いせのくに してんのうじ|曹洞宗|塔世山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方伊勢の国 四天王寺のお参りの記録一覧(13ページ目)

四天王寺は、三重県津市にある曹洞宗の寺院。山号は塔世山。
本堂にある木造薬師如来像、絹本著色聖徳太子像、絹本著色藤堂高虎像・同夫人像(掛け軸)は国指定の重要文化財。
寺伝によると、推古天皇の勅願により聖徳太子が建立。聖徳太子が守屋大連軍に3度敗れ、4度目の戦陣中で四天王像を刻み勝利を祈願。結果勝利し、請願どおり4つの四天王寺を建立したうちの一つであるとのこと。
その後、奈良・平安時代には繁栄するも、つづく兵乱や戦火で焼失と復興を繰り返した。
江戸時代には、津藩主となった藤堂高虎が本堂を改築し、2代藩主・藤堂高次が寺領を寄進して寺勢を取り戻した。ただ、1945年の米軍による津大空襲で伽藍を焼失、戦後、托鉢行で再興した。
当寺は、JR紀勢本線・津駅、近鉄名古屋線・津駅の南方700mに位置していて、公共交通機関だと国道23号線上にある塔世橋バス停から徒歩すぐ。津市街地を流れる安濃川の北岸にあって、南北に長い境内は300mほどに及ぶ。幹線道路の国道23号線から1本入ったところの住宅街の中にあるので街中でも静かな環境。歩いて回った範囲は境内と墓地が半々の印象。墓地には織田信長・信包兄弟生母の墓や、藤堂高虎正室の墓などがある。
事前調査で津市内の人気寺院ということで参拝することに。参拝時は平日の午後、土砂降りの雨の中だったが、参拝の常連のご老人衆が5名ほど来ていた。御朱印を依頼したところ、本堂で仏像の説明を受けるとともに、お茶と受け菓子を出してもらい、丁寧な対応をいただいた。さらに国指定の重要文化財となっている掛け軸も拝見し感激した。
※旅行サイト<じゃらん>において、津市で2番目に人気がある(口コミ数が多い)寺社仏閣。

寺院入口の<総門>。戦争時の米軍空襲を逃れた数少ない建物の一つ。江戸時代前期の1641年建立、後期の1788年改修。

総門には<塔世山>の扁額。参道の先には歴史を感じさせてくれる古い門があり、参道両側には綺麗に掃き清められた庭園がのぞく。

総門をくぐって、参道を進むと<中雀門>。こちらも空襲を逃れた建物。江戸時代の建立。

総門をくぐってすぐ右手にある<稲荷神社>。

中雀門の右手にある<鐘楼>。こちらも空襲を逃れた江戸時代の建物。

中雀門の左手にあった案内板。美術展の紹介のようにセンスが良い。(あまりにセンスが良いので、最初はお寺の紹介だとは思わず、お寺が協賛するイベントのコマーシャルと勘違いした。)

中雀門をくぐって、本堂を望む。本堂は現代的な建物。写真右手の巨大な蘇鉄とマッチしている。

本堂全景。非常に間口が大きい。

本堂正面。常連と思しきご老人衆が集まっていた。

見た目も美しい本堂内。(撮影OKと書いてあったので、思わずパチリ。)
中央には本尊の<阿弥陀如来像>(と説明されたような記憶)、右側には国指定の重要文化財の<薬師如来像>、左側には織田信長が祈願したという<三面大黒像>を祀る。

ここから本堂に向かって左側に進む。こちらは、不動明王を祀る<不動堂>。

さらに進むと<目洗い地蔵>。眼病の治癒に御利益があった言い伝えがある。

ここから本堂を望む。木々の新緑が目に優しい。庭がかなり綺麗にしてある。

本堂向かって右手にある<寺務所>。御朱印はこちら。

御朱印をお願いすると、本堂に上がって参拝することを勧められる。
本堂右側にあるのは、国指定の重要文化財である<木造薬師如来像>。ガラス越しに見える形で安置されている。戦前は貴重な仏像を多数有していたが、米軍空襲でほとんどを焼失し、この薬師如来は奇跡的に難を逃れたとのこと。

