みやざきけんごこくじんじゃ
宮崎縣護國神社のお参りの記録一覧
宮崎神宮横の護国神社に参拝してきました。今回の旅行では、知覧に行き母国のために尊い命を捧げてくれた若き勇士の英霊を弔うことも目的のひとつでした。
知覧の護国神社に続いて九州(長野県以外)の護国神社に参拝できて良かったです。宮司さん達も優しくて、お茶をどうぞと言って貰いました。お茶受けに乾パンと飴がありました。乾パン懐かしく頂戴しました。
今年から長野県護国神社に月詣りしています。護国神社って、どこも神聖な雰囲気がありますよね。戦争はよくないですが、戦争で亡くなられた方々の英霊を弔うことって大事ですよね。今があるのは、犠牲になられた方々のおかげですから。
【全国護国神社巡り】
宮崎縣護國神社(みやざきけん・ごこく~)は、宮崎県宮崎市神宮にある神社。旧内務大臣指定護国神社相当。祭神は、宮崎県出身の国家公共に尽くした人の神霊及び公務殉職者の御霊41,000余柱。
第二次世界大戦以前、宮崎県内には7つの招魂社があったが、1939年の内務省令「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」により一斉に護国神社と改称した。ただし、いずれも内務大臣が指定した府県社相当の指定護国神社ではなく、それ以外の村社に相当する指定外護国神社であった。1941年の大東亜戦争勃発に伴い戦歿者数が著しく増加したことにより、宮崎県内で指定護国神社建設の機運が高まり、1943年に内務大臣からの許可を得て建設工事が始まったが、やがて宮崎空襲の激化により1945年5月末をもって工事は中止となった。戦後、日本の主権回復の1952年からふたたび宮崎県護国神社建設の機運が高まり、1955年に宮崎神宮境内神社として設立された。
当社は、JR日豊本線・宮崎神宮駅の西方400mにある宮崎神宮の敷地内、西側にある。このため、当社独自の大きな鳥居が、宮崎神宮境内の西側に建っている。鳥居をくぐって少し歩くと当社境内に到着し、そこから社殿まではおおむね100mほどの真っ直ぐな参道が続いている。敷地は広くはないが、深い緑に囲まれた護国神社らしい厳かな雰囲気が漂っている。
今回は、旧内務大臣指定護国神社相当であることから参拝することに。参拝時は平日の夕方で、自分たち以外にも、神社好きと思しき夫婦連れなどが参拝に訪れていた。
宮崎神宮の境内西端にある、当社・宮崎縣護國神社の<一の鳥居>と<社号標>。
一の鳥居をくぐって数十m進んだ左手の眺め。この辺りからが当社の境内。
参道右側にある建物。
参道右側にある<社務所>。御朱印はこちら。
参道左側にある建物。
参道左側にある<手水舎>。
参道左側の<神馬>。赤い神馬は珍しいかも。(o^―^o)
参道進んで<二の鳥居>。
二の鳥居をくぐったところからの眺め。真っ直ぐの参道が気持ち良い。
この位置からだと、拝殿後方の本殿の屋根がかろうじて確認できる。
<拝殿>全景。緑の屋根に白い躯体が清々しい。
<拝殿>正面。紅白の紙垂や柑橘系の果実の飾りは珍しい。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿に向かって右手に石碑が並んでいるので見て廻る。
こちらは<馬魂碑>(左)と<慰霊之碑(第三十七師団戦歿者)>(右)。
<慰霊之碑(臺湾歩兵第一聯隊戦没者)>(左)と<鎮魂碑(ブーゲンヒル島)>(右)。
こちらは<神風特攻隊のさきがけ敷島隊>の石碑。
<特攻勇士之像>とその碑文。
<記念碑(七三一〇部隊)>と<慰霊之碑(輸送船富山丸戦没者)>
こちらは<慰霊碑(歩兵第七十二連隊)>。
最後に<拝殿>全景。宮崎神宮内にありながらも、周りを深い木々に囲われており、まったく別の空気感をもっている。(^▽^)/
宮崎神宮のお隣に護国神社にお参りしました。
英霊をお祀りする神社なので境内全体から力強さが感じられます。
宮崎神宮の隣でついでに立ち寄るというのには境内が広く、もう少し時間を取ってゆっくり参拝すればよかったと思いました。
自然観察ができない東京なので、境内で小型の蝶々ムラサキツバメのメスを発見して嬉しかったです。ムラサキツバメは茶色の羽に名前にある紫の紋があるのはメスで、オスは茶色のみです。美しいムラサキツバメ姫に会えました。
太陽を受けて白く輝く鳥居。宮崎神宮の鳥居は神明式、こちら護国神社は明神式です。
参道は広くまっすぐです。
参道に茶と紫の綺麗でかわいい蝶がいました。ムラサキツバメという小型の蝶々で、紫の紋があり綺麗なのはメスだそうです。
拝殿は白亜の近代建築で大きく、遠くから撮影しないと全体が収まりませんでした。
御朱印をいただきました。
御朱印は二種類ありました。
健康長寿の鶴と亀のお守りを授与していただきました。亀の甲羅は金糸できらきらしています。
お守りの裏にも松竹梅の柄があります。宮崎県護国神社の神紋は菊と桜が重なっている図案です。
この神社は宮崎神宮の西側に隣接して鎮座しています。何処の護国神社でも感じるのですが、この社も整然と整備清掃されています。
御祭神:国家公共に尽くした人の神霊
例祭日:例大祭・4月10日、みたま祭・8月14・15日、命日祭・毎日御前10時
由緒: 全国各道府県の護国神社は殆ど明治維新の当時に招魂社として創建され戦前より慰霊の祭儀が行われていました。 けれど宮崎県は、明治維新の当時、小藩分立の状態であった等の事情もあって、県内全域の御霊を祀る招魂社は創立されていませんでした。そこで県としては移設のできる小さな社殿を造り、毎年祭場を設営して県下全戦没者の招魂祭を執り行ってきましたが、昭和18年4月23日内務大臣の許可を得て宮崎市下北方の高台に鎮座地を定め建設工事に着手しました。
その建設途上、昭和20年8月15日の終戦を迎え、日本が連合国の占領下におかれるとともに建設を放棄するのを余儀なくされました。
その後、講和条約の発効をみるに至り護国神社再建の要望が起こり、昭和28年4月宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して県民の浄財をつのり神社の再建に着手し、昭和30年3月竣工同日鎮座祭を斎行し今日に至ります。
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