つみえじんじゃ
都美恵神社三重県 柘植駅
参拝/24時間
倭姫命さまが天照大神さまの鎮座地を探して巡行し、その道中に営んだ行宮「敢都美恵宮」に比定される元伊勢の一つです。穴師谷という霊山近くに祀られていましたが洪水によって欠損し、現在地に遷座し柘植町の総鎮守となりました。総鎮守らしく4月5日の例祭はこの地域でかなり大きな規模で行われています。
《参道入り口と社号碑》
住宅地の間を縫うように伸びています。
《一の鳥居》
この前に広い駐車場がありました。
《杜のカフェいこいこ》
今日は不運にも定休日でした。お腹空いてたんだけどな…
《神宮遥拝所》
《手水舎》
水は流れていました。
《二の鳥居》
《由緒書き》
遷座前に穴石大明神と呼ばれていた時代がありますが、伊賀国阿拝郡の式内社として穴石神社があります。現在は伊賀市石川の穴石神社が比定されていますが、論社として挙がっていたのでしょうか。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社の由緒については洪水によって失伝してしまったため直接の伝承は残っていませんが、『伊勢国風土記』の逸文に出雲族が北からこの地へ移住してきたとあり、地名の「柘植」の古語が「敢都美恵宮」の「都美恵」が転訛したものであるとされています。そうした論拠に基づいて都美恵神社に改称したものと思われます。
《伊賀国内神社分布図》
《社務所》
普段は無人のようですが、拝殿内部が綺麗にされていたので、ご祈祷など祭りは普通に行われていると思われます。
🌼都美恵神社(つみえじんじゃ)⛩️に参拝させて頂きました🙏 🌸当神社の起源は古く西紀二、三世紀以前ではないかと思われます。🍁我が国へ渡来してきた北方民族(出雲民族)がこの柘植へ移住してきたことは、伊勢風土記逸文に「伊賀の事志【あなし】の社に坐す神、出雲の神の子出雲建子命、又の名は伊勢津彦の神、又の名天櫛玉命、此の神、昔、石もて城を造り、其の地に坐しき、ここに阿倍志彦の神、来り集い勝たずして還り却りき。因りて名を為しき云々」とあることからも、霊山の中腹穴師谷にこれらの民族の祀っていた神であることは事実のようです。☘️この神社のもとの名は穴石(穴師)神社又は、石上明神ともいって上柘植村の産土神として祀られていたが、寛永二十一年(一六四四)大洪水の為社地欠損甚だしく、正保三年(一六四六)今の地に移されたことは、種々の古文書から明らかであるし、その時の社殿造営の棟札(式内社 正保三戌年八月二十七日)も町文化財として今日残されています。🌺この神社の祭神は栲幡千々比売命【たくはたちぢひめのみこと】、布都御魂命【ふつみたまのみこと】、布津主命【ふつぬしのみこと】外三十三柱となっているが、又他の一本によるともとの祭神は木花開耶姫【このはなさくやひめ】であったとも伝えられています。🌼都美恵の社号については、一村一社の合祀(明治四十二年四月)後、大正十一年七月に現社号に改称されたもので倭姫世紀、伊勢御鎮座遷幸囲略、二所皇太神宮遷幸要略等にある「敢都美恵宮」から「敢」をとって撰定されたもので、即ち都美恵は柘植の古語であり神宮縁りの地でもあります。🌸こうした由緒のある宮をわれわれの産土神として末永く祀りつぎたいものだと思います。
👣所在地 : 三重県伊賀市柘植町2280
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御朱印 都美恵神社(つみえじんじゃ)⛩️
都美恵神社(つみえじんじゃ)⛩️
都美恵神社(つみえじんじゃ)⛩️
都美恵神社(つみえじんじゃ)⛩️
都美恵神社(つみえじんじゃ)⛩️
都美恵神社(つみえじんじゃ)⛩️
都美恵神社(つみえじんじゃ)⛩️
都美恵神社(つみえじんじゃ)⛩️
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元伊勢敢都美恵宮の都美恵神社に参拝に行って来ました。倭姫命が天照大御神を祀った元伊勢になります。境内はとても綺麗に整備されてました。残念ながら御朱印は書き置きでしたが、箱にお金を入れて御朱印を拝受してきました。日付を書けるように筆ペンも常備してありました。
神社入り口
神宮遥拝所
手水社
由緒書き
狛犬
狛犬
拝殿
この建物の右側に書き置き御朱印がありました。
お金を入れて御朱印を拝受してきました。筆ペンもありました。
さざれ石
当神社の起源は古く、西紀2、3世紀以前と推定されるが、元は霊山中腹の穴師谷に祀られ、「穴石大明神」として崇められていた。しかし、寛永21年(1644)の大洪水によって社地社殿悉く欠潰し、正保3年(1646)現在の地に遷され今日に至っている。明治42年には、合祀によって一村一社の実を挙げ柘植郷の総鎮守となり、大正11年7月に「穴石神社」から伊勢神宮縁りの元社号「都美恵神社」に改められた。昭和63年は、合祀完了の年から数えて80周年にあたった為、これを記念して、諸社殿の修復、境内の整備、社頭石玉垣の建設等の大事業を実施した。
名称 | 都美恵神社 |
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読み方 | つみえじんじゃ |
参拝時間 | 参拝/24時間 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
ご祭神 | 《主祭神》 栲幡千千比売命 《配祀神》 経津主命 布都御魂命 《合祀神》 応神天皇,健速須佐之男命,稲田比売命,仁徳天皇,天穂日命,火産霊命,大山祇命,三筒男命,安閑天皇,大山咋神,建御名方命,大日貴命,埴山比売命,弥都波能売命,市杵島比売命,伊弉冊命,菊理比咩命,天太玉命,宇気母智命,伊勢津彦命,天手力男命,倭姫命,武甕槌命,宇迦能御魂命,天津彦火瓊瓊杵命,木花佐久夜比売命,八坂刀売命,玉依比売命,建角身命,猿田彦大神,天御柱命,国御柱命,火之迦具土命, |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 西暦2、3世紀以前 |
創始者 | 不詳 |
ご由緒 | 当神社の起源は古く、西紀2、3世紀以前と推定されるが、元は霊山中腹の穴師谷に祀られ、「穴石大明神」として崇められていた。しかし、寛永21年(1644)の大洪水によって社地社殿悉く欠潰し、正保3年(1646)現在の地に遷され今日に至っている。明治42年には、合祀によって一村一社の実を挙げ柘植郷の総鎮守となり、大正11年7月に「穴石神社」から伊勢神宮縁りの元社号「都美恵神社」に改められた。昭和63年は、合祀完了の年から数えて80周年にあたった為、これを記念して、諸社殿の修復、境内の整備、社頭石玉垣の建設等の大事業を実施した。 |
体験 | 祈祷御朱印祭り札所・七福神巡り伝説夏詣 |
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