さのじんじゃ
狭野神社のお参りの記録一覧
【日向國 古社巡り】
狭野神社(さの~)は、宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田にある神社。旧社格は県社、のち官幣大社・宮崎神宮の別宮。現在は再独立し、神社本庁の別表神社。主祭神は神日本磐余彦天皇(神武天皇)、配祀神は吾平津媛命、天津彦火瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命。社名は神武天皇の幼名「狭野尊」に因む。旧称は「東霧島権現」で、霧島六所権現の1社(4/6)。
社伝によると、第5代・孝昭天皇の御代(紀元前475年~紀元前393年)、神武天皇ご降誕の地に創建されたと伝わる。霧島連峰の麓に位置するため幾多の火山噴火の災禍に見舞われ、奈良時代の788年、鎌倉時代の1234年に社殿を焼失し、仮殿を設け遷座している。江戸時代初期の1610年に元の狭野の地に新社殿を造営し遷御している。なお、戦国時代以降、島津氏から篤い尊崇を受け、文禄年間の豊臣秀吉公朝鮮の役では島津義弘公出陣に際し戦勝祈願がなされ、凱旋後1600年に祈願奉賽として境内全般に杉を植栽した(現在は国の天然記念物)。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、大正に入り宮崎神宮の別宮に指定された(戦後再独立)。
当社は、JRえびの高原線・高原駅の南西3kmあまりの霧島山の山裾、高千穂峰の東北東5kmの比較的平らな場所にある。境内は古高木が立ち並ぶ森で、そこにまっすぐで長い参道と、ぽっかりと空が開けた社殿周りと大きな社殿が存在する。島津家に手厚く保護されてきた、豪壮で美しい境内の造りに行き届いた手入れは神聖な空気感を生み出し、さすが別表神社と思わせてくれる。
今回は、宮崎県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元の人にとってもレジャーの定番なのか、地元風の家族連れを中心に割と多くの参拝客が訪れていた。
境内東端入口全景。深い森に真っ赤な鳥居が映える。
境内入口の<鳥居>と<社号標>。社号標には社号の前に「縣社」ではなく「別表」と書かれている。
鳥居をくぐって、深い森に入って行く。
神聖な空気感の中、参道を進むと、真っ赤な<神橋>が小川の上に架かっている。
参道左側の<手水舎>。
参道右側の<修祓殿>。
さらに進んで<神門>をくぐる。
神門をくぐって前に進むと、右手に社殿が見えてくる。
瑞垣で囲われているエリアに入って行く。
神域入口左側の<狛犬>。大社でよく見かけるブロンズ製かな。
神域入口右側の<狛犬>。
<外拝殿>全景。当社の社殿は<外拝殿ー拝殿ー本殿>という構成になっている。
外拝殿内部から<拝殿>を望む。
<拝殿>全景。
社殿の右側を見て廻る。
社殿の右側奥、拝殿右側に繋がっている<祈祷受付所>。
社殿の右側にある<授与所>。御朱印はこちら。かなり豊富な種類の書置きの御朱印が置いてある。
授与所近くにある境内社<東門守社>。宮崎県によくある門の守護神かと思い、外拝殿の反対側を見て見ると、、、
案の定、外拝殿の左手に反対側の門の守護神<西門守社>を発見。(o^―^o)
外拝殿に向かって左手にある<水神社>。
水神社近くから見た<社殿>全景。拝殿には両側に翼殿がある。
拝殿後ろの<本殿>。三間社流造で、1907年に霧島神宮の旧本殿を移築したもの。
神域入口にある<御神木>。
最後に、実際に最初に到着したのは西参道入口のこちらの鳥居。正参道をまっすぐ進むとこちらに辿り着く。(^▽^)/
第五代孝昭天皇の時代に神武天皇降誕の地に創建されたと伝わる。
