くまのほんぐうしゃ
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楽しみ方熊野本宮社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年03月30日(日) 15時28分27秒
熊野本宮社(くまのほんぐうしゃ)]
鎮座地
宮城県名取市高舘熊野堂字五反田34
主祭神
熊野櫛家都御子大神(素盞嗚尊)熊野牟須美大神(伊弉冉尊)熊野速玉之男大神(伊弉諾尊)
例祭日
春季例大祭旧3月8日(神賑行事、4月第2日曜日)秋季献膳祭旧8月19日(神賑行事、10月体育の日)
連絡先
022-386-2353
由緒
熊野本宮社は紀州(和歌山県)の熊野本宮大社の大神様の御霊が分けいただいてお祀りした神社です。名取老女が紀州の熊野三社の御霊を名取の里に勧請したと言い伝えられる名取の熊野三社(熊野本宮社・熊野新宮社・熊野那智神社)の一社でありまして、勧請された年代は詳らかではないが、初め、名取郡長岡三色吉(現、岩沼市)に小祠を建てお祀りしていたが、平安時代の天仁年間(1108)神託によって、熊野坐大神の鎮り処に応しい場所を探し求め、霊烏の道案内で、熊野堂の地に辿り着き、名取川を紀州熊野の熊野川に見立て、地形も似ている現社地の南西200メートル程の小館(オダテ)という処に最終的に勧請されたのは、平安時代の保安元年(1120)4月8日伝えられています。小館の境内地で538年間奉祀され、武家諸公の崇拝を受け多くの崇敬者の参詣で栄え、時に室町時代の永禄6年(1563)には、伊達晴宗公より、神輿・神馬・馬具等の寄進を受けている。明治維新までは、伊達家より寄進、警護を受けて、北釜浜迄、神輿渡御を行っていた。江戸時代の万治元年(1658)に現在の境内地に遷宮された。現在の本殿建物は、江戸時代の元禄6年(1693)に建て替えられたもので、拝殿等は昭和9年に建てたものです。本殿、摂社を合せて、14柱の神様を奉祀し、本宮(ホングウ)さん、或は十二神様と親しんで呼ばれている神社であります。
鎮座地
宮城県名取市高舘熊野堂字五反田34
主祭神
熊野櫛家都御子大神(素盞嗚尊)熊野牟須美大神(伊弉冉尊)熊野速玉之男大神(伊弉諾尊)
例祭日
春季例大祭旧3月8日(神賑行事、4月第2日曜日)秋季献膳祭旧8月19日(神賑行事、10月体育の日)
連絡先
022-386-2353
由緒
熊野本宮社は紀州(和歌山県)の熊野本宮大社の大神様の御霊が分けいただいてお祀りした神社です。名取老女が紀州の熊野三社の御霊を名取の里に勧請したと言い伝えられる名取の熊野三社(熊野本宮社・熊野新宮社・熊野那智神社)の一社でありまして、勧請された年代は詳らかではないが、初め、名取郡長岡三色吉(現、岩沼市)に小祠を建てお祀りしていたが、平安時代の天仁年間(1108)神託によって、熊野坐大神の鎮り処に応しい場所を探し求め、霊烏の道案内で、熊野堂の地に辿り着き、名取川を紀州熊野の熊野川に見立て、地形も似ている現社地の南西200メートル程の小館(オダテ)という処に最終的に勧請されたのは、平安時代の保安元年(1120)4月8日伝えられています。小館の境内地で538年間奉祀され、武家諸公の崇拝を受け多くの崇敬者の参詣で栄え、時に室町時代の永禄6年(1563)には、伊達晴宗公より、神輿・神馬・馬具等の寄進を受けている。明治維新までは、伊達家より寄進、警護を受けて、北釜浜迄、神輿渡御を行っていた。江戸時代の万治元年(1658)に現在の境内地に遷宮された。現在の本殿建物は、江戸時代の元禄6年(1693)に建て替えられたもので、拝殿等は昭和9年に建てたものです。本殿、摂社を合せて、14柱の神様を奉祀し、本宮(ホングウ)さん、或は十二神様と親しんで呼ばれている神社であります。
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