たかちほじんじゃ
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高千穂神社ではいただけません
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高千穂神社のお参りの記録(3回目)
投稿日:2023年08月05日(土)
参拝:2023年7月吉日
高千穂神社は、 この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊、木花開耶姫命以下三代の神々をお祀りし、飛鳥時代から平安時代前期にかけて編纂された六国史に「高智保皇神」の神名で記載され、仁明・清和両朝(833~876)に日向国最高の御神階が授けられた国史見在社です。天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮として、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。
御祭神の高千穂皇神は、日向三代と称される皇祖神とその配偶神である天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命、彦火火出見尊と豊玉姫命、彦波瀲武鸕草葺不合尊と玉依姫命の総称です。十社大明神は神武天皇の皇兄、三毛入野命とその妻子神九柱、三毛入野命の妃神の鵜目姫命、御子神御子太郎命、二郎命、三郎命、畝見命、照野命、大戸命、霊社命、浅良部命の総称です。
創建は不詳ですが、神武天皇の兄宮三毛入野命が御東征の途次、高千穂に帰られて日向三代をお祀りされたのが初めとされています。以降、その子孫と称する三田井氏が長く 奉仕され、後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀し、垂仁天皇の時代に社殿が建立されたとされています。
天慶年間(938-947)には豊後国から来た大神氏が豊後国から大神惟基の長子の高知尾太郎政次が当地に入り、高知尾氏を興します。鎌倉時代末から高知尾氏に代わり島津氏が地頭となる一方、高知尾氏も三田井氏を称するようになりますが、天正年間(1573-1592)に三田井氏は滅んで延岡藩の領となりましたが、歴代藩主は社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきたことから、社名は古来「十社大明神」や「十社宮」などと称されてきました。明治4年(1895)に「三田井神社」と改称、更に同28年(1895)に現在の高千穂神社に改称されました。明治4年(1895)7月に延岡県の県社11月に美々津県の県社とされましたが、宮崎県に改組されると同6年(1873)に村社とされます。大正14年の秩父宮殿下の御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和46年7月1日、神社本庁の別表神社となっています。
中世、鎌倉幕府の源頼朝は、当社を篤く信仰し、畠山重忠を代参として多くの 宝物を奉納しました。社殿前に御神木としてそびえる畠山重忠公手植の杉は秩父杉と号なづけて今なお社頭に高くそびえ、千古の歴史を伝えています。樹勢は、目通りが30尺(9メートル)、高さは180尺(55メートル)、樹齢約800年になります。尚、源頼朝のよりとも公寄進の社宝鉄製の狛犬一対は世に優れたる鎌倉時代の名作として国の重要文化財に指定されています。元寇の文永の役、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃には征西将軍・懐良親王の御祈願など、古記録や宝物も多数残っています。
社殿は、安永7年(1778)、延岡藩主の内藤政脩により立替えられたものです。拝殿は、唐破風千鳥破風付。本殿は、切妻平入の千木外削で、鰹木9本。九州南部を代表する大規模な五間社流造銅板葺の建築で地方色も顕著に有しています。平成16年(2004)7月6日には国指定重要文化財に指定されています。本殿の東側脇障子の彫像は、当宮の御祭神、三毛入野命が霜宮鬼八荒神の足を捕まえて退治されたものです。荒神を平らげ農業や産業の道を拓かれた三毛入野命は、厄祓いや産業農業の神としても深い信仰があり、鬼八退治にちなんだ「猪懸祭」は12月3日に行われ、神道祭祀の原形をとどめた故事として有名です。鬼八塚は町内に三ヶ所あり、そのなかの首塚は現在の旧ホテル神州の東北にあります。また、西側脇障子には、事勝国勝長狭神大年神を祀る稲荷社が鎮座しています。
本殿東側に祀られている鎮石は、第11代垂仁天皇の勅命により我が国で初めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際、用いられた鎮石と伝えられています。尚、往古、関東に鹿島神宮を御社殿造営の際、高千穂宮より鎮石が贈られ、同宮神域に要石として現存しています。またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
本殿向かって左側には荒立神社・四皇子社が鎮座しています。荒立神は、猿田彦大神と天鈿女命の夫婦神。四皇子社、神武天皇、五瀬命、稲氷命、三毛入野命を祀っています。拝殿前の夫婦杉は、根元がひとつになって如何なる事があっても別れることのない形を現しています。夫婦杉の廻りを手をつないで三回廻ると、夫婦、友人など共々、仲睦まじく家内安全で子孫は繁栄の三つの願いが叶うと伝わっています。
高千穂、そしてその総社しての高千穂神社を広く知らしめているのが国の重要無形民俗文化財に指定されている夜神楽です。高千穂は11月中旬から翌年の2月まで各神楽宿にて夜神楽が催行されます。夜神楽は、氏神を神楽宿に招き入れる「舞入」から始まり、33番の神楽かぐらを舞います。高千穂神社では、11月22~23日にかけての「神話の高千穂夜神楽」で奉納され、神楽殿で夜を徹して高千穂の夜神楽の全33番が奉納されています。又、年間を通じて観光用に33番の中から「手力雄」・「鈿女」・「戸取」・「御神体」の4番が神楽殿で実演されています。
