いまくまのじんじゃ
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楽しみ方今熊野神社のお参りの記録一覧

金蛇水神社のお参りの後、今熊野神社にお参りしました。この時は若干ふぶいており、その中石段を登ってお参りしました。本当に寒かった😰
お参りした後、賽銭箱に書置きの御朱印があり、1枚頂戴し賽銭箱に初穂料を納めました。

佐倍乃神社の次に同じ名取市の今熊野神社を参拝しました。 駐車場は、道路脇に大きな休憩スペースがあるのでこちらを利用しました。
御朱印は、事前調べ通りで賽銭箱の上に書置き御朱印が置いてありました。
高台にある神社なので街並みの見晴らしは良かったです。
今熊野神社の歴史(名取市観光物産協会・観光歴史名所より抜粋)
・今熊野神社は、慶長5年(1600年)4月に伊達政宗の命によって造営されました。 熊野三社権現を信心していた女性が、この地に建立したいと100日に及ぶ山籠りを行い、これを知った川上村の長が伊達政宗に陳情し建立されたと言われています。 神社には、『今熊野神社付属神楽』が伝えられており、熊野堂神楽の流れをくむ岩戸神楽で『榊流神楽』といわれる祈祷の舞です。
今熊野神社の石段参道
今熊野神社の社号標
今熊野神社の由緒
今熊野神社の石段参道と鳥居
鳥居の扁額
石段参道からの今熊野神社
右側の狛犬
手水舎
今熊野神社の拝殿
拝殿の扁額
今熊野神社の本殿
今熊野神社からの街並みの景観
今熊野神社の御朱印
(賽銭箱上に書置き御朱印が置かれている)

『今熊野神社』に参拝にあがりました👏
本日は氏子の皆様が神社に集まり、清掃されておられました。『こんにちは お疲れ様です😃』と挨拶したら『参拝にあがっていただいてありがとうございます』と言ってくださいました。地域の皆様に大事にされている神社なのだと思いました😆
高台にあり、見晴らしも良かったです。
社殿は慶長5年(1600)4月に、伊達政宗公の命により造営されたと伝えられており、社伝によれば、熊野三社権現を信仰し、この地に熊野三社権現を建立したいと願う女性が百日余り山籠りを行ったそう。そのことが伊達政宗公に伝わり、神社が建立されたとされています。また、今熊野神社付属神楽が伝えられ、毎年4月に例大祭などで披露されているそうです。
御朱印も可愛い💕
高台からの景色も綺麗でした💕

中田神社では神職の方を見掛けたのだが、社務所では応答が無かったのでひとまず参拝だけしてこちらに向かいました。到着すると雨が少し強く降り出した。折角景色を楽しもうとしたのに慌ただしくなってしまいました。県道39号線の駐車帯から急な石段の参道が伸びています。少し雨で濡れていたため滑りそうな石段で、手すりのおかげで無事上り切りました。熊野三社権現を信仰している女性がこの地に熊野神社を勧請したいと100日間の山籠もりをし、それを伝え聞いた伊達政宗が建立を命じたとされています。名取熊野三社と同様、こちらでも信心深い女性が鍵になっています。神職の方は常駐してはいませんが、拝殿に書置きの御朱印が用意されています。
社号標
由緒書
大正九年(1920)建立の今熊野神社登録碑
大正五年(1916)建立の羽黒山・月山・湯殿山碑
鳥居
石段
注連柱
石段上より
手水舎
手水盤
大正十四年(1925)奉納の狛犬
燈籠
拝殿
扁額
本殿
境内からの眺望
報徳慰霊碑

今熊野神社(いまくまのじんじゃ)]
鎮座地
宮城県名取市高舘川上字北台10
主祭神
伊弉冉命、速玉之男命、事解男命
例祭日
例年4月第3日曜日
連絡先
022-384-7574
由緒
後陽成帝慶長5年(1600)庚子の勧請といい今熊野三社大権現熊野神社と称した。伊達政宗命じて其の社を造営するところである。即ち同年4月17日辰の刻熊野神本郡前田村清水屋敷守屋藤兵衛なる者の家女に依って神託あり、且彼女川上村赤坂山に登り注連縄幣束の内に座し極めて奇異の事をした。よって田村名主山田藤左衛門は玉造郡岩出山に到り以て其の事を政宗に告げたところ乃ち茂庭石見綱元をして其の事実を質さしめ其の山に社を造立せしめたのであった。明治の初現社号に改称、同5年村社列格、43年3月供進社に指定せられた。
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