さのじんじゃ
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楽しみ方狭野神社のお参りの記録一覧

参拝記念⛩️✨️
狭野神社
霧島六社権現③
宮崎県高原町に鎮座する狭野神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
霧島六社権現の内の1社です。
霧島岑神社から南下して狭野神社へ
鳥居から参道の雰囲気が素敵です✨️
やはりこちらも仁王像があり…
神仏習合の香りがします。

御朱印 書置き
拝殿に書置きが数種類用意されていました。
書置きのみで書入れは行っていない様子でした


鳥居

境内図

社号標

参道



手水舎




神門

神門から覗く境内

参道に対して社殿はと直角に90度
北を背にして佇んでいます
参道は新燃岳を向いていますj


狛犬
シュールでカッコイイ✨️


と思ったら
肋骨が浮き出てるよ?
ちゃんとご飯食べな~



狭野杉







拝殿



絵馬






仁王像



曼珠沙華
ありがとうございました🙏

霧島山を御神体とし修験道の行場として崇敬された「霧島六社権現」の一社です。社名の「狭野」は初代神武天皇さまの幼名に因んでおり、神武天皇さまの生誕地として創建されたといわれています。また一説には霧島山の頂上に鎮座していましたが噴火によって現在地へ遷座したという霧島に関連した伝承もあります。

《一の鳥居》
霧島バードラインに面しており、ここから三の鳥居までかなり長い参道が続きます。

《三の鳥居と社号碑》
この右手に駐車場があります。

《表参道》

《蝸牛》
直前までゲリラ豪雨みたいな雷雨だったので出てきたみたいです。踏まれっぞー。

《手水舎》
水は流れていました。洗ひつるここも…(略)

《神門》

《御神木》

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
こちらの神社は霧島六社権現の一つに数えられつつも、神武天皇さまの誕生地ということから明治に宮崎神宮の境外末社という扱いになっていました。現在はまた独立して別表神社になっています。六社権現の中では唯一ですが、同じく宮崎神宮も別表神社なので同列の扱いを受けた状態で神社本庁に引き継がれたものと思われます。

《授与品》
どうやら神主さんが留守なことも多いらしく拝殿にお札と書置きの御朱印が並んでいます。

《由緒書き》

《近隣神社の御朱印一覧》
けっこう多くの御朱印が作られたみたいです。こちらのサイトにも登録のある神社ばかりですから参拝が楽しみですね。

《水神社》
霧島山から流れる霧島裂罅水としてこの地域を潤していたことで篤い崇敬を集めています。

《授与所》
今回は業務のため神主さんがいらっしゃいました。書置きの御朱印いただいた。

《神徳神社》
こちらも神仏習合の時代には神徳院という別当寺がありましたが、神仏分離の際に廃寺となっています。そのかつてのお寺を神様という形で再興したようです。

《新燃岳大噴火の碑》
こちらはたしか明治以降に噴火した際に建てられたもの…だったはず。

霧島六社権現の狭野神社へお参りしました。
神武天皇は幼名を「狭野命」と言い、高原町狭野の地で御誕生になられたと言われています。
「三の鳥居」前に駐車し、ここから南参道を歩きました。
参道の樹齢およそ400年の杉並木に圧倒されながらも、歩いていると優しい木陰が暑さを忘れさせてくれ、厳かな雰囲気が漂う参道でした。
拝殿では、初宮参りの御祈祷が行われておりましたので静かにお参りしました。
外拝殿からお参りさせて頂き、御朱印もこちらに書置きがありました。
















