かもじんじゃ
賀毛神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》彦坐命
《配》鴨県主命 | |
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ご由緒 | 勧請年月不詳。延喜式内社。『姓氏録』左京皇別下に「治田連開花天皇皇子彦坐命之後也。四世孫彦命征北夷有功勲。因割近江国浅井群賜之。為墾田地。大海・真特等墾開彼地以為居地。大海六世孫之後熊田・宮平等。因行事賜治田連姓也。」とあり、治田連の氏人が近江国浅井郡治田郷から当地に移住して治田の部落をつくり、又、その祖先の鴨県主の氏人も移住してきて、氏神を祀つたのが当社であろう。中古までは神田も多くあり、社殿も宏麗であったが、天正年間織田信長の北勢侵攻の際、長嶋一揆の残党が当社の別当寺魏竹山興正寺に立籠り反抗したので放火され、伽藍堂宇が灰燼に帰した時当社も類焼、神殿・神宝記録に至るまで烏有に帰し廃退した。元和元年(1615)桑名城主本多中務大輔忠刻の領地となり、城主の敬神により 神田・幣帛料を陽り復興した。享保11年(1726)には上総国一ノ宮藩主加納遠江守久通の支配となり、藩主の尊崇を得て 興隆した。
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