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ぎおうじ|真言宗大覚寺派高松山

祇王寺の御由緒・歴史
京都府 トロッコ嵐山駅

ご本尊大日如来
ご由緒

祇王寺は昔の往生院の境内にあり、往生院は法然上人の門弟良鎮によって創建されたと伝わっています。山上山下にわたって広い寺域を占めていた往生院も後年は荒廃し、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになりました。
祇王寺は明治初年に廃寺となりましたが、残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって保管されました。大覚寺門跡の楠玉諦師はこれを惜しみ、再建を計画していた時に、元京都府知事北垣国道氏が祇王の話を聞き、明治二十八年に嵯峨にあった別荘一棟を寄付されました。これが現在の祇王寺の建物です。これらの関係から祇王寺は真言宗大覚寺派の寺院で、旧嵯峨御所大覚寺の塔頭寺院ともなっています。

歴史
歴史[編集] 法然の弟子・念仏房良鎮が創建したと伝えられる浄土宗の往生院が、そもそもの当寺のもととなっている。現在当寺が建っているこの地は往生院の旧跡である[1]。 『平家物語』や『源平盛衰記』によれば、白拍子の祇王(21歳)は平清盛の寵愛を受けていた。そこに、若い仏御前(17歳)が現れてその座を奪われてしまい清盛の邸を追われた祇王は、妹の祇女(19歳)、母の刀自(45歳)とともに尼となった。それが嵯峨の奥にあった往生院に建てられていた庵であるという。この後に“いつか我が身も同じ運命”と悟った仏御前が旧怨を捨てた祇王母子に加わり、4人で念仏三昧の余生をこの地にて送ったという話が記載されて...Wikipediaで続きを読む
引用元情報祇王寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%87%E7%8E%8B%E5%AF%BA&oldid=98887459

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