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仁和寺ではいただけません
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仁和寺のお参りの記録(5回目)
投稿日:2023年11月20日(月)
参拝:2023年11月吉日
御室御所とも称される。
888年宇多天皇によって建立された。
応仁の乱(1467年~1477年)の兵火で焼失したが、1634年徳川家光が再興を許し、1641年~46年にかけて幕府の援助で伽藍が整備され現在の形となった。
寛永年間(1624年~1645年)京都御所の建て替えにより、紫宸殿、清涼殿、常御殿が下賜され移築されている。
1887年宸殿(旧・常御殿)を焼失。現在の建物は1890年~1914年にかけて新築されたものである。
宸殿は将棋の竜王戦の対局場としても使用された。
金堂(1613年建築・京都御所の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年 ~1644年)に移築したもの)で国宝。
観音堂(1641年~1645年再建)、五重塔(1644年再建)、経蔵(1641年~1645年再建)、鐘楼(1644年再建)、二王門(1641年~1645年再建)、中門(1641年~1645年再建)、御影堂(1641年~1645年再建)、御影堂中門(1641年~1645年再建)、本坊表門(慶長年間(1596年~1615年)建築)、遼廓亭(茶室・尾形光琳の屋敷から移築された。江戸時代中期1661年~1750年建築)、飛濤亭(茶室・1830年~1867年建築)、九所明神本殿(仁和寺の鎮守。1641年~1645年再建)、左殿(1641年~1645年再建)、右殿(1641年~1645年再建)は重文指定されている。
888年宇多天皇によって建立された。
応仁の乱(1467年~1477年)の兵火で焼失したが、1634年徳川家光が再興を許し、1641年~46年にかけて幕府の援助で伽藍が整備され現在の形となった。
寛永年間(1624年~1645年)京都御所の建て替えにより、紫宸殿、清涼殿、常御殿が下賜され移築されている。
1887年宸殿(旧・常御殿)を焼失。現在の建物は1890年~1914年にかけて新築されたものである。
宸殿は将棋の竜王戦の対局場としても使用された。
金堂(1613年建築・京都御所の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年 ~1644年)に移築したもの)で国宝。
観音堂(1641年~1645年再建)、五重塔(1644年再建)、経蔵(1641年~1645年再建)、鐘楼(1644年再建)、二王門(1641年~1645年再建)、中門(1641年~1645年再建)、御影堂(1641年~1645年再建)、御影堂中門(1641年~1645年再建)、本坊表門(慶長年間(1596年~1615年)建築)、遼廓亭(茶室・尾形光琳の屋敷から移築された。江戸時代中期1661年~1750年建築)、飛濤亭(茶室・1830年~1867年建築)、九所明神本殿(仁和寺の鎮守。1641年~1645年再建)、左殿(1641年~1645年再建)、右殿(1641年~1645年再建)は重文指定されている。
仁王門
仁王門
仁王門
中門(修復中)
九所明神拝殿
九所明神拝殿
九所明神拝殿
九所明神
九所明神
九所明神本殿(八幡三所・石清水八幡宮)
九所明神本殿(八幡三所・石清水八幡宮)
九所明神本殿(八幡三所・石清水八幡宮)
九所明神右殿(木嶋坐天照御魂神社・日吉大社東本宮・平野神社・松尾大社)
九所明神左殿(賀茂別雷神社・加茂御祖神社・日吉大社西大宮・八坂神社・伏見稲荷大社)
九所明神
五重塔
五重塔
五重塔
五重塔
五重塔
経蔵
経蔵
経蔵
金堂
金堂
金堂
鐘楼
鐘楼
鐘楼
御影堂
御影堂
御影堂
御影堂中門
御影堂中門
観音堂
観音堂
観音堂
観音堂
本坊表門
本坊表門
皇族門
勅使門
勅使門
大玄関
宸殿
宸殿
飛濤亭
飛濤亭
白書院
霊明殿
霊明殿
遼廓亭
黒書院
黒書院
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