いせじんぐうげくう(とようけだいじんぐう)
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楽しみ方伊勢神宮外宮(豊受大神宮)のお参りの記録一覧
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こちらも合宿中に2回訪れた。入り口の大きな灯台が雰囲気があって印象に残っている。外宮に祀られている豊受大御神(とようけおおみかみ)は、天照大神のお食事を司り、衣食住や産業の守護神として崇敬されているそうで、外宮は内宮に先立って訪れるのが慣わしだという。天照大神が1人でご飯を食べるのは味気ないということで呼んだというこの神は女神だそうで、トヨウケという名前から分かりやすく縁起が良さそう。正宮以外にも、荒御魂を祀った多賀宮(たかのみや)や、地主の神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)をお祀りする土宮(つちのみや)、風日祈宮(かざひのみのみや)と同じご祭神の風宮(かぜのみや)がある。こちらも本宮までの道乗りの間に美しく整備された庭園があり、木漏れ日が心地よかった。神宮の式年遷宮では、天照大神のお社だけでなく、別宮も遷宮をするらしく、外宮のお社の右側に大きな遷宮の土地が整備されていた。無事正宮に手を合わせることができ、神楽殿に御朱印をもらいに行ったのだが、事件発生、お賽銭や電車移動で小銭が切れていることに気づいた。友人と、一度外に出て崩そうかと話をしていたところ、宮司さんが声をかけてくださり、お札からお釣りを出せますよと教えてくれた。空いていたため、神楽殿周辺を彷徨く私たちに気づいて声をかけてくださったと思うと、少し恥ずかしかったが、その視野の広さと気遣いに感激した。御朱印をお渡しすると快く丁寧に仕上げてくださり、神のもとに仕えるとこうも穏やかなオーラを纏えるのか〜とまた感激。私の荒御魂が活動し始めたときにあの落ち着きを思い出したい。小銭ゼロ事件が二度とないよう100円玉貯金でもしようかなと思ったが、その100円に手をつけず貯金する習慣ができる前に、小銭がなかったとき、「お気持ち」でお札を出せるくらいの余裕ある大人になる方が早いといいなーと思った。
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令和七年八月二十七日、豊受大神宮様に参拝いたしました。
お伊勢参りは人生二度目。
一度目は小学生の頃で殆ど覚えていません。
今回、移動中に下調べをしていたら、
「 江戸時代には、二見興玉神社の汐水で身を清めてから伊勢神宮へ参拝していた。 」
「 伊勢神宮崇敬会謹製の御朱印帳 というものがある。 」
という内容の記事を多く見つけました。
実際に海水で禊はしないとしても、その順番で参拝したい!
そして御朱印は 『 伊勢神宮崇敬会謹製の御朱印帳 』 にいただきたい!
その御朱印帳を購入できる場所は、
a. 外宮の神楽殿にある授与所 午前6時~
b. 神宮会館の売店 朝7時~
私は早く出発したかったので a. の外宮の供与所一択です。
伊勢に前日入りし一泊。
起床後、供与所へ出向き御朱印帳を購入したいと申し出ると、ご神職さんが、
「 御朱印帳のみの販売はやってなくて、御朱印を記入してのお渡ししかできないんだよねぇ。 」
そりゃそうだ。
御朱印帳のみ販売してくれるのは売店だけです。
供与所では聞いたことがありません。
私が、
「 二見興玉神社にお参りしてからこちらへお参りしたかったので……。 」
と事情を話すと、
「 回る順番は気にしなくていいし、御朱印帳の順番にも決まりはないよ。
御朱印は参拝の前でも後でもどっちでもいい。
そもそも御朱印なんて(神社においては)参拝の記念だから細かいことはいいんだよ。
だって他の人を見てごらんよ、みんなテキトーだから(笑)。 」
私は苦笑しながら、
「 でもせめて、お参りしてから、すぐに来ます。 」
と言い残し、取り急ぎ豊受大御神様にご挨拶。
晴れて伊勢神宮崇敬会謹製御朱印帳に、内宮のための1ページを空けて御朱印をいただきました。
「 今から二見さん行くんだぁ、気を付けて行ってらっしゃい! 」
と笑顔のご神職さん。
いや、勉強になりました。
最高位である神宮でご奉仕されているプロが言うんだから間違いあるまい。
御朱印をいただくタイミングや回る順番に厳密にこだわる必要はないのでしょう。


念願のお伊勢参り✨
伊勢市の中心部、高倉山の麓に鎮座する豊受大神宮は、衣食住、広く産業の守護神である豊受大御神をお祀りし、古くから内宮に対して外宮と並び称されています。
今から約1500年前、天照大御神のお食事を司る御饌都神として丹波国から現在の地にお迎えされました。内宮の御鎮座から約500年後のことです。以来、外宮御垣内の東北に位置する御饌殿では朝と夕の二度、天照大御神を始め相殿神及び別宮の神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています。
豊受大神宮の由緒と沿⾰
豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳』や『豊受皇太神御鎮座本紀』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は、「一所のみ坐せば甚苦し」ということと、「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました。これが「御饌殿の創設」、「日別朝夕大御饌祭の創祀」を始めとする御鎮座の由来です。
天照大御神の御神慮によって豊受大神宮がお鎮まりになったことには、どんな意味があったのでしょうか。皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。この御代は大陸との交通がますます盛んとなり、産業の開発も著しく、国富はいよいよ充実した時代であったことを考えると、その深い神慮のほどがうかがわれます。
豊受大神宮は皇大神宮と共に、かつて「二所大神宮」と称されました。広大なる御神徳と尊い御鎮座の由緒にもとづいて、殿舎、祭儀のほとんどが皇大神宮と同様であり、皇室の御崇敬もまた同様に捧げられています。しかし、両宮は決して同格ではなく、皇大神宮こそが最高至貴のお宮で神宮の中心です。
神宮の祭典は、「外宮先祭」といって、まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります。豊受大御神は天照大御神の御饌都神ですので、内宮の祭儀に先だって御饌都神にお食事を奉るのです。祭典の順序にならい、参拝も外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです。
※HP引用
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