よねかわはちまんじんじゃ
米川八幡神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 応神天王 | |
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創建時代 | 1062年(康平5年 平安) | |
創始者 | 源 頼義公、頼家公 | |
ご由緒 | 【米川八幡神社の由緒】
祭日は岩清水に準じて8月15日と定め、神楽、流鏑馬を行い永世かわることなく、別当宮内卿亡卒の後二十余年退転して社頭亦荒廃したが建長元年理性坊林光別当職を請け社殿を修営。 其の後永禄7年9月葛西民部少輔殿子息「 孫太郎」が再興、同15日鎮座式を執行致しました。(別当南光坊兼綱代) また、八幡宮東側に位置します若草山へは寛政10年(1798年)に正一位若草稲荷大明神が再建され、八幡宮の末社として天倉山に鎮座しております。 明治8年6月村社列格、同40年3月供進社に指定され、同41年12月鱒淵三嶋神社、諏訪山大慈寺諏訪神社を合祀。 【御祭神、菅原道真公】をお祀りする学業の神様 天神社を遷祀し、【御祭神、木花開邪姫命】をお祀りする安産の神様、山神社が鎮座。 文政3年(1820年)十月に建立されました【御祭神、牛頭天王、大巳貴命】をお祀りする、疱瘡(天然痘)の神である若木(おさなぎ)神社が鎮座。 現東和町、米川八幡神社として受け継がれて参りました。 平成17年3日登米市(旧登米郡東和町)の有形文化財に指定された現在の拝殿は、寛政6年(1794年)に建替えられ、拝殿内には、嘉永5年(1852年)に奉納されました、一枚一枚と同じ絵柄のない169年もの時を経てもなお、色褪せることなのない「花天井」をはじめ、拝殿内外には奉納されました絵馬や俳句額などが掲げられております。 その中には安政4年(1857年)幕末の仙台藩内の著名な俳人5人と村の俳人たちの俳句額が奉納されております。 (※平成23年東日本大震災による修繕工事が行われたことにより、現在は俳句額は取り外してございます) 社殿内には四社社宝随神像、雷神像、八幡像、天神像、牛頭天王の坐像がございます。 (同東和町米川にございます大慈寺様へ、本尊不動明王(木像八尺五寸)、聖観音(木像四尺三寸)、毘沙門天王(木像立像四尺一寸)の奉納がなされております。) 尚、境内へは、八幡山大誓寺の名残りでございます護摩堂を始め、昭和61年5月26日登米市(旧登米郡東和町)の有形文化財に指定されました御神木の「太郎坊・次郎坊杉」がございます。(別名:夫婦杉) |
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