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楽しみ方厭離庵のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月01日(日) 21時14分19秒
参拝:2026年2月吉日
厭離庵は京都市右京区にあるお寺です。
先ほど訪れた観音院の裏手には こんもり木が茂っている場所があります。
こちらに厭離庵があることはGoogleマップで分かっていたんです。
分かっちゃあいるけどなかなかたどり着けない。
ぐるっと一周しても分からない。
ようやく見つけた駒札も 厭離庵ではなく 中院山荘跡のもの。
いったいどこやねん!ちょっといらっとしかかった時 駒札のすぐ横に石畳の道を見つけました。
民家に続くものと思い込んでいたのですが よく見るとよこになにやら石柱があります。
あぁぁ違う!こちらにも中院山荘跡とありました。
しかし この道しか考えられないので とにかく進んでみました。
途中から民家がなくなり林になりました。
その先に おぉぉ山門です。
ようやく見つけたと思って山門まで進むと 「拝観謝絶」の文字。
これは仕方ががありません。
山門前で合掌し 写真を撮らせていただきました。
中では何やら声がします。
無住寺ではないようです。
ネット情報です。
厭離庵は 毎年「11月上旬〜12月上旬」のみ一般公開されるお寺です。
臨済宗天龍寺派の寺院。
藤原定家の小倉山荘跡で 定家が百人一首を撰したところという。
のち荒廃し 江戸中期に冷泉家が修復。
霊元法皇から厭離庵の号を賜わる。
その後再び衰え 明治に入り復興。
書院のほか 茶席時雨亭 定家塚などがある。
明治四十三年白木屋社長大村彦太郎氏が佛堂と庫裡を建立され 山岡鉄舟氏の娘素心尼が住職され以後尼寺となる。
先ほど訪れた観音院の裏手には こんもり木が茂っている場所があります。
こちらに厭離庵があることはGoogleマップで分かっていたんです。
分かっちゃあいるけどなかなかたどり着けない。
ぐるっと一周しても分からない。
ようやく見つけた駒札も 厭離庵ではなく 中院山荘跡のもの。
いったいどこやねん!ちょっといらっとしかかった時 駒札のすぐ横に石畳の道を見つけました。
民家に続くものと思い込んでいたのですが よく見るとよこになにやら石柱があります。
あぁぁ違う!こちらにも中院山荘跡とありました。
しかし この道しか考えられないので とにかく進んでみました。
途中から民家がなくなり林になりました。
その先に おぉぉ山門です。
ようやく見つけたと思って山門まで進むと 「拝観謝絶」の文字。
これは仕方ががありません。
山門前で合掌し 写真を撮らせていただきました。
中では何やら声がします。
無住寺ではないようです。
ネット情報です。
厭離庵は 毎年「11月上旬〜12月上旬」のみ一般公開されるお寺です。
臨済宗天龍寺派の寺院。
藤原定家の小倉山荘跡で 定家が百人一首を撰したところという。
のち荒廃し 江戸中期に冷泉家が修復。
霊元法皇から厭離庵の号を賜わる。
その後再び衰え 明治に入り復興。
書院のほか 茶席時雨亭 定家塚などがある。
明治四十三年白木屋社長大村彦太郎氏が佛堂と庫裡を建立され 山岡鉄舟氏の娘素心尼が住職され以後尼寺となる。

つい見逃してしまいそうな参道

石柱は寺堂ではないですね 小倉山荘址とあります

林の中を進みます

山門は閉じられていました

読めない

寺号標

拝観謝絶でした 残念

ちょっとだけ見えました

ほんのちょっとだけ

裏側にも続いています

参道すぐ横に 中院山荘跡がありました

中院山荘と宇都宮頼綱について
すてき
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くるくるきよせん3240投稿
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