神社5社のうちの1社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、参拝者は大勢来ていた。

※当社の駐車場は約20台分しかないため、クルマで行く場合はピーク時間を外すなど、参拝タイミングに注意する必要がある。

(※)戸隠神社(とがくし~)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺の、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の5社からなる神社。旧社格は国幣小社。祭神は、奥社が天手力雄命(あめのたちからお)、中社が天八意思兼命(あめのやごころおもいかね)、宝光社が天表春命(あめのうわはる;中社祭神の御子神)、九頭龍社が地主神の九頭龍大神、 火之御子社が天鈿女命(あめのうずめ)。別称は「戸隠権現」、「戸隠三社」。
説によると、奥宮の創建は孝元天皇5年(紀元前210年)と言われ、九頭龍社はそれよりも古いとしている。戸隠山は、天照大神が籠っていた「天の岩戸」を天手力雄命が投げ飛ばした際の破片が飛んできて山となったと言われ、地主神である九頭龍大神が天手力男命を迎え入れたのが始まりとされる。『日本書紀』に記されている「水内の神」が戸隠神社であるとする説もある。平安時代の849年に僧・学問が奥社の地で初めて修験を始めたとされ、その後、天台密教、真言密教、神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として発展し、修験道場・戸隠十三谷三千坊として比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺とともに「三千坊三山」の1つとして全国に知られるようになった。鎌倉時代には当山(延暦寺山門派)の別当であった栗田氏が山麓の善光寺(園城寺山門派)の別当をも世襲したため、両寺は関連を深めた。戦国時代に当北信濃地域は、甲斐國・武田信玄と越後國・上杉謙信との争乱に巻き込まれ、栗田氏は分裂させられ、苦境の時期を過ごした。江戸時代に入ると、徳川家康から朱印地1000石を与えられ「戸隠山領」が成立し、同時に東叡山寛永寺の末寺となった。次第に農業神、水の神の性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。明治時代になると、神仏分離令や修験宗廃止令により廃仏毀釈運動が起き、戸隠山顕光寺は寺院を分離して神社となり、宗僧は還俗して神官となった。

戸隠神社宝光社のその他建物

宿坊街を南北に抜ける県道36号線の突き当りにある<宝光院>入口。

戸隠神社宝光社(長野県)

階段下から見上げる。

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