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はちまんじんじゃ

八幡神社
三重県 伊勢奥津駅

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ヒナメリ
ヒナメリ
2025年09月01日(月) 09時07分03秒
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三重県津市美杉町奥津(みすぎちょうおきつ)に鎮座する八幡神社。公共交通を利用する場合は、JR名松線の終点・伊勢奥津駅から徒歩で8分ほどという立地にあります。山間の静かな町にあるこの神社へは、名松線の乗り鉄旅を兼ねて訪れるのが趣深い道のりです。名松線といえば、古い形式の信号保安装置が今も現役で活躍しており、鉄道ファンにとってはその姿だけでも見応えがあります。途中の家城駅を過ぎると路線は山あいを進み、登り勾配が続く線形に変わります。列車はその坂道を車輪を空転させながらも力強く登り、やがて静寂に包まれた終着駅・伊勢奥津にたどり着きました。まさに「旅の終点にある神社」を訪ねるという情緒を感じさせます。

折り返し列車出発までの時間を利用しての訪問です。駅から神社へは、来た道を少し戻るようにして線路沿いを歩きます。やがて現れるのは、警報機も遮断機も備わっていない第四種踏切。その名称は「神社踏切」と呼ばれ、訪れる者を自然と神域へと導いているように思えます。その踏切を渡ると、鳥居が目に飛び込んできて、いよいよ神域に入る実感がわいてきます。さらに進むと、天へと真っすぐ伸びる杉木立が両脇を固める石段が現れます。あたりには人家の気配が少なく、ただ山の空気と木々のざわめきだけが包み込む中、ひたすら石段を登り切ると、ようやく社殿にたどり着きます。到着の安堵とともに、自然と背筋が伸びる思いがしました。

境内はよく整えられており、常に人の手が加えられていることが伝わります。落ち葉一つなく掃き清められた参道や、手入れの行き届いた木々の姿からは、地域の人々の篤い信仰心が感じられました。拝殿は木造の八幡造、朱色の装飾が鮮やかに映え、周囲の緑との対比が目を引きます。小規模ながらも凛とした存在感を放ち、長い歴史を刻んできた重みが漂っていました。賽銭箱の脇には御神籤が置かれており、そのさりげない配置が、どこか身近で親しみやすく、まるでコンビニに置かれた「ついで買い商品」のような気軽さを感じさせます。その微笑ましさに、思わず心が和みました。

三重県神社庁の記録によれば、この八幡神社の創建は南北朝時代の文和二年(1353年)と伝わります。およそ七百年近い歴史を有し、その長きにわたって地域を見守り続けてきました。本殿は県の有形文化財に指定されており、建築的にも大変貴重な存在です。御祭神は誉田別尊を主祭神とし、天児屋根命、大日孁貴命が相殿に祀られています。戦勝と武運の神としての側面に加え、学問や農業、そして太陽神の力があわさり、この地の暮らしと精神を支えてきたことがうかがえます。

山間の静かな町にひっそりと鎮座しながらも、長い時代を超えて信仰を集め続けてきた八幡神社。名松線の終着駅から徒歩で向かうという道のりそのものが、現代では珍しい「参詣の旅」の雰囲気を味わわせてくれます。帰路に振り返ると、駅前の静けさと山々の影が重なり合い、やや霞かがった空に染まる風景が印象に残りました。ぜひ次は、季節を変えて再訪し、春夏秋冬それぞれの八幡神社を味わってみたいと強く思わされました。

次は鳥羽線。これで終着まで行けば三重県内のJR線完乗となります。

八幡神社(三重県)
八幡神社(三重県)
八幡神社(三重県)
八幡神社(三重県)

神社踏切

八幡神社(三重県)

「若宮八幡宮まで50丁」とあります。同市美杉町川上に鎮座する若宮八幡宮のこと。

八幡神社(三重県)

伊勢奥津駅。

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歴史

社伝によれば、伊勢国司 北畠顕能(きたはた あきよし)が文和(ぶんな)2年(1353)に男山八幡宮の分霊を勧請(かんじょう)して北畠氏累代の祈願所とされ、同氏滅亡後は奥津村・石名原村の産土神として維持されてきたが、慶安(けいあん)2年(1649)に焼失し同4年(1651)に再建されたという。

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八幡神社の基本情報

住所

三重県津市美杉町奥津1238

行き方
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名称

八幡神社

読み方

はちまんじんじゃ

詳細情報

ご祭神《主》誉田別尊,大日貴命,天児屋根命,大鷦鷯尊,大山祇神,火之迦具土神,須佐之男命,宇迦之御魂神
創建時代

1353年(文和2年)

創始者

北畠顕能

本殿

三間社流造

文化財

八幡神社本殿(三重県指定有形文化財/建造物)

ご由緒

社伝によれば、伊勢国司 北畠顕能(きたはた あきよし)が文和(ぶんな)2年(1353)に男山八幡宮の分霊を勧請(かんじょう)して北畠氏累代の祈願所とされ、同氏滅亡後は奥津村・石名原村の産土神として維持されてきたが、慶安(けいあん)2年(1649)に焼失し同4年(1651)に再建されたという。

体験重要文化財
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