かきざきじんしゃ
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楽しみ方蠣崎神社のお参りの記録一覧
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仙台市青葉区片平1丁目(良覚院丁公園に隣接)に鎮座する蠣崎神社を参拝しました👏
【役行者】
境内に『役行者(えんのぎょうじゃ)=役小角(えんのおずぬ)』の石像や石碑があります。なぜこの神社にあるのか調べてみました。その理由は、この場所がかつて仙台藩の修験道を統括していた巨刹『良覚院(りょうがくいん)』の跡地だからです。江戸時代、現在の片平1丁目(良覚院丁)には、仙台藩内の山伏・修験者を束ねる総本山のような役割を担っていた「良覚院」という修験寺院がありました。 役行者は修験道の開祖です。良覚院の本尊や守護として役行者が祀られていたのは、修験の寺院として当然のことでした。 明治時代になり、神仏分離令によって良覚院は廃寺となりました。しかし、そこで祀られていた役行者は、歴史的な経緯からそのままこの地に残されました。一方で、蠣崎神社はもともと別の場所にありましたが 明治4年(1871年)廃寺となった良覚院の跡地に、蠣崎神社が遷座(移転)してきました。 その結果「元からあった良覚院の役行者像」と「移転してきた蠣崎神社」が同じ境内に共存する形になったのです。現在の境内は、伊達政宗公の愛馬「五島(ごとう)」を祀る蠣崎神社の信仰と、かつての修験道の聖地であった良覚院の記憶が重なり合った場所となっています。
【役行者(役小角)とは何者か】
役行者(えんのぎょうじゃ/634年頃〜701年頃)は、飛鳥時代から奈良時代にかけて実在した呪術者であり、修験道(しゅげんどう)の開祖と仰がれる人物です。本名は役小角(えんのおづぬ)といいます。
◯伝説的エピソード
葛城山(奈良県・大阪府境)を中心に修行し、鬼神を自在に操り、飛行の術さえ持っていたという伝説が多く残されています。
◯神変大菩薩: 没後1100年にあたる江戸時代の寛政11年(1799年)、光格天皇から「神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)」という諡号を贈られました。これは日本で唯一の「大菩薩」号を持つ修験者としての最高名誉です。
◯片平の良覚院丁という地名
神社のすぐ隣にある「良覚院丁公園」や、周辺の通りに「良覚院」の名が残っているのも、かつての修験寺院の影響力の強さを物語っています。
閑静な住宅街の中で、かつての山伏たちの祈りの対象だった役行者像が、今も神社の境内で大切にされているのは、仙台の歴史の層を感じさせる非常に興味深い光景です😊
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仙台の街中にひっそりと佇む『馬上蠣崎神社(うばがみかきざきじんじゃ)』伊達政宗公の愛馬🐴『五島』を祀る珍しい神社です。今年のホトカミ『初詣投稿キャンペーン』で、なんと💦夢にも思っていなかった『午年賞🐴』をいただきまして、報告と御礼に上がりました👏
御社殿の前に御礼の御神酒をお供えし『おかげさまで、午年賞🐴をいただきました』と感謝を申し上げると、頭上の注連縄の神垂が大きく揺れました。きっと喜んでいただけたのだろうと思います😊
【五島の物語】
五島は、慶長十九年(1624)政宗公の大坂出陣に随行できないことを悲しみ、仙台城本丸の崖から身を投じたと伝えられ、政宗公がその忠義を悼み、蠣崎の地(仙台城本丸の崖の下あたり)に葬られ神社が建てられたのが始まり。その地が、明治期に陸軍用地化のため現在地に移されました。

🎍🌸新春徒歩詣り⑧🌸🎍
仙台市青葉区片平に静かに鎮座する「馬上蠣崎神社(うばがみかきざきじんじゃ)」へ初詣👏2026年の午年を迎え、伊達政宗公と愛馬の絆を今に伝えるこの神社は、初詣にこそ訪れたいスポット✨です。
馬上蠣崎神社は政宗公の愛馬「五島」が眠る地です。仙台市中心部にありながら、良覚院丁(りょうかくいんちょう)公園に隣接する境内は、驚くほどの静寂に包まれています。
政宗公と愛馬「五島」の忠義に関するエピソード📙があります。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣への出陣の際、老齢ゆえに留守番を命じられた五島。主君・政宗公と共に戦場へ行けないことを悲しみ、政宗公が仙台城を出発した直後、本丸の崖から身を投げて命を絶ったと伝えられています。遠征先でこれを聞いた政宗公は深く悲しみ、帰還後に愛馬を手厚く葬るよう命じました。その場所が現在の片平付近(かつての蠣崎)であり、神社建立のきっかけとなりました。
午年の幕開けに、主君を想い続けた名馬の物語が息づくこの場所で、新たな一年の「うま」くいくスタートを切ってみてはいかがでしょうか😊



