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富沢磨崖仏郡
柴田町槻木の北方約3km、水田部に突き出た丘陵先端部の凝灰岩岩肌に刻まれた磨崖仏群である。中心となる阿弥陀如来像は蓮花座に坐した高さ2.4mのもので、嘉元4年(1306)の銘があり、磨崖の大仏とも通称される。付近には、内部に六地蔵を彫出した徳治2年(1307)の銘を刻む石窟、永仁2年(1294)銘のある虚空蔵菩薩が安置された石窟がある。ほかに正平10年(1355)銘の供養碑、眠り観音の名で親しまれる如意輪観音なども残っており、この地域が永い間人々の信仰の対象であったことが知られる。















2回目の投稿です。 阿弥陀如来坐像:(1306年)恵一坊、藤五郎という兄弟(あるいは姉弟)がお父さんの供養のために作ったそうです。 正徳年間(1711∼15)柴田郡富沢の大仏様は霊験あらたかなりと記録に残っているそうです

富沢磨崖仏群 住職さんが不在でしたので、ご親切に郵送して頂きました

富沢磨崖仏群 阿弥陀如来坐像様のお姿です(2006年に700歳)をむかえた大仏様だそうです

富沢磨崖仏群(阿弥陀如来坐像様)阿弥陀如来像は、岩崎山の岩肌に彫り出されたもので(像高二、四メートル)大粒の螺髪、大振りな丸顔、重厚な衲衣など粗豪な表現であり磨崖仏としては、他に例を見ない出来栄えであり(大仏さん)として人々の信仰を集めています。像の側面(向かって側)には嘉元四年(一三〇六、鎌倉時代)卯月恵一坊、藤五郎など二十一の刻字が見られ、大仏創建を示すものです。なお周囲には(虚空蔵菩薩像四体)(六地蔵菩薩坐像六体)(如意輪観音像)などの石仏があり富沢磨崖仏群として(昭和四十六年三月二日、宮城県史跡に指定されています

富沢磨崖仏群 周囲からの様子です

富沢磨崖仏群 道路側からの様子です

富沢磨崖仏群 入口右側からの様子です(奉納 大佛如来と書かれた塔)

富沢磨崖仏群 阿弥陀如来様坐像の様子です

富沢磨崖仏群 お堂の様子です

富沢磨崖仏群 阿弥陀如来坐像(富沢磨崖仏群)文面で書いた内容が書かれてます

富沢磨崖仏群 お堂右側からの様子です

富沢磨崖仏群 六地蔵菩薩坐像の様子です

富沢磨崖仏群 境内にある(大木)の様子です

富沢磨崖仏群 境内にある(佛碑)の様子です

富沢磨崖仏群 佛碑の群れの様子です

富沢磨崖仏群 こちらも周囲の様子です

富沢磨崖仏群 周囲の様子です
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