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賀毛神社ではいただけません
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かもじんじゃ

賀毛神社
三重県 伊勢治田駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

鳥居前にあり

おすすめの投稿

メギピッピ
2023年06月17日(土)
177投稿

この日は昼から前日に間に合わなかった員弁方面へ。
まずは賀毛神社に伺いました。

賀毛神社の御朱印

直書きで拝受しました。
御朱印は宮司さんのお宅でいただけます。

賀毛神社(三重県)

社号標と正面の鳥居。

賀毛神社(三重県)

鳥居の先は公孫樹と紅葉にあふれています。
銀杏は実が落ちたら拾っていってよいみたいです。
紅葉が最も見頃になるのは11月から12月頃になるとのことでした。

賀毛神社の歴史

こちらで由緒が確認できます。

賀毛神社(三重県)

生け花のようなとても鮮やかな花手水が。

賀毛神社(三重県)

クラシックタイプの手水舎もあります。

賀毛神社(三重県)

拝殿正面の様子です。

賀毛神社(三重県)

看板猫の「麻呂(まろ)」ちゃん。
「苧麻(ちょま)」ちゃんはどこかにお出かけ中でした。

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歴史

勧請年月不詳。延喜式内社。『姓氏録』左京皇別下に「治田連開花天皇皇子彦坐命之後也。四世孫彦命征北夷有功勲。因割近江国浅井群賜之。為墾田地。大海・真特等墾開彼地以為居地。大海六世孫之後熊田・宮平等。因行事賜治田連姓也。」とあり、治田連の氏人が近江国浅井郡治田郷から当地に移住して治田の部落をつくり、又、その祖先の鴨県主の氏人も移住してきて、氏神を祀つたのが当社であろう。中古までは神田も多くあり、社殿も宏麗であったが、天正年間織田信長の北勢侵攻の際、長嶋一揆の残党が当社の別当寺魏竹山興正寺に立籠り反抗したので放火され、伽藍堂宇が灰燼に帰した時当社も類焼、神殿・神宝記録に至るまで烏有に帰し廃退した。元和元年(1615)桑名城主本多中務大輔忠刻の領地となり、城主の敬神により 神田・幣帛料を陽り復興した。享保11年(1726)には上総国一ノ宮藩主加納遠江守久通の支配となり、藩主の尊崇を得て 興隆した。
『明治五年(一八七二)の村明細帳』に、治田郷の各村にあった社が記されている。 中山村 中山神社・牛ケ谷神社・大髪神社。麓村麓稲荷・金刀毘羅・山神。奥村 奥村八幡宮・山神。垣内村 武内賀毛神社・市坂神社。別名村 前田八幡宮。東村 八幡社・稲荷社。これらの諸社は明治41(1908)年2月当社に合祀した。宝物等 石斧 一個 曲玉 二個 鏃 十五個 因字石 二個 古鏡面・古銭 百枚 古刀(正宗)一振・(来国光)一振 長刀(兼氏)一振特記事項 古くから毎年12月6日、7才から14才までの児童が鉢巻・草鞋姿で社頭に持ち寄った竹・藁・薪で大きな松明を造り、これに火をつけて囃立てた。これを「山の神どうど」といったが、昭和30年以降中断した。又、明治37年迄は毎年10月13・14・15日に「流鏑馬」「馬馳」の神事が行われ、北勢四郡はもとより遠く美濃・尾張からも見物人が参集したという。

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賀毛神社の基本情報

住所三重県いなべ市北勢町垣内718
行き方
アクセスを詳しく見る
名称賀毛神社
読み方かもじんじゃ
通称総宮さん
参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0594-72-3443
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
SNS

詳細情報

ご祭神《主》彦坐命
《配》鴨県主命
ご由緒

勧請年月不詳。延喜式内社。『姓氏録』左京皇別下に「治田連開花天皇皇子彦坐命之後也。四世孫彦命征北夷有功勲。因割近江国浅井群賜之。為墾田地。大海・真特等墾開彼地以為居地。大海六世孫之後熊田・宮平等。因行事賜治田連姓也。」とあり、治田連の氏人が近江国浅井郡治田郷から当地に移住して治田の部落をつくり、又、その祖先の鴨県主の氏人も移住してきて、氏神を祀つたのが当社であろう。中古までは神田も多くあり、社殿も宏麗であったが、天正年間織田信長の北勢侵攻の際、長嶋一揆の残党が当社の別当寺魏竹山興正寺に立籠り反抗したので放火され、伽藍堂宇が灰燼に帰した時当社も類焼、神殿・神宝記録に至るまで烏有に帰し廃退した。元和元年(1615)桑名城主本多中務大輔忠刻の領地となり、城主の敬神により 神田・幣帛料を陽り復興した。享保11年(1726)には上総国一ノ宮藩主加納遠江守久通の支配となり、藩主の尊崇を得て 興隆した。
『明治五年(一八七二)の村明細帳』に、治田郷の各村にあった社が記されている。 中山村 中山神社・牛ケ谷神社・大髪神社。麓村麓稲荷・金刀毘羅・山神。奥村 奥村八幡宮・山神。垣内村 武内賀毛神社・市坂神社。別名村 前田八幡宮。東村 八幡社・稲荷社。これらの諸社は明治41(1908)年2月当社に合祀した。宝物等 石斧 一個 曲玉 二個 鏃 十五個 因字石 二個 古鏡面・古銭 百枚 古刀(正宗)一振・(来国光)一振 長刀(兼氏)一振特記事項 古くから毎年12月6日、7才から14才までの児童が鉢巻・草鞋姿で社頭に持ち寄った竹・藁・薪で大きな松明を造り、これに火をつけて囃立てた。これを「山の神どうど」といったが、昭和30年以降中断した。又、明治37年迄は毎年10月13・14・15日に「流鏑馬」「馬馳」の神事が行われ、北勢四郡はもとより遠く美濃・尾張からも見物人が参集したという。

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