あざかじんじゃ
阿射加神社三重県 上ノ庄駅
参拝自由
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | お書入れ ・本社の御朱印 セルフで押印 ・松阪霊地七福神の印 | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
長雨の合間を縫って、元伊勢めぐり。
気になっていた、同じ名前の二社の阿射加神社へお参りすることに。
まずは小阿坂町の阿射加神社へ。
静かな集落の、通り道を奥へ入ったところに鎮座されていました。
時折小さな雨粒が落ちてくる以外、ひっそりと静まり返って別世界のようです。
趣のある石橋。
「結界」がさらに強く感じられます。
さすが元伊勢…と心に沁み入る神聖な空気感でした。
境内社
伊勢国壱志郡の名神大社の論社です。二社ある論社はとても近い場所、似た地名を持ち、こちらは"小"阿坂町にあります。御朱印いただけるようですが、今回は無人でしたのでまた次回。
《鳥居》
《文化財説明》
こちらもどうやら粥占神事が行われているみたいですね。
《表参道》
こちらは大阿坂町の阿射加神社と違って、開けた社叢に参道が伸びています。
そして鳥居が連なったあとに御神木が2本、こちらも一つの鳥居に見えなくもないですね。
《手水舎》
水は張られています。
《拝殿》
《本殿》
👁チェックポイント‼️
神宮も包括する伊勢国ですが、実は当社と桑名市の多度大社しか名神大社の社格を与えられていません。もともとは天照大御神さまの鎮座地を探す倭姫命さまの邪魔をする悪神とも水神信仰を由来とする龍神だったという説があります。
農耕社会にとって水神信仰は強力なものなので、国の一大事に奉幣がある名神大社に指定されたと考えられます。
《摂社・大若子神社》
外宮の社家だった度会氏の祖先とされる大若子命さまを祀ります。
この方が阿射加神社の初代神主になったみたいですね。
《ミニ狛犬像群》
なんか飼育小屋みたく…
《寿老人幟》
当社が七福神巡りの寿老人にあたっています。
こちらの御朱印は自分で推すように用意されていました。
阿射加神社(小阿坂町)は、平安時代初期には延期式神名帳に記された古社だそうです。また倭姫命が諸国を巡行されたときに立ち寄られた地でもあります。
参道を進むと川が流れていないのに石の橋がありました。
本殿は三社で構成されています。
摂社の大若手神社
倭姫命が皇大神の御神霊を奉じ、諸国を巡行せられたとき、安佐賀の山の嶺に荒ぶる神がおり、倭姫命は宇治の五十鈴の川上の宮に行くことが出来なかった。倭姫命はこの荒ぶる神の所業を天皇に申し上げるため伊勢大若子命たち三人を朝廷に遣わされたところ、天皇は大若子命に命じて荒ぶる神を祀るための様々な贈り物を賜えた。大若子命はその贈物をもって荒ぶる神に捧げ、ついに安らかに鎮めることができ、安佐賀に社殿を建て、伊豆速布留神をお祭りするようになった。この社殿が今の阿射加神社で、伊豆速布留神とは猿田彦大神。時は垂仁天皇18年の4月16日のことで、神社創建にかかわった大若子命は、当社の境内社「大若子命神社」に祀られている。
承和2年(835)従五位下、斉衡2年(855)従四位下、貞観8年(866)従三位を捧げ奉ると国史にみえている。「阿射加神社(並明神大)」とある式内社は当社のことである。【三重県神社庁HP当神社ページ由緒書きより】
名称 | 阿射加神社 |
---|---|
読み方 | あざかじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
SNS |
ご祭神 | 猿田彦大神 伊豆速布留神 竜天大神 |
---|---|
ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 垂仁天皇の御代 |
創始者 | 大若子命 |
本殿 | 切妻造妻入 |
文化財 | かん踊り(県無形文化財)
|
ご由緒 | 倭姫命が皇大神の御神霊を奉じ、諸国を巡行せられたとき、安佐賀の山の嶺に荒ぶる神がおり、倭姫命は宇治の五十鈴の川上の宮に行くことが出来なかった。倭姫命はこの荒ぶる神の所業を天皇に申し上げるため伊勢大若子命たち三人を朝廷に遣わされたところ、天皇は大若子命に命じて荒ぶる神を祀るための様々な贈り物を賜えた。大若子命はその贈物をもって荒ぶる神に捧げ、ついに安らかに鎮めることができ、安佐賀に社殿を建て、伊豆速布留神をお祭りするようになった。この社殿が今の阿射加神社で、伊豆速布留神とは猿田彦大神。時は垂仁天皇18年の4月16日のことで、神社創建にかかわった大若子命は、当社の境内社「大若子命神社」に祀られている。
|
体験 | 御朱印祭り札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 阿射加神社(あざかじんじゃ)は、三重県松阪市にある神社。同名神社として2社があり、いずれも伊勢国壹志郡の式内社(名神大社)論社。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 社伝に、永禄年間(1558-70年)に兵火に罹るのを怖れて阿坂山山上から遷座したと伝えるが、藤堂元甫の『三国地志』では、応仁の乱(1467-77年)の時に北畠氏によって現在地に遷座された、と説いている。また、その創祀について『古事記伝』には、円座薬師という小阿坂にあった寺の縁起に、当神社は行基が勧請したとの伝えがあったことを記している。 明治41年(1908年)2月20日に村社に列格し、戦後は神社本庁に属している。 |
行事 | 神事[編集] 御火試(おひだめし)・粥試(かゆだめし)神事(1月14日) - ともに摂社大若子神社の祭りで、御火試神事は、囲炉裏で焼いた樫の木の先端を月数を書いた板に押しつけて、その灰の色で各月の天候を占うもの、粥試神事は小豆粥に竹の管を入れ、管に入った米と小豆の量で作柄の豊凶を占う粥占である。昭和40年(1965年)に市の無形民俗文化財に指定された。 羯鼓(かんこ)踊り(1月14日) - 元来は雨乞いのために初夏に踊られていたと思われるが、後に豊作を迎えた年の秋に踊られるようになり、現在では大ドンドを焚きながら、勢子入りから始まる唄にのって、子ども達が神への感謝と当年の豊作を祈願する踊...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「阿射加神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%98%BF%E5%B0%84%E5%8A%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=97915474 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
10
0