くしふるじんじゃ
槵觸神社のお参りの記録一覧
御祭神 瓊瓊杵命
天孫降臨のくしふる峰を祀ったのがはじまり。
同じ山の奥には高天原遥拝所もあるそうなのですが、行けませんでした。
大鳥居 車道からはすぐですが、木々に囲まれた森の中です。
拝殿
本殿 彫刻には人物や車など珍しい素材がありました。
日向国「高智保神」に比定される国史見在社です。
高千穂神社と同じく高千穂八十八社の構成する神社で、両社で春祭りと秋祭りを交互に行うなど関係の深さが現在でも伝わっています。高千穂神社と違って参拝時には全く人がおらず、夕方なのもあってひぐらしの鳴き声が物悲しく響く、とても良い雰囲気でした。
《鳥居》
天岩戸神社から高千穂神社に向かう道中に見え、横を通るだけですごい存在感があります。
《周辺の地図》
この神社の裏に荒立神社がありますが、高千穂神社の境内社とはまた別なのですね。
《由緒書き》
元々は槵觸峰を御神体としていた社殿のない神社でした。しかもこれ江戸時代まで社殿なかったんですね…
というか社名検索して思ったのですが、「觸=触」なんですね。
《手水舎》
水は流れていました。
《表参道》
ひたすらに蝉の鳴き声だけが聞こえます。高千穂神社が人がまばらにいるのに対して時間の都合もあってか全くの無人。これもこれで良き…
《拝殿》
👁チェックポイント‼️
現在は槵觸神社が高千穂神社の兼務社となっており、高千穂神社は別表神社となっていますが、明治時代の近代社格制度では当社は県社、高千穂神社は村社であったりとこちらの方が高く列格しています。事例としてはかなり珍しいですね。
ちなみに高千穂神社が村社になったのは管轄する県が合併によって替わったことが由来するそうです。
《賽銭箱》🙏
無人ですが授与飯はあります。
《本殿》
《天真名井》
境内から少し離れたところにあります。
秋祭りでは御旅所にもなるようです。
くしふる神社と読みます。荒立神社から15分程歩いたと思います。社務所は無人です。
拝殿は薄暗く、神秘的な気持ちになりました。木々も多く気持ち良いですよ。
高千穂の神社さんの鳥居って、みんな大きい😃
手水舎。稼働してます。
参道を進むと、そこそこ長い石段を上ります。
上り切るとすぐに拝殿があります。
ご本殿ですよね。
周りはまっすぐに育った木々が多く、体に良さそうです。
高千穂神社で書いて頂きました。拝殿の横に書き置きもあります。
【日向國 古社巡り】
槵觸神社(くしふる~)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井にある神社。式外社(国史見在社)論社で、旧社格は県社。祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊、天児屋根命。神体は槵觸山。
創祀は不詳。槵觸山の中腹に鎮座し、同山を神体山とするため、長く本殿を持たなかったとされる。槵觸山は、日本神話の天孫降臨の聖跡と言われ、『日本書紀』に記載のある「高千穂の槵觸之峯(くじふるのたけ)」、「槵日高千穂之峯(くしひのたかちほのたけ)」、『古事記』に記載のある「筑紫の日向の高千穂之久士布流多気(きじふるたけ)」に比定され、古来霧島山とともに天孫降臨の有力な比定地とされ、霧島神社と並び称された。また当社を国史に見える「高智保神(高智保皇神)」とする説があり、「高智保神」は『続日本紀』には843年に神階奉授、『日本三代実録』には858年に神階昇叙の記載がある。ただし、927年に編纂された『延喜式神名帳』には記載がない。
社伝によると、江戸時代中期の1694年に高千穂神社宮司が延岡藩主・三浦明敬の援助を仰ぎ、高千穂18郷の郷民の協力の下、初めて社殿が建立された。のち延岡藩主・内藤氏も例祭に代参を派遣して神事料を奉納するなどしている。明治時代に入り、国史見在社に比定されたため、県社に列格した。
当社は、JR日豊本線・延岡駅の西北道のり43kmほどの街の外れ、小山の森を切り拓いた道沿いにある。境内入口の鳥居をくぐると、あとはすべて森の中で、緩やかに登る参道を進むと、社殿前にほど良い階段がある。相当な樹齢の巨木に囲まれた社殿は大きくかなり立派。かなり森が深く、夕方の遅い時間だったので、よほどの神社好きでない限り参拝者は来ないだろうと思っていたが、地元民と思われる夫婦が参拝に訪れびっくりした。さすが天孫降臨比定地の神社。
今回は、日向国の式外社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は夕方遅めの時間であったが、上述の通り、自分たち以外にも参拝者が一組いた。
境内南西端入口の<鳥居>。社号標はない。
扁額には難しい漢字で「槵觸神社」と書いてあるが普通の人は読めないのでは?(^_^;)
鳥居をくぐって参道を進む。参道は両側を紐と紙垂で仕切られている。
さすが天孫降臨の比定地だけあって、ほど良い暗さとしっとりとした空気感が良い(マイナスイオンが飛びまくっているイメージ)。
やがて参道左側に現れる<社務所>。
さらに進むと参道左側に<手水舎>。
手水舎後方の樹木群が太くて高く、古社らしい抜群の雰囲気。
いよいよ階段を登る。
階段を1セクション登り切ったところの右手にある<相撲場>。
2セクション目の階段を登る。
いよいよ<拝殿>が見えてくる。そう言えば、当社には狛犬がいない。
<拝殿>正面。注連縄に赤と緑の紙垂が付けられているのが珍しい。
<拝殿>内部。ちゃんと灯りが点くようになっている。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿に向かって左手にある建物。表札等はないが祭器庫かな。
拝殿後ろの<本殿>。
拝殿と本殿のバランスはこんな感じ。間にあるのは雪下ろし用のすべり台?(。´・ω・)?
見たところ非常にきれいで、近年改築されたみたい。
最後に<拝殿>全景。誰も来ないだろうと思っていたところに、後から夫婦連れがやって来てビックリした。
(^▽^)/
槵觸神社の創祀は不詳ですが、鎮座する槵觸峯は古事記に「筑紫日向の久志布流多気……」と記され、その場所と考えられており、その「くしふる峰」の中腹にある神社。
天照大御神の孫、迩迩芸命(ににぎのみこと)が地上へ降り立った(降臨)の地として伝えられています。
神社創建は不詳、はじめは社殿もなく山そのものをご神体として祀り、高千穂八十八社のひとつに数えられていた。
1694(元禄7年)当時の延岡藩主や村人たちの厚い信仰によって社殿が建てらた。
御朱印:高千穂神社で御朱印をいただくことができます。
天孫降臨
天孫降臨は天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令で孫の迩迩芸命(ニニギノミコト)を地上の国へとつわかし、天孫による支配を確立するきっかけとなった。
迩迩芸命(ニニギノミコト)が降り立った所を、古事記では「筑紫(九州)の日向の高千穂のくじふる峰」、日本書紀では「日向の高千穂のニ上の峰」 と伝えている。
この天孫降臨の地は高千穂町以外にも、高千穂峰(宮崎県西諸県郡高原町)とする二説がある。
高千穂峡と真名井の滝の写真も一緒に載せておきます。那智の滝や華厳の滝のようなダイナミックな滝ではありませんが神秘的という言葉がピッタリ当てはまるとても魅力的な場所でした。
ボート乗り場で鴨のエサを購入(100円)しておくと一層楽しめます😊
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