旧暦の12月3日に行われる猪々掛祭は、鎌倉時代から伝わる霜除神事で、この祭典で奉納される神楽は「笹振り神楽」といわれて高千穂神楽の原型とされています。神代の昔、荒振神の鬼八を十社大明神が退治しますが、鬼八の霊は何度も生き返り、早霜を降らせて作物を害します。そのため、鬼八の好物である猪1頭を神前に捧げて鬼八の霊を慰め、五穀の豊穣を祈ったとされています。この祭りで炊いて供える新穀の器は、天正年間のもので、この猪々掛祭のみに使用される木の鉢です。
御祭神の高千穂皇神は、日向三代と称される皇祖神とその配偶神である天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命、彦火火出見尊と豊玉姫命、彦波瀲武鸕草葺不合尊と玉依姫命の総称です。十社大明神は神武天皇の皇兄、三毛入野命とその妻子神九柱、三毛入野命の妃神の鵜目姫命、御子神御子太郎命、二郎命、三郎命、畝見命、照野命、大戸命、霊社命、浅良部命の総称です。
創建は不詳ですが、神武天皇の兄宮三毛入野命が御東征の途次、高千穂に帰られて日向三代をお祀りされたのが初めとされています。以降、その子孫と称する三田井氏が長く 奉仕され、後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀し、垂仁天皇の時代に社殿が建立されたとされています。
天慶年間(938-947)には豊後国から来た大神氏が豊後国から大神惟基の長子の高知尾太郎政次が当地に入り、高知尾氏を興します。鎌倉時代末から高知尾氏に代わり島津氏が地頭となる一方、高知尾氏も三田井氏を称するようになりますが、天正年間(1573-1592)に三田井氏は滅んで延岡藩の領となりましたが、歴代藩主は社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきたことから、社名は古来「十社大明神」や「十社宮」などと称されてきました。明治4年(1895)に「三田井神社」と改称、更に同28年(1895)に現在の高千穂神社に改称されました。明治4年(1895)7月に延岡県の県社11月に美々津県の県社とされましたが、宮崎県に改組されると同6年(1873)に村社とされます。大正14年の秩父宮殿下の御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和46年7月1日、神社本庁の別表神社となっています。
中世、鎌倉幕府の源頼朝は、当社を篤く信仰し、畠山重忠を代参として多くの 宝物を奉納しました。社殿前に御神木としてそびえる畠山重忠公手植の杉は秩父杉と号なづけて今なお社頭に高くそびえ、千古の歴史を伝えています。樹勢は、目通りが30尺(9メートル)、高さは180尺(55メートル)、樹齢約800年になります。尚、源頼朝のよりとも公寄進の社宝鉄製の狛犬一対は世に優れたる鎌倉時代の名作として国の重要文化財に指定されています。元寇の文永の役、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃には征西将軍・懐良親王の御祈願など、古記録や宝物も多数残っています。
社殿は、安永7年(1778)、延岡藩主の内藤政脩により立替えられたものです。拝殿は、唐破風千鳥破風付。本殿は、切妻平入の千木外削で、鰹木9本。九州南部を代表する大規模な五間社流造銅板葺の建築で地方色も顕著に有しています。平成16年(2004)7月6日には国指定重要文化財に指定されています。本殿の東側脇障子の彫像は、当宮の御祭神、三毛入野命が霜宮鬼八荒神の足を捕まえて退治されたものです。荒神を平らげ農業や産業の道を拓かれた三毛入野命は、厄祓いや産業農業の神としても深い信仰があり、鬼八退治にちなんだ「猪懸祭」は12月3日に行われ、神道祭祀の原形をとどめた故事として有名です。鬼八塚は町内に三ヶ所あり、そのなかの首塚は現在の旧ホテル神州の東北にあります。また、西側脇障子には、事勝国勝長狭神大年神を祀る稲荷社が鎮座しています。
本殿東側に祀られている鎮石は、第11代垂仁天皇の勅命により我が国で初めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際、用いられた鎮石と伝えられています。尚、往古、関東に鹿島神宮を御社殿造営の際、高千穂宮より鎮石が贈られ、同宮神域に要石として現存しています。またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
本殿向かって左側には荒立神社・四皇子社が鎮座しています。荒立神は、猿田彦大神と天鈿女命の夫婦神。四皇子社、神武天皇、五瀬命、稲氷命、三毛入野命を祀っています。拝殿前の夫婦杉は、根元がひとつになって如何なる事があっても別れることのない形を現しています。夫婦杉の廻りを手をつないで三回廻ると、夫婦、友人など共々、仲睦まじく家内安全で子孫は繁栄の三つの願いが叶うと伝わっています。
高千穂、そしてその総社しての高千穂神社を広く知らしめているのが国の重要無形民俗文化財に指定されている夜神楽です。高千穂は11月中旬から翌年の2月まで各神楽宿にて夜神楽が催行されます。夜神楽は、氏神を神楽宿に招き入れる「舞入」から始まり、33番の神楽かぐらを舞います。高千穂神社では、11月22~23日にかけての「神話の高千穂夜神楽」で奉納され、神楽殿で夜を徹して高千穂の夜神楽の全33番が奉納されています。又、年間を通じて観光用に33番の中から「手力雄」・「鈿女」・「戸取」・「御神体」の4番が神楽殿で実演されています。
旧暦の12月3日に行われる猪々掛祭は、鎌倉時代から伝わる霜除神事で、この祭典で奉納される神楽は「笹振り神楽」といわれて高千穂神楽の原型とされています。神代の昔、荒振神の鬼八を十社大明神が退治しますが、鬼八の霊は何度も生き返り、早霜を降らせて作物を害します。そのため、鬼八の好物である猪1頭を神前に捧げて鬼八の霊を慰め、五穀の豊穣を祈ったとされています。この祭りで炊いて供える新穀の器は、天正年間のもので、この猪々掛祭のみに使用される木の鉢です。
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