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あきうじんじゃ

秋保神社のお参りの記録一覧
宮城県 陸前白沢駅

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チャム
チャム
2025年10月18日(土)951投稿

健御名方命 (たけみなかたのみこと)
・天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
・豊受皇大神(とようけのおおかみ)
・軻遇突智命 (かぐつちのみこと)
・大巳貴之命 (おおなむちのみこと)
・少名彦之命 (すくなひこのみこと)
・日本武尊 (やまとたけるのみこと)
・應神天皇 (おうじんてんのう)
・月讀之命 (つきよみのみこと)

"勝負の神"のいわれ
 当社の御創建は秋保の最も古い歴史として記されていますが、今から凡そ1200年程前、平安初期の大同3年(808年)時の征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社を 祀ったのが初めと伝えられています。

 時代は下り、室町時代には秋保村領主秋保氏の祖先 平盛房が信州は諏訪大神に本土恢復を祈願したところ戦勝の御神徳を得た事から、諏訪神社の御神霊をこの地に勧請して祈願所とし「戦の神」として崇拝されるようになりました。
慶長5年には武家の守護神として仙台藩の尊崇も寄せられるようになり、伊達家に庇護され大社が建立されると共に、正保3年には二代藩主忠宗公より伊達家の永久祈祷が仰せ付けられました。

 明治42年には明治天皇の御勅令により秋保五カ村の御神霊を合祀し、主祭神「健御名方命タケミナカタノカミ」をはじめ、「天照皇大神他七柱」が祀られ、諏訪神社の社号が秋保神社と改められました。

秋保神社の御朱印

秋保神社 授与所にて(直書き御朱印)頂戴致しました

秋保神社(宮城県)
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日野月読
日野月読
2020年03月14日(土)83投稿

元、秋保村領主秋保氏の勧請するところにして秋保氏の祖先平重盛の孫資元は平氏で西海に没落の折り肥前長崎に居住す。其後、平基盛に至り永仁3年8月鎌倉将軍維康親王に仕え奥洲名取郡を賜り秋保郷に住し、徳治2年左近衛将監に任じた。数代を経、平盛房に至り明暦9年深谷大曲城主永井掃部晴信の攻むるところとなり再び没落して最上山形に流浪、天童に留まること12年余、厭世の極西海巡礼を思い立ち途中信州諏訪に鎮座の諏訪神に本土恢復のことを祈願し数年後天童に帰る。時に永井氏意驕り民を虐げること甚しく非道であったから民の疾苦亦甚しく居民は盛房を慕いこれを天童より迎いその居城戸崎を攻めてこれを亡くしたる後、盛房信州諏訪の神霊を奉じ来り霊地を卜し安置し奉り祈願所としたと伝えられ、時に室町時代の永正10年(1513)であった。明治5年村社に列せられ、同40年3月供進社に指定された。同42年3月大字馬場の愛宕神社をはじめ、長袋の神明社、新川の新川、湯元の湯、境野の八幡・羽山、新川の白山の各神社を合祀、諏訪神社の社号を秋保神社と改め今日に至った。今9月15日に例祭が行われているが、各部落の神社合併以前は2月、7月27日両度に行われ、特に2月の祭典には村内五ヶ部落氏子総出動して鹿狩を行ない、之れを神に献ずる例であった。

秋保神社の御朱印

令和元年五月吉日の御朱印。世界に二枚しかない超プレミアム

秋保神社の御朱印

毎月一日と十五日にしか頂けない限定御朱印…奇数月、偶数月の印が違う。

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