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延享2年(1745)、仙台藩六代藩主伊達宗村により建立された。
縁起によると、延宝9年(1681)にこの地の安定を願って建てられた「准胝観音碑」の場所に、宗村の生母である五代藩主夫人の貞子が嫡子(後の六代藩主宗村)誕生の御礼として享保4年(1719)に創建したものであり、現在の観音堂はこれを再建したものである。
由緒や建築年代が明確であるとともに保存状態が良く、陸奥国分寺の重層的な歴史を伝える重要な建造物と評価できる。加えて、棟札および縁起は観音堂の建築年代や建立経緯を伝えるものであり、建立の経緯となった准胝観音碑と合わせて貴重な資料である。

宮城県仙台市若林区木ノ下に境内を構える、陸奥国分寺正式名称、護国山 医王院 国分寺、別称、金光明四天王護国之寺、歴史的古刹で有名ですが、七重塔他建造物は今は無く陸奥国分寺跡となってますが、観音堂、薬師堂は現存してます、国宝薬師堂は訪れて損は無いと思います、寺院の対応も歴史在る寺院相応のとても良い寺院で大変有難い想いになりました 、2023.9.仙台三十三観音霊場にて参拝しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は護国山、院号は医王院、寺号は陸奥国分寺、宗派は真言宗智山派、ご本尊は薬師如来、数々の霊場札所になってます、奥の細道みちのく路三十三観音霊場、第一番札所、仙台三十三観音霊場、第二十五番札所、北国八十八ヶ所霊場、第二番札所、奥羽三十六薬師霊場、第一番札所、聖武天皇の発願によって建立された国分寺の1つで、奈良時代の740年代頃に創建された。平安時代まで陸奥国の財政的支持を受けて大伽藍を維持したが、室町時代には著しく衰微した。真言宗になった時期は不明。17世紀初めに伊達政宗により再興され、1607年に建てられた薬師堂を中心に25坊を擁する大寺院として栄えた。明治時代に僧坊は1つを残して廃絶したが、薬師堂をはじめとする中心堂宇は維持された。
薬師堂は国の重要文化財に、古代の寺院跡は国の史跡に指定されている。薬師堂の南西の准胝観音堂(準胝観音堂)は、江戸時代に設定された仙台三十三観音の札所
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