蠣崎神社へ参拝に上がりました👏
先月5/17〜18は『仙台青葉まつり』が開催されました。蠣崎神社と青葉まつりの間には政宗公と愛馬の絆のエピソードがあります。
青葉まつりは、伊達政宗公の遺徳を偲ぶ祭りですが、この祭りには蠣崎神社が関わっています。蠣崎神社は、政宗公の愛馬「五島」を祀る神社です。関ヶ原の戦いの際、五島は政宗公を敵の危機から救いました。政宗公は五島の忠義に感動し、手厚く葬り、その地に神社を建てたと伝えられています。
青葉まつりの雀踊りは政宗公の入城を祝うものに由来し、青葉神社の神輿渡御など、祭りの各要素は政宗公の歴史と文化を色濃く反映しています。蠣崎神社は直接、祭りの行列には加わりませんが、政宗公と愛馬「五島」の忠誠の物語は、青葉まつりが大切にする「伊達文化」の精神と深く結びついています。
蠣崎神社は、政宗公の愛馬「五島」の物語を通じて、青葉まつりの背景にある深い絆と感謝の精神を今に伝える場所なんです😊

所在地: 仙台市青葉区片平1-2-18
主祭神: 保食神、磯良神
社 格:
創 建:詳細不明
由 緒
藩祖政宗公に功臣後藤信康が献じた五島という愛馬があった。年老いて慶長十九年(1614)十月公の大坂出陣に洩れた事を悲しみ本丸の崖から飛下り死亡した。依ってその地蠣崎に葬り馬上蠣崎神社を建てて祀り追廻馬場の守護とした。明治四年片平丁の旧一門格修験良覚院跡に移して社殿成り、桜田如水を宮司として市民の間に五島墓さんと称して親しまれた。古来旧三月十五日草餅を笹に付けて門口に挿し、病送りとする梅若のコトの日を祭日としたが、後八月一日二日に改めた。子どもの馬脾風(ジフテリヤ)除けの信仰があり、胡桃を奉納する。
境内由緒書き より

🫏伊達政宗公の愛馬の悲しい物語🫏
伊達政宗公の愛馬が眠る『蠣崎神社』に参拝にあがりました👏
政宗公が乗っている馬は、家臣の後藤信康からの献上馬で「五島(ごと)」と呼ばれました。政宗公は若い頃、戦に出かけるときはいつも五島号に乗っていましたが、大坂の陣の戦の時には老齢で留守番を言い渡されてしまいました。残された五島号は、自分はもう昔のように政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して仙台城の崖から飛び降りて死んでしまったそうです🥲大阪から帰ってきてこれを知った政宗公は五島号を哀れに思い、飛び降りた場所が「蛎崎」という所だったため、そこへ蠣崎(かきざき)神社を造って祀り、馬の守り神としたそうです。
現在の場所は明治4年に移転、元の場所には小さな祠が残されています。
💡御朱印は伊達家の氏神さま『亀岡八幡宮』で授与いただけます。
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🫏伊達政宗公の愛馬の悲しい物語🫏
⭐️✨馬上蠣崎神社✨⭐️
先週末は仙台藩最大のお祭りだった仙台祭を起源とする『仙台青葉まつり』が開催されました。新緑のケヤキ並木で華々しく舞う、すずめ踊り、山鉾巡行、時代絵巻巡行などが行われ2日間で93万人もの方々が訪れてくれたようです(感謝)😊
青葉祭りの前、伊達政宗公の愛馬が眠る神社を参拝🙏してきました。
政宗公が乗っている馬は、家臣の後藤信康からの献上馬で「五島(ごと)」と呼ばれました。政宗公は若い頃、戦に出かけるときはいつも五島号に乗っていましたが、大坂の陣の戦の時には老齢で留守番を言い渡されてしまいました。
残された五島号は、自分はもう昔のように政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して仙台城の崖から飛び降りて死んでしまったそうです🥲大阪から帰ってきてこれを知った政宗公は五島号を哀れに思い、飛び降りた場所が「蛎崎」という所だったため、そこへ蠣崎(かきざき)神社を造って祀り、馬の守り神としたそうです。
現在の場所は明治4年に移転、元の場所には小さな祠が残されています。
💡御朱印は伊達家の氏神さま『亀岡八幡宮』で授与いただけます。亀岡八幡宮⛩️については5月に投稿していますので、そちらもご覧いただければ嬉しいです😊
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