せんだいやさかじんじゃ
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楽しみ方仙台八坂神社のお参りの記録一覧

仙台八坂神社♡
伊達家ゆかりの古い神社!
今から800年以上前の鎌倉時代に、伊達政宗の先祖にあたる人が、京都の有名な祇園社から神様を分霊して持ってきたのが始まりだそう(´ー`*)
その後、戦国時代に社殿が荒廃した後、伊達政宗公が現在の地に遷されました。(⊃•̀ω•́)⊃✎
境内に安置されている牛頭天王像の頭にこぶがあることから、古くからこぶとり神社としても親しまれています( ^ᵕ^)
特にデンボ(腫れ物)の神様として信仰され、癌などの病気平癒を願う参拝者も多く訪れます(ㅅ´ ˘ `)
参道の階段上部にある数多くの風車や色鮮やかな和傘の装飾がとても素敵でした✨
季節限定御朱印もとても可愛かったな🍁

























過去の御朱印

四季御朱印【秋】を拝受しました

四季御朱印(秋バージョン)
初穂料1200円

御朱印の種類

入口

手水舎

風車


和傘

拝殿


風鈴

ステッカーボード

御刻印

相変わらず雨が降り続く中、仙台八坂神社にお参りしました

仙台八坂神社の御朱印を直書きでいただきました

社号標と参道です

手水舎になります

底にはビー玉が敷かれていてキラキラしてました✨

拝殿です


たくさんの風車が。風が吹くとくるくる回ってました🍃

仙台八坂神社に参拝させて頂きました。
今日は、お祭りがあるみたいで出店が沢山出てました。穏やかな雰囲気な神社でした。
白と水色の風車が沢山あって良い雰囲気でした!
御朱印は通常のでお願いしました。
ご祭神:素戔嗚尊(すさのおのみこと)
建久元年(一一九〇年・平安)六月七日、後の高森城主となる伊沢家景が京都の祇園から勧請、岩切村余目に鎮座し、神田二十石の地を治めた歴史ある神社として知られている。その後、同村台ヶ原頂上に座して天王山と称したが、戦国天正の頃より社殿が荒廃し、祭事をくに至った。藩主伊達政宗は寛永年中、天王山より現在の地に遷宮し、祭田二石の地を寄進して厚く祭事を行う。神仏習合の際より祇園牛頭天王社と称したが、明治の初め現社号(仙台八坂神社)に改め、明治六年に郷社に列し、大正三年十二月に幣帛供進社に指定。明治四十三年四月、各区内鎮守社を本社に合祀した歴史を持つ。
境内社:冠川(かむりかわ)神社(志波彦神社 摂社)
ご祭神:志波彦大神(しわひこのおおかみ)
天正に縁起を焼失し、沿革不詳だが本社は延喜式内名神大社志波彦神社で、いつの
頃か甚だしく衰微していたが、延宝三年の再建には堅石五尺横六尺の小祠になり、しかも、摂社である天王社(神仏習合の際の仙台八坂神社)と並び立つ様であった。明治四年五月十四日、官国弊社規定に当り国幣中社に列せられたが、社地が狭いため社殿造建不可なる理由により、明治七年十二月二十四日、鹽竈神社へ遷座。
明治十年三月三十一日、官許を得て志波彦神社分霊を岩切村の旧社に奉遷して、冠川神社と称し、国幣中社(志波彦神社鹽竈神社)の摂社に指定された。










御祭神 素戔嗚尊 春日大神
文治5年(1189年)高森城主・伊達家景が京都の祇園から勧請されました。最初は岩切村余目家の城内に鎮座され、後 同村の台ヶ原頂上に鎮座。仙台藩主伊達政宗公が寛永年中、天王山より現在の地に遷宮されました。
牛頭天王像
こちらの牛の像は頭にこぶがあるのです。全国でもこちらだけだそうです。写真は撮れなかったのです😢昔から「こぶ取り神社」として礼拝され、水泡信仰の神🙏いぼのある人がそこをなで、牛像のこぶを一週間撫でると治ると信仰されてきたそうです。願がかなった人は歳の数だけ小麦を奉納するという言い伝えがあるそうです。























