あつひたかひこじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 境内の第1駐車場に15台
|
おすすめの投稿
駐車場がよく分からず鳥居横に路上駐車して参拝。参道の石階段はかなりガタガタでかなり歩きずらいです🚶。御朱印は書き置き御朱印が二種と境内社の三種が置いて有りました。木々に囲まれた雰囲気の良い神社でした。
陸奥国伊具郡の式内社です。東北地方にいた蝦夷を討伐するために東国まで来た日本武尊さまが、この場所に祭場を設けて瓊瓊杵尊さまを祀ったのが始まりとされています。大和朝廷ひいては太陽神の天照大神さまの子孫である皇族を崇敬して社名の「日高」に当てられていると言われています。
《一の鳥居と社号碑》
鳥居より内側に社号碑がある珍しい形ですが、本来は鳥居の外にあり、目の前の道路を広げる関係で内側に移動したそうです。
《参道の橋》
左側にすごく大きな家があります。
《境内の階段》
《二の鳥居》
《車祓所》
鳥居が4つ囲むように組まれています。
《表参道》
まだ茅の輪があります。
《由緒書き》
👁チェックポイント‼️
当社とここから北にある香取神社は例祭と神輿を出す神幸祭を同日に行なっています。その2社と島田にある三島神社、小斎の鹿島神社は日本武尊さまが東国征討において通ってきた東海地方の道なりにある三島大社、香取神宮、鹿島神宮を再現、崇敬して周辺に建てられたとして関係が深いとされているそうです。
また、この熱日高彦神社がその日本武尊さまの時代における大和朝廷の統治範囲の最果て、ここから北が蝦夷の領地という境界線にあったとこちらの禰宜さんから伺いました。
《手水舎》
水は出ていました。
《拝殿》
ちなみにかつての拝殿は南向きですが、元々は今の位置から右側奥の少し高い森側にあり、90度左の西側を向いていたそうです。
江戸時代になって伊達政宗公の家臣がこの地を治めていたとき、その住居が当社の南側だったため今の位置、今の向きに遷座したそうです。
《扁額》🙏
《神饌所》
《白山姫神社》
明治の神社合祀政策でこちらに遷座したとされていますす。
《神輿庫?》
《山神社》
御神体は俗にいう生殖器崇拝の系統のものです。ぼかしたので察してください。
《御神石?》
これもそれっぽい形してますね。
《社務所》
御朱印や御守りを出してます。禰宜さんに会うのは大学の時以来ですが元気でした。
《旧参道》
こちらの左手奥に草陰に覆われた旧参道があります。こちらの降った先に伊具郡衙(地方役所)があったとされ、その近所にあったことから伊具郡衙として崇敬されていたようです。ちなみに使われていないのかというとそうではなく、神幸祭で先に渡御を行った香取神社の神輿がこの道を使って上がってくるそうです。
《鳥居前の看板》
名称 | 熱日高彦神社 |
---|---|
読み方 | あつひたかひこじんじゃ |
通称 | お日高さん |
参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | 賽銭前参拝はお気持ち、昇殿参拝は5000円以上お気持ち |
トイレ | 境内にある社務所南側 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0224-62-0241 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | hitaka_jinja@hitaka.org |
ホームページ | https://hitaka.org/ |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 《主》迩迩杵命,日本武命,《配》塩土老翁命,大己貴命,少名彦名命《合》神速須佐能男命,菊理比売命,熊野櫛御食野命,伊弉諾命,水波廼女命,火産霊命,興津彦神,興津姫命,倉稲魂命, |
---|---|
創始者 | 日本武尊・景行天皇 |
本殿 | 流造 |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り伝説 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
熱日高彦神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
11
0