お茶と茶菓子を頂戴し、まず感激。
この後、本堂の右隣の和室に通され、国指定の重要文化財である①絹本著色聖徳太子像、②絹本著色藤堂高虎像・③同夫人像の3本の掛け軸を拝見した。これでさらに感激。

境内の外の道沿いにある<芭蕉翁文塚>。江戸中期1737年に津の俳人・二日坊が建立。
本日は聖徳太子さんの祥月命日!
ということで、四天王寺さんにお参りして、
お昼の法要にも参列させていただきました。

平和を祈りました。

本堂横の坐禅堂にて、

お茶とお菓子をいただきました。
カントリーマアム見ると、「ふるさとの母君」と僕の脳内のすえひろがりずが囁きました。

聖徳太子の松の前で、
セルフィーで撮影。
スマホスタンドも固定してありました。

今月の御朱印の主役でもある藤堂高虎さんの奥様のお墓にもご挨拶。

桜を見て、春を感じました。

今日はホトカミの投稿を始めて1番のビッグサプライズがありました‼️
ホトカミ代表の吉田さんにお会いしました🤣🤣🤣
ホトカミを開くと四天王寺の1400年記念法要が、2月22日に実施されるとのバナーが出ていたので、これは呼ばれているな!と思いお詣りして来ました😁
9時頃到着してお詣りさせて頂いていたら、撮影機材を準備している美男美女の方がいたので、もしかしてホトカミ運営の方?🤔と思いお声掛けさせた頂きました🤗
吉田さんを始め運営の方は、気さくにお話ししてくれ嬉しかったです😊ありがとうございました😭















記念撮影📸

境内はすごくキレイです


何故か苔を見ると癒される🥰



お茶の接待を頂きました😋

法要後、150年前の木版刷りの半紙を頂きました♪ありがとうございました😊

本堂

本堂内も撮影許可を頂きました

法要では、参拝者の方達と般若心経を唱えました

御住職の説法もして頂きました。


天井画の龍🐉

吉田さんと話しをしてしたら、お詣りの楽しみはその土地の美味しい物を食べる事もあるよね〜となり、吉田さんのご推薦の『蜂蜜まん』と『天むす』です。
蜂蜜まんは、以外と甘くなく、クセになる美味しさです
天むすは、名古屋が有名ですが発祥の地は津市です。その天むすの発祥の店が『めいふつ天むすの千寿』です。塩味が効いていてとっても美味しいです。
四天王寺から車で3分くらいの場所に有ります。津観音の近くです。

郵送でお願いしてた御朱印が届きました。
本来なら直接お伺いしたかったのですが、緊急事態宣言解除されるまで待てなかったので郵送でお願いしてしまいました。
素敵な御朱印です、額に入れて部屋に飾ろうと思います😊
「和を以て貴しとなす」は「わをもってとうとしとなす」と読み、「仲良く争わず協調するのが良いことだ」という意味があります。
「和を以て貴しとなす」とは「和」を重んじる日本人ならではの言葉です。
「和」とは、ただ単に同調するということではありません。
たとえ意見が対立したとしても、お互いを尊重しながら納得するまで議論するべきだという「歩み寄りの精神」だと言えます。
「和を以て貴しとなす」の教えが、これからも長く語り継がれていくといいですね。