霧島山の火山噴火の災禍に幾度もあい社殿を焼失したこともあり、1610年に現在地に遷座された。
かつて神仏習合しており神徳院が別当寺であった。その名残として神徳神社脇に1750年に造られた仁王像が残されている。
拝殿
外拝殿
本殿
本殿
神門
水神社
西門守社
東門守社
豊受神社
豊受神社
神徳神社
仁王像
仁王像
記紀旅で初めて参拝
狭野神社は、神武天皇
幼名、狭野尊を祀るお社です。
神社名は、近くにある皇子原で誕生した狭野尊に由来しております。
狭野神社 外拝殿
〔主祭神〕 神日本磐余彦天皇
孝昭天皇(人皇第五代)の御代 神武天皇の御降誕の地(皇子原)に社殿の創建があったのが、狭野神社の創祀といわれております。
その後、再三にわたる霧島山の噴火により社殿等炎上の災厄に遭い、現在の地に社殿を造営還座されたのは、慶長15年(1610)。その頃より、藩主島津氏より社殿の改築、社領の寄進等が行われました。
*孝昭天皇 :『古事記』『日本書紀』に伝えられる第5代天皇 (在位:紀元前475年 - 紀元前393年)
大正4年に宮崎神宮の別宮に指定。終戦後は事情により独立神社となりましたが、宮崎神宮別宮の名称はそのまま残されています。
霧島六所権現(狭野神社は狭野大権現社 別当・神徳院)、霧島神宮、霧島東神社、東霧島神社、霧島岑神社、夷守神社)の一つとして事始めの神(事業所安全)、厄除開運、交通安全、子供達の守り神、長寿の神として人々の篤い崇敬をあつめています。
近くに行く予定があり、伺いました。
近所の方の話しでは「30,31日は殆どいなかった。1,2,3日は例年よりは少ないけど、4,5日も含めると人居ましたね。」とのこと。
コロナ渦対策されてます。
皇子原神社のも頂けます。
展示の所に説明が有りました。
令和はニュースにもでたことが書かれてました
神武天皇生誕の地とされるところにできた神社。読みは「さの」。
風に揺れる木々の音が良い感じの参道でした。雰囲気も良いです。また来たいと思える神社でした。
御朱印は9時から16時までとありました。駐車場あり。トイレもあり。
西参道の鳥居。ここにも駐車場はありますが、停められる数は少ないです。
過去(2016年<平成28年>)参拝分の投稿です。
霧島東神社から少し移動して狭野神社へやってきました。
狭野神社(狭野権現社・神徳院)は、霧島六社権現のうちの一社で、歴代第5代天皇である孝昭天皇(紀元前475年~紀元前393年)の御代に、神武天皇ご生誕の地に創建されたのが始まりと伝えられている神社です。
ご祭神は初代天皇である神武天皇です。
神武天皇は幼名を狭野尊(さののみこと)と言いますが、その由来は皇族の幼名は生まれ育った地名を付けるという慣習があり、ここの地名の狭野という名称が元になっていると伝えられています。
狭野神社から西に1km程離れたところにある、末社の皇子原神社が神武天皇生誕の地と言われています。
直線の参道では日本で一番長いと言われる狭野神社の参道沿いは、美しい杉並木となっていて、夏でも涼しく気持ちのいいものがあります。
こじんまりとした神社ですが、ご神木もあり大変心が癒される神社でした。
御朱印も頂くことができました。
西参道入口にある朱色の鳥居
ご神木(狭野杉)
拝殿の様子 ①
拝殿の様子 ②
斜めから拝殿全体を捉えた様子
外拝殿を含む全景
(外拝殿・拝殿・幣殿と連なる三間社流造りの本殿は、明治四十年(1907年)に宮崎神宮の旧社殿を移築したもの)
ご神木の横で紙垂を纏った狛犬が凛々しく見える
外拝殿を遠くから見る
さらに遠くからご神木とセットで見るのもいい雰囲気です
御朱印です
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