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いだじんじゃ

猪田神社
三重県 依那古駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

境内南側

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惣一郎
惣一郎
2022年02月01日(火)
1269投稿

【伊賀国 式内社巡り】

猪田神社(いだ~)(下郡)は、三重県伊賀市下郡にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は、猪田神、住吉三神(底土命、赤土命、磐土命)ほか25柱。

創建は不詳。主祭神の猪田神は11代垂仁天皇の皇子・意知別命三世の孫で、13台成務天皇の御代に伊賀国造を任ぜられた武伊賀都別命。住吉三神は奈良時代の784年、白鷺を使者として摂州住吉大社から勧請。社地は伊賀の郡家が所在した神奈備の丘にあり、時の支配者・伊賀臣が祖と仰ぐ武伊賀都別命を守護神として祀った。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「伊賀國 伊賀郡 猪田神社」の論社となっている。他の論社は、猪田神社(伊賀市猪田)。社殿の創建は「天正十五年(1587年)の棟札」によると延暦三年(784年)。当時の社殿は1581年の伊賀の乱で焼失したが、その後猪田山出の小天狗清蔵が1604年に再建した。明治時代に近代社格制度のもと村社に列し、その後近隣の神々を合祀したが、『延喜式神名帳』に記載されている「伊賀國 伊賀郡 依那古神社」と「伊賀國 伊賀郡 坂戸神社」も合祀している。

当社は、伊賀鉄道伊賀線・依那古駅の南西1km弱の平地に浮かぶ小山の東側の縁にある。田園地帯を通り境内に向かうと、矢田川に架かる神橋を渡る。境内東端の入口から拝殿が見えるが、その一段高いところに幣殿、さらに高いところに本殿があるため、入口鳥居から拝殿、幣殿、本殿が一列に並んで同時に見えるのが特徴的。授与品などは拝殿にてセルフ式だが、手水舎の美しい花手水など、境内は全般的に手入れが行き届いていて気持ちが良い。

今回は、伊賀国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、家族連れや夫婦など、自分以外にも数組の参拝客が訪れていた。

※猪田神社(猪田)とは、同一の小山の縁にあって、直線距離だと0.5km、道のりでも1kmしか離れていない。
(レンタカーのトヨタのカーナビだと4km走らされたので、後でGoogle Mapを見てびっくり...(;゚Д゚)!)

猪田神社の建物その他

矢田川に架かる橋の手前から見た境内全景。

猪田神社の鳥居

境内東端入口にある<鳥居>。朱色がビビッドな木製六脚鳥居で、扁額には<猪田神社・住吉神社>と記載されている。

猪田神社の建物その他

鳥居の右手、少し離れたところに立つ<社号標>。「延喜式内 村社 猪田神社」と刻まれている。

猪田神社の建物その他

鳥居をくぐってすぐ左手にある<晴石>。どういう意味かな?

猪田神社(三重県)

鳥居をくぐって左手にある<手水舎>。

猪田神社の手水

花で彩られたきれいな手水盤。(o^―^o)

猪田神社の建物その他

鳥居をくぐって、右手にある<社務所>。

猪田神社の本殿

手水舎前から社殿を望む。手前から拝殿、幣殿、本殿ときれいに縦に並んでいるのが分かる。

猪田神社の本殿

<拝殿>全景。中央部が抜けている、伊賀地方の典型的な拝殿。

猪田神社の本殿

<拝殿>正面。拝殿内の階段手前には賽銭箱の左側に授与品や由緒書、書置きの御朱印が置いてある。

猪田神社の本殿

<拝殿>の奥は<幣殿>への階段になっている。<幣殿>には「猪田神社」と書かれた扁額が掛かっていて、昇殿祈祷が行われるみたい。

猪田神社の本殿

<社殿>全景。社殿の左側から本殿脇まで登ることができる。

猪田神社の建物その他

拝殿の50m左手の少し高い場所にある<雨石祠>。

猪田神社の建物その他

祠内にある<雨石>。なるほど鳥居脇にある<晴石>の対になっているわけね。(o^―^o)

猪田神社(三重県)

雨石祠の右手を登ったところにある<護国社>。ここから右方向に進む。

猪田神社の建物その他

護国社の右手にある<忠魂碑>。

猪田神社の本殿

忠魂碑の右手から見た<本殿>。両側に小さい境内社がある。

猪田神社の建物その他

忠魂碑の右手から幣殿、拝殿を見下ろす。

猪田神社の本殿

<本殿>全景。檜皮葺の屋根、躯体の朱色、鮮やかな装飾が美しい。

猪田神社(三重県)