お伊勢さんからの帰りは、いつもなら伊勢道・東名阪道で帰宅するのですが、ホトカミ飛脚通信に四天王寺さんの特別御朱印の事が書かれていたため、伊勢から津市まで高速道路はやめて国道23号を走って参拝してきました。
聖徳太子が建立したと云われる四天王寺ですのでかなりの歴史であり、立派な山門を始め、広目の境内ですが、大戦でかなり焼失したそうで残念です。
真新しい本堂には薬師三尊像(壇が高くて観辛いですが、御朱印が医王殿なので薬師如来)、右手に過去国宝指定だった薬師如来坐像(アクリル板が反射してちと観辛い)、左手には三面大黒天が祀られていました。
(※過去国宝指定だった薬師如来像は焼失したのかも知れません。不確かな情報でした。2/12追記)
特別御朱印は書き置きのみの場合が多いため基本頂かないのですが、御朱印帳に書いて頂けるとの事でしたので、本尊御朱印と特別御朱印を頂きました。

特別御朱印

本尊御朱印


山門


総門

鐘楼

芭蕉文塚

三重県の四天王寺様より 聖徳太子1400年御遠忌限定御朱印いただきました
松の樹の元に佇む聖徳太子のシルエット 陽のごとく輝く<和>の文字 素敵な限定御朱印です^^
同封されていた 一字写経 早速浄書させていただき納めさせていただきました^^


聖徳太子1400年御遠忌限定御朱印

一字写経 御朱印にも記されていた<和>

聖徳太子1400年御遠忌記念ブレンドティー^^ 2種あって郵送販売もしてくれるそうな^^ 飲んでみたい気もするんだが ちょっと御値が^^;;

聖徳太子によって建立されたといわれる四天王寺。大阪の四天王寺が有名ですが、こちらの四天王寺も古瓦の出土品などによって、同時期に建てられたことがわかっています。長い年月の間に火災で消失と再興を繰り返し、江戸時代にこの地を治めた藤堂高虎公によって改築されました。残念ながら、先の世界大戦の空襲によって山門と鐘楼を残して消失してしまいました。現在の本堂は戦後、52世の密禅定行和尚が托鉢行で再建されたそうです。

空襲を逃れた山門(総門)です。

こちらも焼失を逃れた山門(中雀門)です。

扁額。正式名称は「搭世山 四天王寺」です。

焼失を逃れた鐘楼です。

本堂です。新しく立派な建物です。

こちらでお参りです。中がチラッと見えました。もっとよく見てみたいなあ。

右側に御朱印の受付がありました。

呼鈴ならね呼鐘が置いてありました。洒落てますね。鳴らそうとしたら、窓が開いて「どうぞ。」と言われました。「書いている間に本堂でゆっくりお参りしてください。」と言われました。ヤッター!!

とてもオープンな感じで、どこにも撮影禁止の貼り紙がないのを確認して撮影させていただきました。

薬師如来像が安置されています。平安時代の作だそうで国の重要文化財に指定されています。

こちらは三面大黒天様です。

隣の部屋には三幅の掛軸が展示されていました。向かって右側が聖徳太子像、真ん中が藤堂高虎公像、左側がその夫人像です。三幅とも国の重要文化財に指定されています。

外に出ると、立派なお庭がありました。

今、流行りの鬼瓦。

「めあらいじぞう」眼病に効くそうです。

細かく彫られていました。

信長公の生母、土田御前のお墓もありました。
色々見せていただきありがとうございました。
来年、聖徳太子さんが亡くなって1400年を迎える四天王寺さんに初参拝。
事前予習してから参拝したのですが、
実際に足を運ばないと気付けなかった、ネットでは分からなかった見所だらけ、歴史が眠りまくりでとても高まりました。


織田信長のお母さんのお墓!
元祖・傾奇者を産んだお母さん。


藤堂高虎の奥さんのお墓も。

偉人の墓マイラーとしても、高まりました。

お2人のお墓からの眺め。
昔は港まで見えたのかなぁ。
お寺の前の道路は、お伊勢参りの人たちも行き交っていたそう。

座禅会、朝早すぎず良き時間。

御住職様、ありがとうございました!
三重県のおすすめ❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ































































4
0