ばいけいじ|曹洞宗|両峰山
梅渓寺のお参りの記録一覧
宮城県石巻市牧山に境内を構える両峰山梅渓寺に霊場巡礼で来ましたのでどの様な寺院か、引用を用いて調べて見ました、山号は両峰山、寺号は梅渓寺、宗派は曹洞宗、ご本尊は釈迦牟尼仏、牧山観音ご本尊は聖観世音菩薩、奥州三観音と奥州七観音に数えられてます、奥州三十三観音霊場、第八番札所、牡鹿三十三観音霊場、第二番札所、東日本大震災慰霊、みちのく巡礼三十三観音霊場、宮城、第十四番札所「梅谷寺」と称する天台宗の寺院でしたが、貞治2年(1363)、無盡天全が曹洞宗に改宗開山し、寺号を「梅渓寺」に改めています。無盡天全は大梅拈華山正法寺(岩手県奥州市水沢区黒石町)2世月泉印(陸奥本吉郡又は能登出身、能登総持寺の峨山韶碩の法嗣、秋田補陀寺開山。)の法嗣で当地域の曹洞宗布教に尽力しています。
一方、牧山には延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に格式の高い名神大社として記載されていた零羊崎神社が鎮座し、延暦17年(798)に延鎮により創建された魔鬼山寺が境内を構えていました。
当時、魔鬼山(牧山)には蝦夷の頭領の1人大嶽丸が巣食い周辺に悪事を働いていた事から征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が当地まで侵攻し、苦戦の末、大嶽丸の妻(又は妾)である魔鬼女を討ち取り、その菩提を魔鬼山寺に葬り、祟りを恐れて観世音菩薩(牧山観音)を勧請し安置しました。
その後、零羊崎神社は小祠となり、魔鬼山寺は牧山寺、長禅寺と寺号を改称し、田村麻呂が勧請した観世音菩薩は富山観音(宮城県松島町)、箟峯観音(宮城県涌谷町)共に奥州三観音に数えられ、奥州三十三観音霊場、札所にも選定され信仰を広げました。
明治初頭に発令された神仏分離令により長禅寺は廃寺となり、堂宇は零羊崎神社の社殿、僧侶は零羊崎神社の神官に還俗し、長禅寺の仏像や仏具は同じ牧山に境内を構えていた梅渓寺に遷され奥州三十三観音霊場の第八番札所も梅渓寺が引き継ぎました
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