やまとひめのみや
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楽しみ方倭姫宮(皇大神宮別宮)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年01月31日(水) 00時33分09秒
#倭姫宮
ご祭神はヤマトヒメの命。
#倭姫命
古事記では倭比売命、日本書紀では倭姫命。古事記・日本書紀とも、第11代・垂仁天皇と皇后ヒバスヒメの命の御子とする。きょうだいにイニシキの命、次の景行天皇など。
古事記で、ヤマトタケルの命が伊勢神宮を訪れヤマトヒメの命と会う場面がある。ヤマトタケルの命は景行天皇の皇子なので、ヤマトヒメの命から見れば甥だ。
ヤマトタケルの命は九州のクマソタケルを討ち、凱旋して間もなく、父から今度は東への転戦を命じられた。途中、伊勢に立ち寄り、ヤマトヒメの命に「父上はボクが死んだらいいと思っていらっしゃるのだろうか」と打ち明ける。ヤマトヒメの命は甥に、”草なぎの剣”などを渡した。
お伊勢参りをすれば道中どこかで知ることになると思うが、皇大神宮を創建したのがヤマトヒメの命だ。
とすると、ヤマトタケルの命が活躍したのは、神宮が稼働し始めてから間もない頃だったことになる。
また、”草なぎの剣”は”やたの鏡”と同じく、三種の神器の1つ。”やたの鏡”は一貫して皇大神宮のご神体だが、神宮ができた当初、”草なぎの剣”も同じ場所にあった、ともいえる。
ちなみに、衆知の通り”草なぎの剣”は現在は熱田神宮(名古屋市熱田区)のご神体。あちらが成立したのはヤマトタケルの命がこう去した直後らしい。
ご祭神はヤマトヒメの命。
#倭姫命
古事記では倭比売命、日本書紀では倭姫命。古事記・日本書紀とも、第11代・垂仁天皇と皇后ヒバスヒメの命の御子とする。きょうだいにイニシキの命、次の景行天皇など。
古事記で、ヤマトタケルの命が伊勢神宮を訪れヤマトヒメの命と会う場面がある。ヤマトタケルの命は景行天皇の皇子なので、ヤマトヒメの命から見れば甥だ。
ヤマトタケルの命は九州のクマソタケルを討ち、凱旋して間もなく、父から今度は東への転戦を命じられた。途中、伊勢に立ち寄り、ヤマトヒメの命に「父上はボクが死んだらいいと思っていらっしゃるのだろうか」と打ち明ける。ヤマトヒメの命は甥に、”草なぎの剣”などを渡した。
お伊勢参りをすれば道中どこかで知ることになると思うが、皇大神宮を創建したのがヤマトヒメの命だ。
とすると、ヤマトタケルの命が活躍したのは、神宮が稼働し始めてから間もない頃だったことになる。
また、”草なぎの剣”は”やたの鏡”と同じく、三種の神器の1つ。”やたの鏡”は一貫して皇大神宮のご神体だが、神宮ができた当初、”草なぎの剣”も同じ場所にあった、ともいえる。
ちなみに、衆知の通り”草なぎの剣”は現在は熱田神宮(名古屋市熱田区)のご神体。あちらが成立したのはヤマトタケルの命がこう去した直後らしい。
すてき
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