外拝殿、こちらからお参りしました。



拝殿の龍の彫刻が素晴らしいです。


紫陽花の根本はフカフカの苔に覆われていました。

右の仁王様、笑顔です😊


神徳神社

豊受神社と新燃岳大噴火乃碑






【日向國 古社巡り】
狭野神社(さの~)は、宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田にある神社。旧社格は県社、のち官幣大社・宮崎神宮の別宮。現在は再独立し、神社本庁の別表神社。主祭神は神日本磐余彦天皇(神武天皇)、配祀神は吾平津媛命、天津彦火瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命。社名は神武天皇の幼名「狭野尊」に因む。旧称は「東霧島権現」で、霧島六所権現の1社(4/6)。
社伝によると、第5代・孝昭天皇の御代(紀元前475年~紀元前393年)、神武天皇ご降誕の地に創建されたと伝わる。霧島連峰の麓に位置するため幾多の火山噴火の災禍に見舞われ、奈良時代の788年、鎌倉時代の1234年に社殿を焼失し、仮殿を設け遷座している。江戸時代初期の1610年に元の狭野の地に新社殿を造営し遷御している。なお、戦国時代以降、島津氏から篤い尊崇を受け、文禄年間の豊臣秀吉公朝鮮の役では島津義弘公出陣に際し戦勝祈願がなされ、凱旋後1600年に祈願奉賽として境内全般に杉を植栽した(現在は国の天然記念物)。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、大正に入り宮崎神宮の別宮に指定された(戦後再独立)。
当社は、JRえびの高原線・高原駅の南西3kmあまりの霧島山の山裾、高千穂峰の東北東5kmの比較的平らな場所にある。境内は古高木が立ち並ぶ森で、そこにまっすぐで長い参道と、ぽっかりと空が開けた社殿周りと大きな社殿が存在する。島津家に手厚く保護されてきた、豪壮で美しい境内の造りに行き届いた手入れは神聖な空気感を生み出し、さすが別表神社と思わせてくれる。
今回は、宮崎県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元の人にとってもレジャーの定番なのか、地元風の家族連れを中心に割と多くの参拝客が訪れていた。

境内東端入口全景。深い森に真っ赤な鳥居が映える。

境内入口の<鳥居>と<社号標>。社号標には社号の前に「縣社」ではなく「別表」と書かれている。

鳥居をくぐって、深い森に入って行く。

神聖な空気感の中、参道を進むと、真っ赤な<神橋>が小川の上に架かっている。

参道左側の<手水舎>。

参道右側の<修祓殿>。

さらに進んで<神門>をくぐる。

神門をくぐって前に進むと、右手に社殿が見えてくる。

瑞垣で囲われているエリアに入って行く。

神域入口左側の<狛犬>。大社でよく見かけるブロンズ製かな。

神域入口右側の<狛犬>。

<外拝殿>全景。当社の社殿は<外拝殿ー拝殿ー本殿>という構成になっている。

外拝殿内部から<拝殿>を望む。

<拝殿>全景。

社殿の右側を見て廻る。

社殿の右側奥、拝殿右側に繋がっている<祈祷受付所>。

社殿の右側にある<授与所>。御朱印はこちら。かなり豊富な種類の書置きの御朱印が置いてある。

授与所近くにある境内社<東門守社>。宮崎県によくある門の守護神かと思い、外拝殿の反対側を見て見ると、、、

案の定、外拝殿の左手に反対側の門の守護神<西門守社>を発見。(o^―^o)

外拝殿に向かって左手にある<水神社>。

水神社近くから見た<社殿>全景。拝殿には両側に翼殿がある。

拝殿後ろの<本殿>。三間社流造で、1907年に霧島神宮の旧本殿を移築したもの。

神域入口にある<御神木>。

最後に、実際に最初に到着したのは西参道入口のこちらの鳥居。正参道をまっすぐ進むとこちらに辿り着く。(^▽^)/

近く通ったので寄ってみました。
袋に入ってあり、一つ600円でした。

納涼詣 限定御朱印

第63回式年遷宮奉賛限定御朱印

夏越詣 限定御朱印

記紀旅で初めて参拝
狭野神社は、神武天皇
幼名、狭野尊を祀るお社です。
神社名は、近くにある皇子原で誕生した狭野尊に由来しております。
狭野神社 外拝殿
〔主祭神〕 神日本磐余彦天皇
孝昭天皇(人皇第五代)の御代 神武天皇の御降誕の地(皇子原)に社殿の創建があったのが、狭野神社の創祀といわれております。
その後、再三にわたる霧島山の噴火により社殿等炎上の災厄に遭い、現在の地に社殿を造営還座されたのは、慶長15年(1610)。その頃より、藩主島津氏より社殿の改築、社領の寄進等が行われました。
*孝昭天皇 :『古事記』『日本書紀』に伝えられる第5代天皇 (在位:紀元前475年 - 紀元前393年)
大正4年に宮崎神宮の別宮に指定。終戦後は事情により独立神社となりましたが、宮崎神宮別宮の名称はそのまま残されています。
霧島六所権現(狭野神社は狭野大権現社 別当・神徳院)、霧島神宮、霧島東神社、東霧島神社、霧島岑神社、夷守神社)の一つとして事始めの神(事業所安全)、厄除開運、交通安全、子供達の守り神、長寿の神として人々の篤い崇敬をあつめています。















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