護国社のあたりから、平地を見下ろすと、のどかな田園が広がる。

猪田神社の本殿

最後に<社殿>全景。建物が縦に3つ連なっているところが印象的。(^▽^)/

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歴史

主祭神である猪田神(いだのかみ・別名 武伊賀津別命)は、旧事本紀(くじほんぎ)に「伊賀国造 志賀高穴穂(しがのあなほのみや)朝御代(成務天皇) 垂仁帝皇子意知別命(おちわけのみこと)三世孫 武伊賀都別命(たけいがつわけのみこと) 定賜国造(くにつくり)」とあり第13代 成務天皇の時代に伊賀の国造に任じられた、伊賀臣の祖神である。その子孫である伊賀臣は伊賀郡(古くは伊賀には伊賀郡・阿拝郡・山田郡・名張郡があった)の郡司として猪田神社前方に集落を形成し郡衙(ぐんが・郡役所)を置き、政治経済の中心地として支配し、神社の森を神奈備の杜として祭祀を行ったのが起源と考えられている。
 天正15年(1587)の棟札によると、「始自勧請以来八百四年目仁下遷宮」とあることから延暦3年(784)に、社殿が建てられたことがうかがわれる。また、江戸中期に記された「三国地誌」によると、「延暦三年 白鷺空中を翔り 白羽の矢をくわえて松の樹上に止る時に その矢光を放ち 今の社地に止る 其矢をみれば住吉神と銘す 夫よりして此地に此神を祀り 古山 沖 市部 依那具 猪田 郡等の十七郷共に祭祀に預かる」とあり、神社前方の森に白鷺が住吉神と銘する白羽の矢をくわえて降り立ったので、社殿を建て猪田神と住吉神をあわせて祀るようになった。(此の住吉神は、当社より猪田の猪田神社と古山の田守神社に勧請(かんじょう)されている)
 平安時代には延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう・927年完成)の伊賀国25座の式内小社に列せられている。
 天正9年(1581)織田信長による伊賀攻め(第2次天正伊賀の乱)によって、本殿以下が焼失し猪田郷山出の小天狗清蔵により天正15年(1587)に再建された。
 明治43年には合祀令により、延喜式内社であった依那古神・坂戸神社をはじめ近隣神社(依那具・市部・沖・才良・上郡・下郡・森寺)で祀られていた神々を合祀した。
 昭和48年、本殿背後の斜面より「猪田経塚」が発見されている。塚は全部で13基が存在したものと考えられ、内3基からは瓦製経筒・三筋壺経筒が検出され、造営年代は12世紀末頃と推定されている。
 また、当社前方には「下郡遺跡」があり、弥生時代~室町時代の集落遺跡も見つかっており、特に平安時代の井戸からは延喜(901~923)銘の墨書木簡が出土している。
 氏子地域は依那古地区(依那具・市部・沖・才良・上郡・下郡・森寺・ゆめが丘)である。

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猪田神社の基本情報

住所三重県伊賀市下郡591
行き方

依那古駅下車 西に1km

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名称猪田神社
読み方いだじんじゃ
参拝時間

参拝/24時間

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0595-37-0111
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://idajinja.wixsite.com/home
SNS

詳細情報

ご祭神《合》依那古神,健御名方命,宇迦能御魂神,小泉太郎左衛門,蛭子命,大日貴命,坂戸神,応神天皇,仁徳天皇,大物主神,市杵島比売命,大山咋命,健速須佐之男命,天児屋根命,綾門日女命,猿田彦命,菅原道真,大山祇神,木花佐久夜比売命,伊弉冊命,火之迦具土神,速玉男命,事解男命,倭姫命,神功皇后,《主》猪田神,《配》底土命,赤土命,磐土命
本殿一間社流造
文化財

【三重県有形文化財】本殿

ご由緒

主祭神である猪田神(いだのかみ・別名 武伊賀津別命)は、旧事本紀(くじほんぎ)に「伊賀国造 志賀高穴穂(しがのあなほのみや)朝御代(成務天皇) 垂仁帝皇子意知別命(おちわけのみこと)三世孫 武伊賀都別命(たけいがつわけのみこと) 定賜国造(くにつくり)」とあり第13代 成務天皇の時代に伊賀の国造に任じられた、伊賀臣の祖神である。その子孫である伊賀臣は伊賀郡(古くは伊賀には伊賀郡・阿拝郡・山田郡・名張郡があった)の郡司として猪田神社前方に集落を形成し郡衙(ぐんが・郡役所)を置き、政治経済の中心地として支配し、神社の森を神奈備の杜として祭祀を行ったのが起源と考えられている。
 天正15年(1587)の棟札によると、「始自勧請以来八百四年目仁下遷宮」とあることから延暦3年(784)に、社殿が建てられたことがうかがわれる。また、江戸中期に記された「三国地誌」によると、「延暦三年 白鷺空中を翔り 白羽の矢をくわえて松の樹上に止る時に その矢光を放ち 今の社地に止る 其矢をみれば住吉神と銘す 夫よりして此地に此神を祀り 古山 沖 市部 依那具 猪田 郡等の十七郷共に祭祀に預かる」とあり、神社前方の森に白鷺が住吉神と銘する白羽の矢をくわえて降り立ったので、社殿を建て猪田神と住吉神をあわせて祀るようになった。(此の住吉神は、当社より猪田の猪田神社と古山の田守神社に勧請(かんじょう)されている)
 平安時代には延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう・927年完成)の伊賀国25座の式内小社に列せられている。
 天正9年(1581)織田信長による伊賀攻め(第2次天正伊賀の乱)によって、本殿以下が焼失し猪田郷山出の小天狗清蔵により天正15年(1587)に再建された。
 明治43年には合祀令により、延喜式内社であった依那古神・坂戸神社をはじめ近隣神社(依那具・市部・沖・才良・上郡・下郡・森寺)で祀られていた神々を合祀した。
 昭和48年、本殿背後の斜面より「猪田経塚」が発見されている。塚は全部で13基が存在したものと考えられ、内3基からは瓦製経筒・三筋壺経筒が検出され、造営年代は12世紀末頃と推定されている。
 また、当社前方には「下郡遺跡」があり、弥生時代~室町時代の集落遺跡も見つかっており、特に平安時代の井戸からは延喜(901~923)銘の墨書木簡が出土している。
 氏子地域は依那古地区(依那具・市部・沖・才良・上郡・下郡・森寺・ゆめが丘)である。

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