りょうあんじ
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楽しみ方龍安寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2025年06月17日(火) 20時37分08秒
参拝:2025年5月吉日
京都市右京区にあるお寺です。
世界遺産に登録されているので ご存じの方が多いと思います。
最近は 参拝者が多くない寺社を巡っていましたので 賑やかな寺院にお参りしたくなりました。
揺り戻しってやつですね。義母の散歩もかねてお参りしました。
予想通り 外国のお客様がとても多く 境内では英語・中国語・フランス語・ドイツ語・その他聞き分けられない語が飛び交っていました。
鏡容池には 写真では分かりにくいのですが 蓮の花がたくさん咲いていました。
久しぶりのお参りということもあって 方丈ではのんびり時間を過ごしました。
襖絵は細川元総理の筆によるもので 細川繋がりだと勝手に解釈しておりました。
石庭前では 各国の方々が足を出してぶーらぶーらしながらお話されていました。
少し心にひっかかるのですが まあ世界遺産を観に来たお客様だから そんなものでしょうね。
方丈をぐるっと回って 裏手の知足の蹲踞(つくばい)のレプリカを見て 太閤手植えの日本最古の侘助椿を見て ご朱印を拝受しに行きました。
列にはなっていないのですが 御朱印帳が積み重ねられていて お願いしてからいただくまで20分ほど待ちました。
ネット情報です。
山号は大雲山 宗旨宗派は臨済宗妙心寺派 寺格は妙心寺境外塔頭 ご本尊は釈迦如来 創建年は宝徳2年(1450年 (575年前)) 開山は義天玄承 開基は細川勝元です。
もともと龍安寺一帯は 永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。
円融寺は徐々に衰退し 平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地を山荘とした。
この山荘を細川勝元が譲り受け 宝徳2年(1450年)敷地内に龍安寺を建立した。
初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。
義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し 自らは創建開山となった。
創建当初の境内地は現在よりはるかに広かったという。
細川勝元らと山名宗全らが争った応仁の乱の際 細川勝元は東軍の総大将だったため 龍安寺は西軍の攻撃を真っ先に受け 応仁2年(1468年)に焼失した。
長享2年(1488年) 勝元の子・細川政元が龍安寺の再建に着手 政元と四世住持・特芳禅傑によって再興された。
寺では特芳を中興開山と称している。
明応8年(1499年)には方丈が上棟された。
その後 織田信長 豊臣秀吉らが寺領を寄進している。
方丈庭園(国の史跡・特別名勝) いわゆる「龍安寺の石庭」は 白砂の砂紋で波の重なりを表す枯山水庭園の特徴を有する。
幅25メートル 奥行10メートルほどの空間に白砂を敷き詰め 東から5個 2個 3個 2個 3個の合わせて15の大小の石を配置する。
寺伝では 室町時代末期(1500年頃)特芳禅傑らの優れた禅僧によって作庭されたと伝えられるが 作庭者 作庭時期 意図ともに諸説あって定かではない。
塀ぎわの細長い石には「小太郎・□二郎」と刻まれており 作庭に関わった人物と推測されるが 詳細は不明である。
世界遺産に登録されているので ご存じの方が多いと思います。
最近は 参拝者が多くない寺社を巡っていましたので 賑やかな寺院にお参りしたくなりました。
揺り戻しってやつですね。義母の散歩もかねてお参りしました。
予想通り 外国のお客様がとても多く 境内では英語・中国語・フランス語・ドイツ語・その他聞き分けられない語が飛び交っていました。
鏡容池には 写真では分かりにくいのですが 蓮の花がたくさん咲いていました。
久しぶりのお参りということもあって 方丈ではのんびり時間を過ごしました。
襖絵は細川元総理の筆によるもので 細川繋がりだと勝手に解釈しておりました。
石庭前では 各国の方々が足を出してぶーらぶーらしながらお話されていました。
少し心にひっかかるのですが まあ世界遺産を観に来たお客様だから そんなものでしょうね。
方丈をぐるっと回って 裏手の知足の蹲踞(つくばい)のレプリカを見て 太閤手植えの日本最古の侘助椿を見て ご朱印を拝受しに行きました。
列にはなっていないのですが 御朱印帳が積み重ねられていて お願いしてからいただくまで20分ほど待ちました。
ネット情報です。
山号は大雲山 宗旨宗派は臨済宗妙心寺派 寺格は妙心寺境外塔頭 ご本尊は釈迦如来 創建年は宝徳2年(1450年 (575年前)) 開山は義天玄承 開基は細川勝元です。
もともと龍安寺一帯は 永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。
円融寺は徐々に衰退し 平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地を山荘とした。
この山荘を細川勝元が譲り受け 宝徳2年(1450年)敷地内に龍安寺を建立した。
初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。
義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し 自らは創建開山となった。
創建当初の境内地は現在よりはるかに広かったという。
細川勝元らと山名宗全らが争った応仁の乱の際 細川勝元は東軍の総大将だったため 龍安寺は西軍の攻撃を真っ先に受け 応仁2年(1468年)に焼失した。
長享2年(1488年) 勝元の子・細川政元が龍安寺の再建に着手 政元と四世住持・特芳禅傑によって再興された。
寺では特芳を中興開山と称している。
明応8年(1499年)には方丈が上棟された。
その後 織田信長 豊臣秀吉らが寺領を寄進している。
方丈庭園(国の史跡・特別名勝) いわゆる「龍安寺の石庭」は 白砂の砂紋で波の重なりを表す枯山水庭園の特徴を有する。
幅25メートル 奥行10メートルほどの空間に白砂を敷き詰め 東から5個 2個 3個 2個 3個の合わせて15の大小の石を配置する。
寺伝では 室町時代末期(1500年頃)特芳禅傑らの優れた禅僧によって作庭されたと伝えられるが 作庭者 作庭時期 意図ともに諸説あって定かではない。
塀ぎわの細長い石には「小太郎・□二郎」と刻まれており 作庭に関わった人物と推測されるが 詳細は不明である。

山門 周りは外国の方ばかり

全景図

青紅葉がきれいです

苔も美しい

蓮の花が咲いています 分かるかな

すごくたくさん咲いているのです 見えにくい

大弁財尊天

本殿

老地蔵

京都市の由緒書

方丈に続く石段

方丈に入って正面の書

方丈の襖絵 右手の部屋

真ん中の部屋 正面

右手

左手

左手の部屋

有名すぎる石庭

知足の蹲踞(つくばい) の複製

説明

日本最古の侘助椿

境内をぐるっとひとまわり

水分石 どれ?ちっちゃい2つの石?

蓮の花 分かります?

分かりにくいですが 蓮の花がいーっぱい咲いています
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3062投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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