所在地:宮城県仙台市宮城野区岩切字若宮前11-7
主祭神:素戔鳴尊
社 格:郷社
創 建:1189年(文治5年)
由 緒
文治5年(1189年)6月7日、高森城主・伊達家景が京都の祇園から勧請し、始めは岩切村余目家の城内に鎮座し、圭田・二十石を納む。後、同村の台ヶ原頂上に座して天王山と称す。戦国・天正の頃より社殿荒廃し祭事を欠くに至る。仙台藩主伊達政宗公、寛永年中、天王山より現在の地に遷宮し、祭田・二百文(二石)の地を寄進し厚く祭事を行う。神仏混淆の際より、祇園牛頭天王社と称したが、明治の初め現社号に改め、明治6年に郷社に列し、大正3年12月幣帛供進社に指定された。また明治43年4月、各区内鎮守社を本社に合祀した。






























こちらの神社で頒布されてるスサノオの八岐大蛇退治をモチーフにした切り絵御朱印に心惹かれて参拝⛩
参道や社殿は風車や風鈴が飾り付けられ、風に吹かれてクルクル回りながら心地よい音を響かせてました🎐
お目当ての御朱印を頂こうと授与所に行ってみると、見開きサイズの2倍の大きさの特大切り絵御朱印が限定で頒布。
クシナダヒメとスサノオ夫婦神をモチーフにしたデザインで、とても素敵な仕上がりになってます。
御本殿の右隣には陸奥国一宮である鹽竈神社志波彦神社の元宮ともいえる冠川神社が境内社として鎮座していました。
ご由緒によると縁起は不明ながら、延喜式内名神大社志波彦神社として元はこの地に鎮まっていたものの、明治四年に官国幣社規定により国幣中社に列せられるにあたって敷地が狭いために社殿建造が不可能であったことから明治七年に鹽竈神社へ遷座。そしてそのお御霊を明治十年に分霊して現在の社名である冠川神社と号して、その摂社となったとのことです。

社号標と参道
参道は風車回廊となってます

白と青でまるでブルーインパルスカラー*⋆✈︎
空自好きな自分としては意識せずにはいられませんꉂ🤣w𐤔

手水舎
後ろの壁面には提灯が飾られており

手水鉢の中にはガラス製の金魚が2匹とビー玉が飾られて夏を想起させつつも涼し気な雰囲気に

向かい側には巳年の絵画

鳥居のところから水色1色のの風車へと変わり、クラゲ型の風鈴が涼やかな音を奏でてました

クラゲの風鈴

狛犬さん

社殿

斜めから

ご由緒書き

右隣には境内社の冠川神社

冠川神社のご由緒

さらに右隣には稲荷社と

愛宕神社が。

撫で牛かと思いきや

牛頭天王像でした。
神社好きな方は知ってるとは思いますが、牛頭天王とスサノオ様は同一視されてました。

社務所兼授与所に飾られていた特大切り絵御朱印のモチーフとなった切り絵
御朱印も飾られてますが、こうして元絵と比べると特大御朱印ですら小さく見えちゃう不思議

切り絵についての説明
御朱印はヤマタノオロチ退治のものと迷いましたが、これを読んだら、こっちの特大御朱印を選んでよかったとつくづく思います😊
問題はこの御朱印を上手く御朱印帳に収められるかどうか・・・😅

