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飯縄神社 奥社ではいただけません
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いいずなじんじゃ おくしゃ

飯縄神社 奥社
長野県 川中島駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

登山道入口にあり

おすすめの投稿

神祇伯
2022年08月12日(金)
1339投稿

本当は昨日の山の日に合わせて投稿するつもりですが出遅れてしまいました…長野県にある飯綱山を御神体、修行場とした飯綱信仰の総本山です。この奥宮は山頂にあり、ちゃんと登拝してきましたが下山時に筋肉痛で足が攣りそうでした…運動不足を痛感します。

飯縄神社 奥社(長野県)

《登山道入口の鳥居》
扁額には飯綱大明神と書かれています。どう見ても山…当たり前だけど。

飯縄神社 奥社の鳥居

《奥宮の一の鳥居》
さぁ、ここからが登山の始まりです!ちなみに50mくらい行ったところに旧鳥居跡があります。

飯縄神社 奥社(長野県)
飯縄神社 奥社の仏像

《十三仏像》
登山道中に冥界の審理に関わる十三仏さまが道標として建立されています。横通る際にも道中安全を願って手を合わせておきました。
ちなみにお気づきかもしれませんが、よく数えると実は十四像あります。
2枚目左下のみ馬頭観音さまで十三仏とは関係ない方ですが、馬に関連づけられ巷でも道標として作られていることが多いので同じ理由でないかと。
レイアウトで写真数えたときに気づきました。

飯縄神社 奥社(長野県)

《山道》
ネットでは「初心者でも登りやすい!」と評価されてましたが、うん、普通に!山!!
当たり前だけど!!確かに特殊な装備は要らないですが、普通に足元は悪いです。

飯縄神社 奥社(長野県)

《富士見の水場》
5合目近くにあります。ここで水筒へ水分を補給しました。美味しい。

飯縄神社 奥社の景色

《7合目の風景》

飯縄神社 奥社の周辺

《8合目あたりの山道》
この辺りから森を抜けて山の斜面を登る感じです。

飯縄神社 奥社の鳥居
飯縄神社 奥社(長野県)

《飯綱大権現の祠》
9合目近くにあります。こちらは奥宮ではなくあくまでも修験道側の祠のようで、祠の中には本尊がありました。

飯縄神社 奥社(長野県)

《飯綱神社奧宮》
なだらかな野原になった頂上近く、頂上への矢印を尻目に左手に屋根が見え、少し降りてみた崖そばにありました。山頂の天気に耐えるためかコンクリート製です。

飯縄神社 奥社の本殿

《本殿内部》🙏
👁チェックポイント‼️
神社の本殿というよりは、個人宅の拝所、祭壇のような作りです。神主さんに聞いたところ飯綱修験の行者さんは今も存在しており、おそらくここで祈祷や修行をされるんでしょうね。扁額の下にかけられている幕には輪宝紋が描かれており、神仏習合を色濃く残しています。素晴らしい。
ちなみに里宮は皇足穂命神社が正式社名だそうですが、奥宮に関しては飯縄神社が正式なんだとか。

飯縄神社 奥社(長野県)

《飯綱権現のお札》
飯綱権現さまは鴉天狗のような翼の生えた鴉天狗のような顔に狐に乗っている姿で描かれています。このことから同じく狐に乗った荼枳尼天と習合し、江戸期には管狐を使役する術を使うとされていました。
ちなみに私が飯綱修験を知ったのは『xxxHOLiC』でした。

飯縄神社 奥社(長野県)

《天狗の大面👺》
修験道の山にはそれぞれ天狗がおり、こちらは飯綱山三郎という八大天狗に数えられています。こちらの面のように八大天狗を全て鼻高天狗にしようとすると、こちらの崇敬者さんたちから猛反対があり、普通は鴉天狗のお顔で描かれるようになったんだそうです。

飯縄神社 奥社(長野県)

《尾根の途中》
奥宮から山頂までは尾根で渡ります。

飯縄神社 奥社(長野県)

《飯綱山山頂》
ここまで2時間くらいで登り、1時間で降りました。若いときにしかできん…

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名称飯縄神社 奥社
読み方いいずなじんじゃ おくしゃ
参拝にかかる時間

約2時間30分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号026-254-2007(越志旅館)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.iizuna-jinnjya.jp/
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詳細情報

ご祭神大戸道命
大戸辺命
保食神
ご神体飯綱山
創建時代応神天皇紀(270年ごろ)
ご由緒

 当神社は、西暦270年頃第15代応神天皇の御代飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り、飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで、本地を大日如来とし 848年学問行者が飯縄山に入山して、この如来の尊容を拝したと言われる。
 西暦1233年に信濃国荻野(信州新町)の地頭 伊藤兵部太夫豊前守忠綱が、飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大権現を勧請した。忠綱の 子、盛綱も父に従い入山し、荼枳尼天の法を修得、 父より飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受継ぎ、飯縄原始忍法を確立、自ら「千日太夫」と称し、飯縄信仰を全国に広げると共に忍法の祖となった。
又、武門の尊崇を受け、特に足利三代将軍義満は、 紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進し、室町時代末期には武田・上杉両家の深い尊信を受け 神領を寄進され、徳川三代将軍家光も朱印地百石を寄進するなど、飯縄信仰は全国的に伝播、万余の末 社を有し、全盛を誇った。この里宮は、千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれる。
 飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し、参籠の行者等は、これを採って食べたことから飯砂山、転じて飯縄山と言い、これは保食神(皇足穂命)の霊徳として、明治六年長野県庁より皇足穂命神社の称号を与えられた。

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