ほうぼだいいんがんとくじ
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楽しみ方宝菩提院願徳寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年04月21日(月) 19時57分41秒
参拝:2025年4月吉日
京都市西京区にあるお寺です。
勝持寺のすぐお隣にあるお寺で 山門は閉まっていたのですが 貼り紙をよくよく見ると 仏様の拝観ができると分かりました。
が 国宝の如意輪観音様で 奈良博に展示されるため4月~6月はお休みと書いてありました。
う~ん残念 と思ったら まだ展示のためのお引越し前ということで 運よく拝顔できることとなりました。
1週間遅れていたら無理だったようでした。本当に運が良い。
山門の横にあるインターホンで拝観の旨を告げ 横の戸を開けて境内に入らせていただきました。
寺務所で御朱印をお願いしている間に本堂へ。
写真は撮れないのですが さすが国宝という 素敵な観音様でした。
ネット情報です。
山号は仏華林山 院号は宝菩提院 宗旨は天台宗 ご本尊は如意輪観音(国宝) 創建年は天武天皇8年(679年) 開基は持統天皇 中興年は平安時代後期・1996年(平成8年) 中興は平忠快です。
寺伝によれば持統天皇が夢で啓示を受け 薬師如来を本尊として天武天皇8年(679年)に現在の向日市寺戸町古城3-6(願徳寺宝菩提院跡)に創建されたという。
現在太秦の広隆寺が所蔵しているものが創建当時の本尊であった薬師如来だと考えられている。
一時衰退するが 東山三条の宝菩提院に住した忠快(平安時代後期の武士平教盛の子)がこの寺に入って中興したと伝えられる。
台密の中心的な寺院として隆盛したが 応仁の乱などの兵火により一時焼失する。
江戸時代に入って再興されるも往時の勢いはなく 近代に入ってさらに荒廃した。
1962年(昭和37年)には本尊の観音像などが「花の寺」として知られる勝持寺に一時的に移された。
1973年(昭和48年)には勝持寺に隣接する現在地に移転し 更に1996年(平成8年)には本尊などが願徳寺に戻され 34年の年月をかけてようやく再興が完了した。
勝持寺のすぐお隣にあるお寺で 山門は閉まっていたのですが 貼り紙をよくよく見ると 仏様の拝観ができると分かりました。
が 国宝の如意輪観音様で 奈良博に展示されるため4月~6月はお休みと書いてありました。
う~ん残念 と思ったら まだ展示のためのお引越し前ということで 運よく拝顔できることとなりました。
1週間遅れていたら無理だったようでした。本当に運が良い。
山門の横にあるインターホンで拝観の旨を告げ 横の戸を開けて境内に入らせていただきました。
寺務所で御朱印をお願いしている間に本堂へ。
写真は撮れないのですが さすが国宝という 素敵な観音様でした。
ネット情報です。
山号は仏華林山 院号は宝菩提院 宗旨は天台宗 ご本尊は如意輪観音(国宝) 創建年は天武天皇8年(679年) 開基は持統天皇 中興年は平安時代後期・1996年(平成8年) 中興は平忠快です。
寺伝によれば持統天皇が夢で啓示を受け 薬師如来を本尊として天武天皇8年(679年)に現在の向日市寺戸町古城3-6(願徳寺宝菩提院跡)に創建されたという。
現在太秦の広隆寺が所蔵しているものが創建当時の本尊であった薬師如来だと考えられている。
一時衰退するが 東山三条の宝菩提院に住した忠快(平安時代後期の武士平教盛の子)がこの寺に入って中興したと伝えられる。
台密の中心的な寺院として隆盛したが 応仁の乱などの兵火により一時焼失する。
江戸時代に入って再興されるも往時の勢いはなく 近代に入ってさらに荒廃した。
1962年(昭和37年)には本尊の観音像などが「花の寺」として知られる勝持寺に一時的に移された。
1973年(昭和48年)には勝持寺に隣接する現在地に移転し 更に1996年(平成8年)には本尊などが願徳寺に戻され 34年の年月をかけてようやく再興が完了した。
すてき
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くるくるきよせん3010投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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