社殿の前で御朱印と

切り絵御朱印は風車と共に

宮城県仙台市にある神社です。
ホトカミではよく投稿をお見かけする神社で 今回の旅で絶対にお参りしたい神社でした。
車ではなく 主にJRでの移動でしたので 松島行ったり 秋保温泉行ったり 塩釜行ったりで なかなかの移動距離でしたが なんとかお参りできました。
境内に上がる階段には風車が飾られ 参拝者をお迎えするお気持ちを感じました。
宮城野高校生作の巳年の絵馬ならぬ看板がお見事でした。
手水舎には 歴史のある絵柄の提灯が飾られていました。
花手水も素敵ですが こちらも素敵ですね。
何という建物か分かりませんが 五月人形を展示してありました。
本殿まわりにも風車が飾られていて 風が吹いていなかったのが残念ですが きれいでした。
境内摂社も多く 本日最終ということもあり ゆっくりお参りさせていただきました。
16時を過ぎていたのですが 宮司様が まだ社務所が開いていますから ということで御朱印を拝受できました。
2か月に1度ワークショップを開かれていて その際に作られた切り絵ご朱印が掲示してありました。
「素人さんでも2時間あれば作れますよ」 とのことでした。
参加させていただきたいなぁ と思いましたが そのタイミングで仙台まで来られるかどうか。
でもまたお参りさせていただきたいと思いました。
ホトカミに投稿のある神社さんへの参拝 本当に嬉しかったです。
ネット情報です。
文治5年(1189年)6月7日 高森城主・伊達家景が京都の祇園から勧請し 始めは岩切村余目家の城内に鎮座し 圭田・二十石を納む。
後 同村の台ヶ原頂上に座して天王山と称す。
戦国・天正の頃より社殿荒廃し祭事を欠くに至る。
仙台藩主伊達政宗公 寛永年中 天王山より現在の地に遷宮し 祭田・二百文(二石)の地を寄進し厚く祭事を行う。
神仏混淆の際より 祇園牛頭天王社と称したが 明治の初め現社号に改め 明治6年に郷社に列し 大正3年12月幣帛供進社に指定された。
また明治43年4月 各区内鎮守社を本社に合祀した。
多賀城陸奥総社宮です。

社号の石柱

階段に風車

きれいですよね

色違いで青もきれい


宮城野高校生作

提灯で飾られた手水舎


五月人形が置かれていました

本殿



本殿にも風車

内陣

由緒書

境内社 稲荷神社

境内社 愛宕神社

牛頭天王像

社務所

切り絵御朱印の掲示

参集殿

✨陸奥国一宮 鹽竈神社の摂社を巡る①✨
『鹽竈神社・志波彦神社』の摂社は、1877年(明治10年)3月21日、密接不離の関係にあった『鼻節神社』『冠川神社』『伊豆佐比売神社』の三社と定められています。今回はこちらの三社を巡ります😊
一社目は『冠川神社』へ参拝に上がります👏
現在は『仙台八坂神社』の境内社となっています。
💡冠川神社(別名:志波彦神社)は元はこの付近にあり、冠川明神とも呼ばれ、延喜式の神名帳にも列する式内社(明神大社)で、朝廷からも手厚い保護があったのですが、その後に荒廃したようです。明治7年 (1874年)に鹽竈神社に遷宮、こちら仙台八坂神社には祠が残されており、3年後に分霊をして、鹽竈・志波神社の摂社となりました。
次は『伊豆佐比売神社』へ向かいます。

冠川神社(仙台八坂神社の境内社で、陸奥国一宮 鹽竈神社・志波彦神社の摂社)




以前に授与いただいた『切り絵御朱印』

2月2日節分の日に参拝して来ました。
午前中にお参りしましたが、節分祭は午後からでした。多分午後からは大賑わいだっだ事でしょう。

参道

鳥居

手水舎

手水舎のお花の赤鬼

節分祭の案内

本殿

志和彦神社摂社 冠川神社(かむりがわじんじゃ)
瑞山神社(みずやまじんじゃ)

稲荷神社

愛宕神社

牛頭天王像(ごずてんのうぞう)

ここで豆まきをするのかな?

八坂神社直筆御朱印

冠川神社直筆御朱印

とても大きく素敵な切り絵の御朱印をいただきました

見開き2枚分くらいのとても大きな御朱印です


御朱印のワークショップも行っているそうです
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