さえのじんじゃ
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楽しみ方佐倍乃神社のお参りの記録一覧

所在地:宮城県名取市愛島笠島字西台1-4
主祭神:猿田彦大神、天鈿女命
社 格:郷社
創 建:110年(景行天皇40年)
由 緒
由緒書によれば、当社の創建は景行天皇40年(110年)、日本武尊の東征の折に勧請されたという。例祭は、東征の時から毎年4月20日に催行されている。その他にも垂仁天皇の御代には八津峯に鎮座していたという説や、雄略天皇の御代には社殿が建立されたとも云われる。しかし、慶長7年(1602年)に当社が野火にあった際に、古来からの文献や宝物が一切焼失したため詳細は不明である。
後柏原天皇の御代、大永2年(1522年)10月23日に本殿が造営され、文禄元年(1592年)2月15日に伊達政宗により社殿の修繕が行われた。元禄13年(1701年))10月19日には伊達綱村により拝殿の修繕が行われ、祭田20石の寄進が行われるなど、民衆のみならず歴代伊達藩主からも篤く崇敬された。
享保17年(1733年)には宗源宣旨を受け、神階「正一位」を授与。往古から社名を村社「道祖神社」としていたが、明治時代初期に現在の社名である村社「佐倍乃神社」へ改称した。明治41年(1908年)11月に郷社に列格し、同43年3月には幣帛供進社に指定された。明治41年(1908年)には延喜式内社の佐具叡神社や近隣地域の神社10社を合祀した。
佐倍乃神社の祭神である猿田彦大神は、天孫降臨の際に皇御孫命である邇邇芸命を先導した神とされており、そのことから「道祖神」や「幸神(さいのかみ)」と呼ばれている。当社の社名の「佐倍乃(さえの)神社」は「幸神(さいのかみ)」の名称にちなむものである。佐倍乃神社は、主に人生や生活の道開き・交通安全の神社として崇敬を集めており、その他にも縁結び・五穀豊穣・商売繁盛・家運隆盛の御神徳があるとされている。
また、もう一柱の祭神である天鈿女命は猿田彦大神の妃神であり、天の岩戸開きのときに岩戸の前で舞を踊った神とされる。そのため、当社は音楽・芸能技芸向上の神や夫婦和合の神として信仰されており、芸能関係者が参拝に来るという。
松尾芭蕉も曽良とともに当社と実方中将の墓を目指して旧暦5月4日(現在の6月20日頃)やってきた。しかし、五月雨にぬかるんだ道は、長旅により疲労した二人の体には重いものがあった。そのため二人は佐倍乃神社と実方中将の墓への参拝を断念し「笠嶋は いづこさ月の ぬかり道」と一句詠み、神社や中将の墓のある当たりを眺めるにとどまったという。東北本線館腰駅から南西に450メートルほどの川沿いの場所には「道祖神路の道標」と呼ばれる石標がある。
(Wikipediaより)














佐倍乃神社(道祖神社)に参拝にあがりました👏由緒が『日本書紀』にまつわる神社で、景行天皇時代に、日本武尊により勧請。境内は凄く澄んだ空気に包まれていて、心が安らぎました。初冬には境内にある銀杏の葉が落ち、境内が一面、黄色の絨毯を引き詰めた素敵な景観をみることが出来ます。そんな季節にまた参拝にあがりたいと思います😄
【御祭神】
猿田彦神(さるたひこかみ)
天鈿女命(あめのいずめのみこと)
江戸時代には「道祖神社」と呼ばれていましたが、明治7年に古称の「佐倍乃(さえの)神社」に改称し、明治41年 塩手にあった式内社佐具叡(さぐえ)神社が合祀されました。 源氏物語の主人公・光源氏のモデルになったとされる中将藤原朝臣実方が、この地方に赴任中、この神社の前を馬から降りずに通過してしまいました。 それが神前で無礼を働いたとして落馬し、それが元で亡くなったといわれています。



年季の入った狛犬さま

年季の入った狛犬さま

神門

拝殿

拝殿

本殿

境内社

境内社

館腰神社の次に佐倍乃神社(正一位道祖神社)を参拝しました。 佐倍乃神社は、宮城県神社庁で調べると(さへのじんしゃ)と読みます。 読めないですよね・・・
事前調べで御朱印は、社務所で対応となっていますが宮司様が不在のようで社務所が閉まっていました。 御朱印は、またの機会となります。
駐車場は、ありました。
佐倍乃神社の由緒
(観光情報 来たHUBより抜粋)
・佐倍乃神社の創建は、景行天皇40年(110年)と伝えられています。 社伝によると日本武尊が東征の際にこの地に立ち寄り、猿田彦神と天細女命を祀ったのが始まりとされています。 その後平安時代には朝廷から崇敬を受け、延喜式内社に列せられました。 江戸時代には、仙台藩主伊達政宗公の崇敬を受け、社殿の修繕や祭祀の保護が行われました。

佐倍乃神社の鳥居と社号標

社号標
(道祖神社となっています)

鳥居の扁額
(正一位道祖神となっています)

左側の狛犬

右側の狛犬

神門(随神門)

手水舎

佐倍乃神社(正一位道祖神社)の拝殿

拝殿の扁額

佐倍乃神社(正一位道祖神社)の本殿

境内社

佐倍乃神社の社務所

佐倍乃神社(道祖神社)に参拝にあがりました👏由緒が『日本書紀』にまつわる神社で、景行天皇時代に、日本武尊により勧請。境内は凄く澄んだ空気に包まれていて、心が安らぎました。素敵な神社、また参拝にあがりたいと思います😄
【御祭神】
猿田彦神(さるたひこかみ)
天鈿女命(あめのいずめのみこと)
江戸時代には「道祖神社」と呼ばれていましたが、明治7年に古称の「佐倍乃(さえの)神社」に改称し、明治41年 塩手にあった式内社佐具叡(さぐえ)神社が合祀されました。 源氏物語の主人公・光源氏のモデルになったとされる中将藤原朝臣実方が、この地方に赴任中、この神社の前を馬から降りずに通過してしまいました。 それが神前で無礼を働いたとして落馬し、それが元で亡くなったといわれています。

銀杏の葉が落ちて境内は『黄色の絨毯』に
綺麗💕


鳥居前の狛犬

鳥居前の狛犬


神門

神門前の狛犬

神門前の狛犬

拝殿

拝殿、本殿

本殿





御朱印

御祭神は、猿田彦大神様と天細女命様です(道祖神社は佐倍乃神社)と称します。
神景行天皇四十年(一一〇年)日本武尊様、東征の時代より祭祀を行っている神社です。
火災により焼失しましたが、(仙台藩主伊達政宗)により社殿、が修繕、また元禄十三年(一七〇〇年)は(四代藩主伊達綱村公)により拝殿が修繕、本殿は寛政三年(一七九一年)(八代藩主伊達斎村公)が寄進、祭田二十石寄附される等、(歴代藩主公により厚く尊崇された神社です。

佐倍乃神社 入口からの鳥居⛩️の様子です

佐倍乃神社 参道からの様子です

佐倍乃神社 境内にある(佐倍乃神社(笠島道祖神社)由緒書きになります

佐倍乃神社 境内にある(手水舎)の様子です

佐倍乃神社 境内にある(境内社)の様子です

佐倍乃神社 境内にある(境内社)の様子です

佐倍乃神社 拝殿前上部にある(木鼻)の様子です

佐倍乃神社 拝殿前の様子です

佐倍乃神社 境内奥側からの中殿、本殿の様子です
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